さて、獄に下ったブランヴィリエ夫人は、獄吏を誘惑するため、およぶ限りの力をつくしたが、それも無駄と知ると、ガラスの破片やビンを嚥み下し、肛門に棒を突っこんで自殺をはかった。これらは、彼女のヒステリー的性格をまざまざと示すものであろう。 法廷は一六七六年四月二九日から七月十六日まで、ラモワニョン裁判長係りで二十二回開かれた。 貴婦人らしい尊大さと威厳を片時も失わず、いつも判事席に向かって昂然と顔をあげている侯爵夫人に、並みいる判事たちは舌をまき、怖れをなした。彼女には、先天的に道徳感覚が欠けているのだろうか、と。 実際、彼女は涙ひとつこぼさなかった。いろんな人間が証人として出廷して、涙ながらに夫人を改悛させようと試みたが彼女自身はせせら笑っていた。 昔の恋人ブリアンクールのごときは、十三時間にわたって、彼女から改悛の言葉を引き出そうと懸命に努力したが、ついに匙を投げざるをえなかった。 「あなたったら泣いてるの。男のくせに、意気地がないわね!」 彼女が洩らした言葉は、それだけだった。 七月十五日に、最後の機会として被告に反省と悔悟が求められた。が、夫人は相変らず、頑として黙秘し続けた。 夫人が精も根もつき果て、ついに一切を告白し、懺悔聴聞層エドモン・ピロ師の膝にすがって、赦免を求める気になるためには、冒頭に述べたような、あの怖ろしい火刑法廷の水拷問が必要だったようである。 漏斗によって胃のなかに大量に注ぎこまれる水は、彼女の類まれな剛毅な犯罪的精神をも浸潤し、浮き上らせ、押し流してしまったものにちがいない。 もっとも、この水拷問は、すでに判決の下った後、共犯者の名を白状させるために加えられたものだといわれている。いずれにせよ、権力による火刑法廷の残虐ぶりは、個人の犯罪的精神を上回っていたらしい。 火刑法廷とは、十七世紀ルイ王朝のあいだ、とくに妖術や毒殺などといった異例に属する裁判を審理し、もっぱら被告たちに車裂きの刑と火あぶりの刑を宣告した法廷のことで、部屋中に黒い布が張りめぐらされ、昼間でも松明の光に照らされた、陰惨きわまる場所であった。 法廷の黒い壁面に松明の火の映るさまが、まるで燃えるように見えたので、こんな名前がついたのである。国王直属の裁判所で、パリのバスチイユ監獄の近くの兵器庫に設けられていた。… |