科学では答えられない問というものがあります。たとえば、科学は人生の意味は答えてくれません。生命科学が発達すれば、生命の成り立ちぐらいまではわかるだろうけれども、それでも生命の「意味」は教えてくれないでしょう。われわれはなぜここにいるのかという問いに対する、身も蓋もない説明ならできるだろうけれども、哲学あるいは宗教の領域に入るようなことは教えてくれません。世界がなぜこうなっているとかという記述はできるけれども、理由なんかは教えてくれません。もちろん、倫理や道徳を物質が教えてくれるはずは有りません。 「お祈りをしたらある病気が治る」という説があったときに、お祈りの効果を調べたければ何が必要か考えてみましょう。
細菌を用いて簡便に発がんの可能性を調べる試験を開発したことで有名なB・N・エイムズ博士という人がいるのですが、この人が1990年に「Dietary pesticides (99.99% all natural)」という興味深い論文を発表しています。たいとるの直訳が「食事中の農薬作用を持つ物質(99.99%は天然物)」となるように、じつは野菜は農薬作用を持つ毒性物質を自らの力で数多く創り出しており、それらには発がん物質も含まれることを明らかにした論文です。しかし、野菜中にはビタミンやミネラルや食物繊維など、良い成分、がんを防ぐ成分も数多く含まれている。私たちは、よい物質も毒性物質も両方食べているのです。(P109) 多くの一般消費者は、自分たちは遺伝子組み換え原料を使用した食品は食べていない、と思っているでしょう。豆腐屋納豆などには「遺伝子組み換え大豆は使っていません」という表示があることで、勘違いが起きています。 遺伝子組換え作物に絶対に危険はないか、と尋ねられると科学者は弱い。それはそうです。遺伝子組換え作物をどんなに詳細に調べたとしても、そもそも食品には未知の成分も多く含まれているのですから、遺伝子組換えによる影響もすべて把握することなど出来ません。リスクの検証には限界があります。「絶対に危険はない」などと言い切ったら、それは科学ではない。科学者は「調べた限りでは、問題はありません」と答えます。そこを、反対側は突き「安全じゃない」と批判する。そんなことがこれまで繰り返し行わてきたように思います。科学には常に確実性がつきまといます。「ある」ことは証明できても「ない」ことは証明できない。遺伝子組換えの論争もそこに直面しているのだと思います。(128) 参考になるリンク集、デマに惑わされないため http://d.hatena.ne.jp/warbler/20110419/ http://d.hatena.ne.jp/Asay/20110708/ 天然に存在する放射性物質から出される”自然放射線”は安全だが、原発などで作られる放射性物質から出される”人工放射線”はほんのわずかでも危険であるとする考えも一部で広まっている。 科学的根拠に基づく食情報を提供する消費者団体 |