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2013,05,30忘れる[4]失語からの恢復を助ける漢字ウェルニッケ失語の大きな特徴は、自発語が頻繁に語られるのに、他者とのコミュニケーションがまったく成立しないことにある。
2013,05,23忘れる[3]言葉を失うということこれからしばらく、言葉を失っていく障害である失語症のメカニズムを考察しながら、言葉を忘れるということの意味を考えてみたい。
2013,05,16忘れる[2]伝染する度忘れフロイトが友人のシニョレリの名前を思い出せなかった理由は、詳細な分析によって解明された。ただしフロイトはこのような固有名詞の度忘れには、「ごく簡単な場合と、抑圧によって起こる場合がある」ことを認めてい...
2013,05,09忘れる[1]もっとも忘れやすい言葉は固有名詞 これまで記憶することについていろいろと考えてきた。今回から、記憶することの裏の側面である忘れることについて考えてみたい。ぼくたちは多くのことを忘却する。
2013,05,02記憶する[17]症状を引き起こす記憶すでに人間にとって記憶することが病となり、行動を妨げるほどの力をもつことは、ニーチェの記憶の理論についての考察で確認してきた。忘却こそが精神を癒す薬なのである。
2013,04,25記憶する[16]時は流れない大森が言いたいのは、昨日の散歩の光景を想起するとき、それは過去についての知覚の名残などではなく、現在の時点において、過去の散歩について想像のうちで、ある風景を思い描いているにすぎないということである。
2013,04,18記憶する[15]人間の記憶は一つの物語にすぎない記憶は人間の行動を可能にするという意味で重要なものであると同時に、現在と未来から注意を逸らすものである。ぼくたちが記憶や過去に注意を向けるのは、あまり好ましくないことなのだ。
2013,04,11記憶する[14]「これは前にも目撃したことがある」という経験もう一つの興味深いテーマとして、ベルクソンのデジャ・ヴュ研究がある。誰もが何かを目撃しながら、「あ、これは前にも目撃したことがある」と叫びたくなるようなことを経験したことがあると思う。
2013,04,04記憶する[13]死の直前に一生涯の記憶が想起されるのはなぜかすでに考察してきたように、ニーチェは記憶は人間にとって、過去の病とも言うべきものであり、この重荷をはらいのけないかぎり、人間は行動することができないと考えたのだった。
2013,03,28記憶する[12]プルーストが重視した無意志的な記憶プルーストの物語は、幼い頃の記憶を探る試みから始まる。主人公は「長いあいだ、私は早く寝るのだった」と書き始めている。そして早寝しすぎて、夜中に目が覚めてしまう。
2013,03,21記憶する[11]「捏造される」幼児期の記憶フロイトは幼児の時の断片的な記憶は、ある重要な出来事を忘れることができず、しかもそれを想起することに苦痛や不安を感じるために、出来事の記憶を抑圧するために作られているのだと考えた。
2013,03,14記憶する[10]――人間と記憶「過去の自分を恥じることのないように行動せよ」フッサールは、記憶こそが時間の意識を作るという。ところがニーチェは、記憶こそが人間を作ると主張する。ニーチェの言い分に耳を傾けてみよう。
2013,03,07記憶する[9]フッサールの時間についての考察フッサールは『内的時間意識の現象学』という書物で、時間について考察しながら、現象学的にみれば、記憶こそが時間の意識を作りだすものであることを明らかにした。
2013,02,28記憶する[8]過去の出来事を想起させる嗅覚の力アリストテレスはこの論文の後半で、想起(アナムネーシス)について語っているが、これはプラトン的な不死の霊魂の記憶のことではなく、通常の意味での想起である。
2013,02,21記憶する[7]アリストテレスの記憶論プラトンの記憶論につづいて、アリストテレスの記憶論について考えてみよう。アリストテレスは、記憶の問題に「時間」という要因を持ち込んだ。
2013,02,14記憶する[6]経験したことのない「記憶」がよみがえる不思議魂が不死で、着物を着替えるように身体を取替えていると考えることは難しいし、それを信じることもできない。しかしぼくたちのうちに、記憶していたとも思えないことがよみがえることがあるのはたしかだと思う。
2013,02,07記憶する[5]かつて見た美を想起することと「恋をすること」このようにプラトンの想起アナムネーシスの概念は、知識の獲得という知識論の根本問題と、ソクラテスによる対話法と、霊魂の不滅の理論を結びつける重要な役割をはたしている。
2013,01,31記憶する[4]子供との対話で明らかにした「想起」の力すでに考察してきたように、プラトンの記憶の理論では、記憶の正しさの問題よりも、記憶の誤謬の問題が重要な位置を占めている。記憶はつねにあいまいなもの、実物とは異なるものなのだ。
2013,01,24記憶する[3]心の中に像を作る三つの模倣術さて、プラトンの蜜蝋の比喩にもう一度たちもどってみよう。プラトンは、蜜蝋に影像が刻印され、それをもとにして記憶が発生すると考えていた。
2013,01,17記憶する[2]プラトンの蜜蝋と鳩小屋の比喩さて、前回も簡単に触れたように、記憶には三つの位相がある。印象の刻印、印象の保持、印象の再生と再認である。
2013,01,10記憶する[1]人間の記憶と「意識の逆説」これからしばらく記憶することについて、考えてみたいと思う。手元の辞書では記憶することについて二つの意味を挙げている。
2012,12,13嫉妬する[8]個人の成長と社会の形成になくてはならない情念自分のもっているものに安住するのではなく、自分よりも優れたものをもっている人に妬みの心を起こし、そのような優れたものをもちたいと願う心が、人々を高めてゆく。
2012,12,06嫉妬する[7]古代ギリシアに繁栄と没落をもたらした競争原理ぼくたちの欲望は他者の欲望するものを欲望するという性質をそなえている。妬みというのも、社会的に規定された欲望なのである。ただたんに隣の芝生が青いというわけではない。
2012,11,29嫉妬する[6]「ぼく」が持ちたいと欲望するものシェイクスピアにはもう一人、妬みの怨念に駆られた人物がいる。リチャード三世である。リチャードも、マクベスと同じように、王の地位を狙っている。
2012,11,22嫉妬する[5]マクベスとマクベス夫人の妬み妬みはこのように、無辜な者までも犠牲にする恐ろしい情念となりうるのである。しかしこの情念は、相手を選ぶ。誰にでも向かう情念ではない。
2012,11,15嫉妬する[4]――イアーゴーの妬み怨みと復讐心を生むどろどろとした感情今度は妬みの情念を調べてみよう。すでに嫉妬するときに感じる情念としては、苦痛、屈辱、自己否定、怨念、復讐心などがあることを確認した。妬みのときはどうだろうか。
2012,11,08嫉妬する[3]――フロイトの孫の三つの遊戯少年はどのように嫉妬を克服したかこの嫉妬の克服の実例を、フロイトの孫であるエルンストが考え出した三つの遊戯から考えてみよう。どれもある共通した性格をそなえた遊戯なのである。
2012,11,01嫉妬する[2]成長による嫉妬の解消嫉妬を克服する第三の道は、三角関係の「わたし」の項にかかわるものである。わたしが変わればいいのである。しかしどう変わるのか。
2012,10,25嫉妬する[1]人だけでなく猫にもある嫉妬という感情これからしばらく嫉妬するということについて考えたい。嫉妬というものは、人間に深く根づいた感情である。ごく幼児の頃からみられる感情であり、嫉妬しない人はいないと言えるだろう。
2012,10,18抵抗する[25]先駆的な宗教改革のさびしい成果カトリックの教義に抵抗して、パンとワインの二重の聖餐を主張する聖杯派はボヘミアで強い勢力を伸ばし始める。ボヘミアでの叛乱は、都市から農村へという方向性と、貴族から民衆への方向性という二つの軸で進み始め...
2012,10,11抵抗する[24]ボヘミアのフス戦争と聖杯派これまでほぼ同時期に発生した三つの民衆叛乱を比較しながら調べてきた。そのうちで民衆暴動ではなく、民衆革命という性格を帯びていたのは、イギリスの農民一揆とチオンピの乱である。
2012,10,04抵抗する[23]フィレンツェでも起きた民衆の叛乱これまでイギリスの民衆叛乱ワット・タイラーの乱、フランスのジャックリーの乱をみてきたが、この時期にイタリアで発生して民衆叛乱を見逃してはなるまい。これはフィレンツェのチオンピの乱である。
2012,09,27抵抗する[22]フランスで起きた叛乱、ジャックリーの乱経済的に進んだ農村の大衆と都市の市民との連帯を実現したワット・タイラーの叛乱は、王への愛情と信頼のためについえたようなものであるが、同じ頃にフランスでもかなり似た性質の叛乱が起きている。
2012,09,20抵抗する[21]土地を追われた農民たちは「浮浪者」とされたしかしだからと言って、ウィクリフを軽視してはなるまい。というのは、ウィクリフが権力のご用をつとめる大学人ではなかったからである。
2012,09,13抵抗する[20]激しく教会批判を行ったウィクリフジョン・ボールの説教とタイラーたちの要求に示されている当時の抵抗思想をまとめてみると、農奴制の廃止と身分的な不平等の廃止、教会財産の解体と、自由な農業と商業の要求の三点に絞ることができるだろう。
2012,09,06抵抗する[19]考え抜かれた要求と国王の騙し討ちこのようにして叛徒たちは、ロンドンに向かった。そして城門できびしい警護されているロンドンの町は、六万から一〇万と言われる大群衆にとり囲まれることになった。
2012,08,30抵抗する[18]タイラーの叛乱とボールの説教さて中世の日本には、まだまだ興味深い抵抗の源泉があるが、それについてはいずれもう一度考えてみることにして、ここではひとたび日本を離れて、中世のヨーロッパを訪れてみよう。
2012,08,23抵抗する[17]――山城国一揆中世日本に生まれた「共和国のさきがけ」山城国一揆は、国内からの畠山政長と畠山義就の軍隊の退去を求めるものであり、一四八五年に発生した。この事件で注目されるのは、八年にわたって共和政治的な体制のもとで、完全な自治を実現したことにある。
2012,08,09抵抗する[16]徳政を求める土一揆から国一揆へこの一揆でとくに注目に値するのが、徳政を要求するにあって、土倉や酒屋と秩序立って交渉していることである。
2012,08,02抵抗する[15]一揆を成功させた村落の連帯この時代は日本の歴史の大きな分岐点にある。柳田国男は、日本人の日常生活は、応仁の乱の前後で大きく転換し、この乱の後は明治時代までほぼ同質のものとなったと述べたことがある。
2012,07,26抵抗する[14]それまでの一揆を思想的に乗り越えた嘉吉の土一揆嘉吉元年の一四四一年八月に、京都で「土民数万人」(『建仁記』九月三日)という大規模な大衆叛乱が発生した。その要求は「代初には此の沙汰は先例なり」(同)と主張するものだった。
2012,07,19抵抗する[13]民衆叛乱の条件と日本の「土一揆」さて、日本の中世ではこのように一揆という形式で民衆叛乱が発生した。この形式によらないかぎり、民衆が支配権力に抵抗して、何らかの成果をあげることはできなかった。
2012,07,12抵抗する[12]――「一揆」一揆の思想とルソーの「一般意志」これからしばらくの間、近代的な抵抗権の観念が登場する前の中世の社会において、人々が力を合わせて抵抗することができるという考え方がどのようにして生まれたのかを、調べてみたい。
2012,06,28笑う[最終回]――コミュニケーションの手段として笑いの中で強められる人々の絆ここで、親しい人と、顔をみあわせて笑う場面を考えてみよう。そのきっかけは何でもよい。誰かがおかしなことを言ったのでも、飼っている猫が滑稽なしぐさをしたのでも、ふたりだけがわかりあう、あるきっかけによっ...
2012,06,21笑う[23]――解放の笑いユーモアは自己維持のための心の武器であるニーチェにとって、笑いは解放のための手段であるとともに、伝統的的な思考の枠から真理のくびきから解放されたことによって生まれる結果でもある。
2012,06,14笑う[22]――解放と和合の理論「自分自身を笑えるようになれ!」フロイトの笑いの理論においては、機知あるいはユーモアによって笑わせる人と、聞き手との違いが指摘されていた。
2012,06,07笑う[21]――放出としての笑い巧みな機知を語れる人と語れない人との違い「放出としての笑い」では笑いを身体的な緊張の解放という観点から考察する理論を調べてきた。この理論をさらに精緻に、複雑に構築して、無意識との結びつきを発見したのがフロイトの笑いの理論である。
2012,05,31笑う[20]――放出としての笑いカントが重視した笑いの健康的効果人間の心的な容器のうちにある精神的なエネルギーが溜め込まれ、やがて本人にも苦しくなると、それが放出されることによって生まれる喜びが、笑いとしてこぼれだすと考える。
2012,05,24笑う[19]――笑いの矯正機能機械的で滑稽な生き方を自覚させる喜劇ぼくはベルクソンの笑いの分析は同一性と差異と枠組みという笑いのメカニズムのうちに組み込むことができると考えた。ベルクソンが重視した機械的なものは、このメカニズムでもっと広い形で説明できると思うからであ...
2012,05,17笑う[18]――同一と差異のシステム「いないいないばあ」の笑いここで笑いの第二の理論として、同一と差異のシステムによる笑いのメカニズム分析を考えてみよう。人はどんなときに笑いだすのだろうか。最初に、人に向けた子供の笑いを笑いの零度として考察した。
2012,05,10笑う[17]――笑いの優越理論われとわが身の優越から来る笑い古代、中世、ルネサンスをつうじて、人々は生活の中で笑いを撒き散らしてきた。この笑いは、生きられた笑いである。そして笑いを理論化しようとする試みなどは、ほとんどみられなかった。
2012,04,26笑う[16]〜シェイクスピア『リア王』狂気と道化を経て正気の言葉で語り始めたリアリアがこの段階で恐れているのは、自分が道化になることではなく、狂気になることである。リアはまだ自分がまともな判断力をもった人間であり、道化などとは縁遠い存在だと信じている。
2012,04,19笑う[15]〜シェイクスピア『リア王』まだ女性に愛されると確かめたかったリアの自己愛そもそもリアがこのような「娘選び」をしたがったのは、言葉によって娘の愛を確認したかったからであった。リアは老人になってなお、女性から愛の告白を聞きたがったのである。
2012,04,12笑う[14]〜シェイクスピア『リア王』リア王が娘に裏切られたことを自覚するまでの道化の手法今回は本職の道化がリアをやり込め、真実を語りつづけるその手法を調べてみよう。『リア王』の道化はきわめて饒舌である。しかしたんに言葉が多いだけではなく、その手法も豊富である。
2012,04,05笑う13〜シェイクスピア『空騒ぎ』「毒舌姫」が結婚して退屈な人物になるまでさてこれまで、笑いの三つのタイプ、アイロニー、ユーモア、ウイットを考察してきたが、シェイクスピアの劇に登場する道化たちも、それぞれこの笑いのタイプで分類することができる。
2012,03,29笑う[12]言葉において機知を示すウイットの道化ただしドン・キホーテはユーモアの道化だったが、エドガーが演じているのはウイットの道化である。狂人のふりをしているエドガーは、グロスターの城を追い出されて野宿しているリア王の一行と出会う。
2012,03,22笑う[11]道化劇としての『リア王』とコーディリアの失敗ドン・キホーテはすでに考察したように、騎士道の騎士の理想をそのまま信奉している佯狂の道化として人々の笑いを集めた。ルネサンスのこの時代に、道化は重要な役割をはたしていた。
2012,03,15笑う[10]「おや、今週も幸先がいいぞ」と呟いた死刑囚のユーモアそれではソクラテスとドン・キホーテの違いはどのようなものだろうか。その最大の違いは、相手にたいする姿勢の違いにある。しかしドン・キホーテにはそのような教育的な姿勢はない。
2012,03,08笑う[9]『ドン・キホーテ』のアイロニーとユーモアこれは作品の目指す笑いとは違う種類の笑いとして、笑いのメカニズムを分けて考える必要があるだろう。『ドン・キホーテ』の笑いをアイロニーとユーモアという二つの概念で分析する。
2012,03,01笑う[8]「絶対的な下層はつねに笑う」〜『ドン・キホーテ』有名な『ドン・キホーテ』は滑稽文学として描かれた。騎士の時代が終わった一七世紀の初頭になって、まだ中世の騎士道に憧れて、それを実践する人物を描いた小説である。
2012,02,23笑う[7]笑いを巻き起こす下半身のこっけいな営み「一六世紀は笑いの歴史の頂上であり、その頂上のピークがラブレーの小説である」。ラブレーは中世的なカーニバルの笑いをその極限にまで高めて表現した。
2012,02,16笑う[6]笑いの精神をうけついだ文学の巨匠と「笑いの思想史」中世の世界には民衆のカーニバル的な笑いと祝祭の伝統が残っていた。この祝祭は、日常の生活の特別な機会にかぎられていた。「中世の民衆の笑いの文化は、根本的には祝祭や気晴らしの小島に局限されていた」。
2012,02,09笑う[5]嘲笑された「女房に殴られる亭主」きわめて例が多かったのが、女房に殴られる亭主である。この亭主を嘲笑するために村の人々が集まる。亭主は「ロバの背に後ろ向きのあべこべ乗りにさせられて町中を引き回された」。
2012,02,02笑う[4]「笑うはこれ人間の本性なればなり」古代から中世にかけて、物語の自由な土台となり、土壌となったのは、「民衆的な笑いの文化」なのであり、この笑いの文化の解体のはてに、近代のさまざまな笑いの形態が登場するのである。
2012,01,26笑う[3]民衆のカーニバル的な笑い「風刺」背後に哄笑を響かせるソクラテス的な対話は、後期のプラトンの描くかなり真面目なソクラテスの対話とはかなり異質なものなのであるが、このソクラテスの伝統をついだのが、キュニコス派のディオゲネスだった。
2012,01,19笑う[2]イロニーをあらわにするソクラテスの対話この笑劇の伝統をついでいるようにみえるのが、ソクラテスの対話劇である。ソクラテスの対話編では、主に二人の人物が登場して対話を交わす。この対話の基本的な方法は相手に、自分は知らないふりをして尋ねることに...
2012,01,12笑う[1]民主政治で喜劇が担った機能とは笑いは、社会的な絆を作りだす重要な役割を果たしている。ごく古代の時代から、宴会などは笑いの場として、社会的な機能をはたしていた。『古事記』にも、宴会の場での笑いの記述がある。
2011,12,22抵抗する[11]――正義について考える【35】強烈な政治的意味を発揮した殉教者たちの死の物語ここで、ローマの皇帝の命令を拒み、自分の信仰を捨てることを拒んだ古代のキリスト教徒たちの受動的な抵抗のありかたを、ある殉教者の「伝記」から調べてみよう。
2011,12,15抵抗する[10]――正義について考える【34】皇帝ネロとキリスト教徒の殉教という思想最初はユダヤの過激なエッセネ派に近い分派として登場したキリスト教は、イエスの死後、パウロの指導のもとで理論的に発展し、ユダヤ人だけではなく、すべての民族を対象とする世界宗教となった。
2011,12,08抵抗する[9]――正義について考える【33】アルプス越えの放棄と奴隷叛乱の遺産この悪夢はその痕跡を残した。まずローマは奴隷たちの取り扱いかたを変え始めたのである。奴隷から鎖が外され、財産をわけ与えるようになった。
2011,12,01抵抗する[8]――正義について考える【32】スパルタクス軍の合意と合議の思想軍の方針が兵士たちの合意と合議のもとで行われることが、この軍がローマの軍隊と比較して優れた力を発揮できた理由でもあり、その敗北の間接的な原因でもあった。
2011,11,24抵抗する[7]――正義について考える【31】ローマに到来した「パンとサーカス」の時代ユダヤ人たちのローマ帝国との戦いは、マサダ砦で終末を迎えた。しかしこの戦いはたんにユダヤ教という宗教とローマの皇帝崇拝の間の宗教的な戦いであるだけではなく、ある意味ではローマ共和国以来の属州とローマと...
2011,11,17抵抗する[6]――正義について考える【30】「攻撃を撃退するに忍従にまさるものはない」アグリッパはまず、ローマの権力が強大であって、抵抗することが空しいことを指摘する。叛乱を起こすのではなく、ただひたすら耐えることを求める。「攻撃を撃退するに忍従にまさるものはない」
2011,11,10抵抗する[5]――正義について考える【29】生命を捨て信仰を守る思想の確立ユダヤ人の国家が捕囚から解放され、神殿を再建し、ユダヤ教の体系を構築し、みずからのアイデンティティをユダヤ教のもとにみいだすようになったときには、バビロンの川のほとりで嘆いていたときとは異なる問題が発...
2011,10,27抵抗する[4]――正義について考える【28】二度の捕囚を経て宗教的純粋さを追求したユダヤ人アリアドネーは神の掟によって国家の掟に抵抗する論理を提起したが、この神の掟は宗教の掟というよりも、家族の掟であり、古き共同体の掟であった。これにたいして宗教の掟によって国家の掟に明確に抵抗し、民族とし...
2011,10,20抵抗する[3]――正義について考える【27】悲劇を経験して生まれたギリシアの民主政治このように、アンティゴネーは神々の掟に依拠して、国王の定めた国の掟に抵抗した。アンティゴネーが認めているように、これは「書き記されてはいない」掟である。共同体の伝統にしみついた自生的な掟であり、自然の...
2011,10,13抵抗する[2]――正義について考える【26】国の掟は支配者が勝手に定めたものプロメテウスはこのように、神でありながら、神を憎む者、暴君の支配に抵抗する者の象徴となった。プロメテウスはたとえ相手が偉大なゼウスであろうとも、その権力を振るって抑圧するときには、それに激しく抵抗する...
2011,10,06抵抗する[1]――正義について考える【25】マルクスにとっての抵抗のシンボルこれからしばらく、抵抗するという人間の行為について考えたい。人間はどのようなときに抵抗するのだろうか。それは相手が求めること、相手が命じることのうちに、道理に反したことがある、それは非道であると考える...
2011,09,29共感する【12】――石原吉郎と鹿野武一過酷な強制収容所で同情が見せた力ニーチェはこのように同情という感情のもついくつもの〈罠〉に注意を促した。しかし苦しいときに暖かいまなざしを向けられることが、人の心に大きな力を与えることも否定できない。
2011,09,22共感する【11】――ニーチェの同情論同情という感情に潜む快楽を暴くこのようにショーペンハウアーは、同情を愛そのものとみるほどに重視した。人間の意志は個体としての人間に苦悩をもらたすが、苦悩する他者に同情する気持ちが、この個体を個体として閉じ込める原理を突き抜けるもの...
2011,09,15共感する【10】――ショーペンハウアーの同情論「同情でないような愛はすべて我欲である」これまで考察してきたように、カントは同情する人は善き人であると考えていた。しかしこの人は心情が善いだけであって、道徳的に善い人ではなかったのだった。
2011,09,08共感する【9】――カントの共感理論とフランス革命ドイツ人の熱狂は人間が善に向かって進歩する兆候カントが同情などの共感の概念を道徳的な原則とすることには、否定的な結論をくだしていたのは、若い頃も老年になってからも変わりはない。
2011,09,01共感する【8】――カントの共通感覚の思想「この花は美しい」と言う人が他者に求めているものカントは批判期以後は、このような同情と名誉心の理論を否定する。その理由は大きく二つにわけることができるだろう。一つは方法的な理由であり、第二の理由は、そのもたらす効果にかんするものである。
2011,08,25共感する【7】――初期カントの道徳論「真性の徳」と「養子縁組の徳」イギリスの道徳論の伝統は、人間には道徳性を感じ取る感情のようなものがあることを想定するものだった。
2011,08,11共感する【6】――アダム・スミスの共感論正義と道徳の源泉「観察者の原理」とは何かさてアダム・スミスは次に受難者の側からこの問題を考える。すでに考察したように、悲痛の表現も適宜性を欠くならば、他者からの共感をうけることはできないのだった。
2011,08,04共感する【5】――アダム・スミスの共感論道徳性の基礎となる「想像の能力」すでにみてきたように、ヒュームの道徳の理論は、効用と快感の共感に基づくものだった。道徳的な行動をみると共感が生まれて、自愛の情念が抑えられる。
2011,07,28共感する【4】――ヒュームの共感論20歩先の美しい顔は美しくないのであろうか?さてヒュームは社会において正義の観念や道徳の観念が存在しているのは、そもそも不思議なことだと考える。人々を動かす基本的な原理は自愛の念である。
2011,07,21共感する【3】――ヒュームの共感論観念が情緒になるとき、それが共感であるフッサールは現象学という方法から、人間が身体をもつことが感情移入と共感の可能性の条件であることを指摘したが、ヒュームもまた人間の身体と情念の構造の同一性において共感が成立すると考える。
2011,07,14共感する【2】どのように人間は他者に共感できるようになるのかただし人間はつねに他者に共感できるとはかぎらない。他者を理解できないときに、他者に共感することは難しいからだ。そして人間にとって理解できるのは、自分のことである。
2011,07,07共感する【1】同情の感情が無尽蔵にあることを教えた大震災これからしばらくの間、共感するというテーマを考えてみたい。共感するということは、共に(シュン)感じ(パテイン)ことであり、同情すること(シンパシー)である。
2011,06,3018世紀、リスボンの地震が起こした思想界の激震(下)地震後、人間への強い信頼感を表現したカントカントはこの年に『天界の一般自然史と理論』を匿名で刊行したばかりであり、地震のしばらく後に、地震にかんする三編の論文を「ケーニヒスベルク週報」に発表した。
2011,06,2318世紀、リスボンの地震が起こした思想界の激震(上)大地震はそれまでの楽観論を覆した今回の東北大震災は、東北地方に言葉を失わせるほどの大きな被害をもたらしたが、世界史のうちでこれに匹敵するような地震が起きたことがある。一七五五年一一月一日のポルトガルの首都リスボンの大地震である。
2011,06,02配分する[最終回] ――正義について考える【24】正義を守るための「官職」と「財産」の配分とはさて、だいぶ長くなった「配分する」だが、今回はこのテーマの最後として、権力以外の財の配分について考えてみたい。
2011,05,26配分する[12] ――正義について考える【23】「一般に人間の愛着は、力あるところにしか向かわない」トックヴィルは、この地方自治のメカニズムがアメリカの民主主義の根幹にあると考えていた。
2011,05,19配分する[11] ――正義について考える【22】多くの利点が存在する連邦制度このようにアメリカでは権力の分立は、国家のさまざまな部門のあいだで三権分立を確立すること、さらに理想的な国家を目指して、大統領、上院、下院の三つの権力のバランスをとることで実現された。
2011,05,12配分する[10] ――正義 について考える【21】「多くの異なった利害が存在する」ことで正義が守られるアメリカ合衆国の憲法ではさらに、議会のうちにも上下両院を設けることによって、さらに権力の分立が行われていることも忘れてはならない。
2011,04,28配分する[9] ――正義 について考える【20】三権分立は権力の均衡によって新たな権力を生みだす一七七六年に独立宣言が出されるとともに、北アメリカの一三の植民地は一つの国家にまとまる必要性を感じていた。独立宣言は、イギリスにたいする反逆を意味したし、反逆罪は死刑で罰せられるからである。
2011,04,21配分する[8] ――正義について考える【19】国家を設立する目的は「所有」を保護するという正義を実現するためマキアヴェッリはイギリスでさかんに読まれたが、この権力の分立論をイギリスの伝統の中で明確に表現したのが、ジョン・ロックの『市民政府論』である。
2011,04,14配分する[7] ――正義について考える【18】貴族と平民の対立の結果、ローマは偉大な都市となったキケロの権力配分論をうけついで、三権分立論の元祖とも呼ばれるのがマキアヴェッリである。マキアヴェッリはローマ共和制を手掛かりに、好ましい共和国のあるかたを考察するために『ディスコルシ』という書物を書い...
2011,04,07配分する[6] ――正義について考える【17】正義が実現される理想的な国家とはハリントンはこのように、民主政治、貴族政治、王政の要素が混在していることが理想の共和国であり、それをケーキを切り分ける原理で導きだすことができると考えたのだが、このような権力の配分が正義に適うものであ...
2011,03,31配分する[5] ――正義について考える【16】正義が実現される理想的な共和国とはケーキがあって、それを二人の少女の間で、できるだけ公平に分けるにはどうしたらよいだろうか。よく知られているように、一人の少女が自分で納得できるように切り分け、もう一人が先に選ぶのだ。不公平な切り方であ...
2011,03,24配分する[4] ――正義について考える【15】法と国家の形成を意図的に回避した社会とは首長制またはビッグマンの社会では、交換と再配分によって首長が権威を保っていることはよく知られている。
2011,03,17配分する[3] ――正義について考える【14】資本主義以前にあった、自給自足、互恵、再配分このようにアリストテレスの時代は市場が登場してきた時代であり、アリストテレスはまだ自給自足の世界だった。
2011,03,10配分する[2] ――正義について考える【13】取引における正義は均等化によって成立し、その手段が貨幣であるところで正義の概念のうちで、一般に交換的な正義と呼ばれるものがある。これは人々が交換する際に、等価な交換が行われるべきことを求めるものだとされている。
2011,03,03配分する[1]――正義について考える【12】正義の女神が象徴する「矯正的」な正義これまで贈与する、与えるというテーマで正義について考えてきたが、ここでしばらくこのテーマを離れて、与えることの一つの形である配分する、分配するというテーマから、正義について考えてみたいと思う。
2011,02,24贈与する[10]――正義について考える【11】「語りあう関係を通じて正面から接すること、われわれはこれを正義と呼ぶ」言いようのない不安を感じたことはないだろうか。何か体のしんのところから、不安がにじみでてくることがある。それは死の不安ではない。死など怖くはない。ただ生きていることそのものが不安なのである。存在の過剰...
2011,02,17贈与する[9]――正義について考える【10】資本主義社会で消滅した至高性バタイユは、この自己の贈与が聖なるものと至高者を生みだすと考えた。自己を死に向かって投げ出す者が、至高なる者となるのである。しばらく前にヘーゲルの主奴論を紹介した。主人と奴隷が成立する以前に、二人の自...
2011,02,10贈与する[8]――正義について考える【9】自己の贈与の行為から始まる宗教自分の存在が与えられたものであるという債務を返済する方法は、贈与にたいして自己を贈与して返済することである。これだけが真の意味での返済である。フロイトはすべての人に自己の贈与の欲望、死の欲動がそなわっ...
2011,02,03贈与する[7]――正義について考える【8】生命はどうして死を目標とするのだろうフロイトは、精神分析の治療において、多くの人々がいわれのない罪責感に苦しめられていることを確認していた。フロイトが分析した患者たちのうちには、若い頃に罪を犯した人々がいたが、そうした人々は、まるで処罰...
2011,01,27贈与する[6]――正義について考える【7】不機嫌に似た「無気分」のうちから考える存在の根拠さてこのようにぼくたちは、心の奥のどこかで、自分がまだ何ものかに借りがあること、その借りを返していないことと感じつづけている。自分の生命は何ものかによって与えられたものであり、そのことに「負い目」があ...
2011,01,20贈与する[5]――正義について考える【6】生きるという「不正」と「負い目」と「やりきれなさ」遺産の贈与とは逆の意味で純粋な贈与が行われることがある。それは子供に命を与えるときである。生命を与えることは、その返済を求めることがない純粋な贈与という性格を帯びているからである
2011,01,13贈与する[4]――正義について考える【5】世代間の正義、不正義このように純粋な贈与というものは、きわめて困難なものであるが、人生においてまったく不可能というわけではない。いかなる返済を求めず、期待もしないで、ぼくたちは贈与することがある。それは遺産を残すときだ。
2011,01,06贈与する[3]――正義について考える【4】正しい返礼は正義なのだろうかそもそも贈与というものは、返礼を期待しないものではなかっただろうか。レヴィ=ストロースが語っていたように、両親が子供にサンタクロースの存在を信じさせるのは、子供からプレゼントへの「お礼の言葉」を聞きた...
2010,12,16贈与する[2]――正義について考える【3】サンタクロースの贈物と純粋な贈与という幻想レヴィ=ストロースによると、南フランスではランチにレストランに入ると、定食に小さな赤ワインのボトルがついてくるという。料金に含まれているのだ。そして小さなレストランではランチは相席である。パリではワイ...
2010,12,09贈与する[1]――正義について考える【2】正義という歓待、そして相手に贈物をする理由とはすでに確認したように、正義という概念は、「人として踏み行うべき正しい道理」という側面と、公正さ、フェアネスという側面をそなえていた。第一の側面は、一つの共同体の内部で、多くの人々が適切と考える人間らし...
2010,12,02正義について考える【1】「ひどいと思う」ことがある限り正義は生まれるこれからしばらく、「正義とは何か」という総合タイトルのもとで、さまざまなテーマについて考えてゆきたいと思う。今回は「ひどいと思う」というテーマで、さまざまな正義の欠如について全体的に考えてみよう。
2010,11,25わたしは愛する【21】わたしがあなたを愛するとは、あなたのあるがままを欲することこれまで二〇回にわたって、愛の諸相について考察してきた。自己を中心としたエロスの愛、他者との二者関係の愛としてのフィロスやカリス、第三者を通じた超越的な愛としてのアガペーなど、それぞれの愛にはそれぞれ...
2010,11,18わたしは愛する【20】愛は原初的なものとして認識や意欲に先立つのであるこのパスカルの愛の秩序の思想に大きな影響をうけて、独自の愛の秩序の思想を展開したのが、マックス・シェーラーである。シェーラーは現象学の分野で活躍した哲学者で、ハイデガーが『存在と時間』で登場するまでは...
2010,11,11わたしは愛する【19】「愛の秩序にしたがう人々」は偉大で輝きにみちているこれまでみてきたアウグスティヌスやキルケゴールの愛の秩序は、愛する対象についての秩序だったが、主体における愛の秩序というものも考えられるはずだ。有名なのがパスカルの愛の秩序だろう。
2010,11,04わたしは愛する【18】「義務としての愛」は永遠に自由で不安も嫉妬も憎しみもないキルケゴールはこの彼なりの「愛の秩序」の理論を展開するために、「汝、隣人を愛すべし」という聖書の掟について、その「汝」、「隣人」、「愛すべし」という三つの構成要素を個別に点検する。
2010,10,28わたしは愛する【17】キリスト教の愛の思想の源泉となった<br>「愛の秩序」キリスト教の愛の概念を調べるために、アウグスティヌスの経験を振り返ってみよう。アウグスティヌスはプラトン以来の古代ギリシアのエロスの概念と、キリスト教のアガペーの概念を統一するような立場に立っているの...
2010,10,21わたしは愛する【16】愛に値しない者にたいして注がれる“父親の愛”これから考察しようとするのはキリスト教のアガペーの概念であり、これは「わたしはあの方を愛する」、「わたしはあなたを愛する、あの方があなたを愛するがゆえに」という三人称の愛の概念である。
2010,10,14わたしは愛する【15】愛する相手との関係でこそ感じる「他者」サルトルは「第三者なるものの出現は、二人の愛の破壊である」と語ったのだった。それは第三者が登場することで、二人の親密な世界が破壊されるからという意味だけではない)。愛する者どうしが親密な世界に閉じこも...
2010,10,07わたしは愛する【14】わたしとあなたとの「愛の弁証法」の成就初めて人を恋するようになったとき、世界がどれほどその表情を変えるか、誰にも覚えがあることだろう。いままでの生活がどれほどにあじけのないものだったかを実感しながら、新しい自分の誕生をことほぐ。
2010,09,30わたしは愛する【13】結婚においては、真の愛が生まれる可能性があるさて、愛するときの欲望の形を、これまではプラトンが提示したエロスという概念で考えてきたのだった。この概念によると、人間は自分に欠如したものを求めて他なるものを愛するのだった。
2010,09,16わたしは愛する【12】言語の誕生とは、無の認識と超自我の誕生であるさて、幼児はどのようにして言語を習得してゆくのであろうか。ぼくたちはだれもがかつて言語を習得してきたにもかかわらず、言語を習得した経緯を忘れてしまっているかのようなのだ。そのため科学的には、言語が習得...
2010,09,09わたしは愛する【11】自己への惚れ込みは閉じた危険な愛なのであるさてこのように母親のまなざしと父親のまなざしは子供に成長し、他者を愛することができるようになるための重要な土台となるが、子供は文化的なまなざしを体現することによって、実の母親や父親を乗り越えてゆくこと...
2010,09,02わたしは愛する【10】男性が女性を愛するようになるのは<br>「去勢」の働きによるのである父親と母親と子供という構造のうちで、自分がさまざまな場を占めることを小児は学ぶのである。そのためには父親の否定するまなざし、厳しいまなざしをみずからのものとする必要があるのだ。
2010,08,26わたしは愛する【9】他者からの愛と自己愛、この二つの愛がどうしても必要なのであるそもそも他者を愛するようになるためには、主体は自己のアイデンティティを、しかも他者のうちにある一人の人間としてのアイデンティティを確立する必要があるのだ。
2010,08,19わたしは愛する【8】男性は女性のうちに「自分自身にとっての母親」をみいだすこのとき少年は重要な局面に直面する。自分が父親と同じ立場に立って、母親を愛そうとすると(これは男性的な方法だ)、父親が邪魔になるが、父親を排除しようとすると、ペニスを奪われるに違いない。あるいは少年は...
2010,08,05わたしは愛する【7】どのようにして「あなた」を愛するようになるのか他者への愛において、自己への愛は完全に否定されているようにみえる。それはどうして可能なのか、そしてこの愛において、自己への愛はほんとうに否定されているのだろうか。フロイトの語る幼児の成長段階を追いなが...
2010,07,29わたしは愛する【6】病気にならないためには、他者を愛することを始めなければならないかつての完全な人間は、球のように自足し、まったき幸福を享受していたのであり、その状態に戻りたいのである。他者を欲するのも、完全な自己と完全な幸福を取り戻したいからである。このかつて享受していた完全な幸...
2010,07,22わたしは愛する【5】人は相手の善意ではなく</br>自己愛(セルフ・ラブ)に訴えるのださらに重要なことは、誰もが自分の保存を第一の目標とする権利があるというこのホッブズの原理は、政治哲学の分野にとどまらず、経済学の分野でも基本的な原理となったのである。資本主義社会の発展とともに、経済と...
2010,07,15わたしは愛する【4】現代の政治哲学に通じる「自己の保存」というリアリズム
2010,07,08わたしは愛する【3】愛するということは、自分の精神と身体の喜びを拡大させるものを好むことすでに考察してきたように、ストア派の哲学には、自分に親しいもの(オイケイオーシス)を愛すること、自己を愛することから始まる道徳の考え方を示していた。これは外的な価値観、自己から超越したものに依拠する必...
2010,07,01わたしは愛する【2】愛することには魂を救済する力があるこのエロスという愛の形は、すでに確認したようにみずからのうちの欠如によって動かされる。しかし欠如というものは、最初に充満あるいは充足を意味する。満たされた状態が存在しなければ、欠けた状態はそもそも意識...
2010,06,24わたしは愛する【1】みずからの欠如を満たす狂おしい愛愛するということは、すべての人が行う人間的な行為であるにもかかわらず、日本語の表現としてはどうも熟していない。「わたしはあなたを愛しています」という言葉を、生涯のうちに一度もつかわない人もいるかもしれ...
2010,06,17「働く」その10過去の労働を再編するように生まれた新たな労働の姿アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』で描いた人間の「主体性の原史」は、このように暗いものだった。理性はもはや道具的なものとなり、目的を定めるためではなく、手段をみつけるために役立つにすぎない。こ...
2010,06,10「働く」その9技術が進展するほど精神は怠惰になり退化するニーチェはこのように西洋の禁欲的な労働道徳の背後にある「系譜」を明らかにしたが、労働と自然との関係について、ヘーゲルやマルクスの伝統とは明確に異なる視点を提供してくれる。ヘーゲルやマルクスは労働によっ...
2010,06,03「働く」その8労働は人間の本質ではなく、堕落である生産労働がもっとも価値の高い人間の営みであるということは、このように近代の資本主義の社会のうちに埋め込まれた価値観なのである。しかしそのような労働観とは異なる視点はないのだろうか。ルソーは、まったく異...
2010,05,27「働く」その7「通勤に費やされる骨折り」や家事は労働なのかフェミニストたちがかつて、女性の家事労働にも賃金の支払いが行われるべきであることを主張したのは、ある意味では当然の要求だった。多くの女性たちは家庭の男たちが「聖なる」労働に従事するために必要な条件を整...
2010,05,20「働く」その6マルクスが考えに入れなかった労働に参加することを拒まれた人々このようにマルクスは労働が幾重にも疎外されていることをしっかりと見抜いていた。そして逆説的なことに、この疎外された労働を強いられている労働者階級、すなわちプロレタリアートによる革命だけが、この疎外をな...
2010,05,13「働く」その5人間を疎外する「聖なる」労働の歪みさて、このようにして労働は人間の本質そのもの、「聖なるもの」となったのである。しかしぼくたちは労働にそれほどの価値を実感しているだろうか。ぼくたちは、自己を実現する機会は仕事においてしかみつけられず、...
2010,05,06「働く」その4富の源泉は金でも銀でもなく国民の労働であるヘーゲルの労働論をもっとも直接的にうけいれたのがエンゲルスである。エンゲルスは人間が動物でなくなるプロセスを次のようにたどっている。まず人間は直立歩行することで、手を使えるようになり、やがて脳が発達す...
2010,04,22「働く」その3人間の本質は自然に働きかける労働にあるこのように労働が肯定的なまなざしで眺められるには、第一の宗教の道と、第二の市民社会の道徳の道があったが、第三の道として哲学の人間学の道があった。それを代表するのが一九世紀初頭のヘーゲルの哲学である。ヘ...
2010,04,15「働く」その2労働はどのようにして価値あるものとなったのかこのようにして宗教心の残滓が失われると、労働そのものに価値があるとみなされるようになった。近代の精神は、労働を肯定的に捉えるところで、古代の労働観と正面から衝突するようになる。このようにして近代におい...
2010,04,08「働く」その1罰としての労働が産んだ「富」という副産物過酷で、身体をすり減らすだけの否定的な労働と、制作者の技術と能力の表現である作品を作りだす肯定的な仕事のこの対立は、西洋の労働観の根底にあるものだ。ただしおもしろいことに、この二つの語群そのものにうち...
2010,04,01「約束する」その4本当の「謝罪」に必要な3つのこと「ごめんなさい」。この一言は、ときにきわめて口にしがたいものである。なぜか。それには多くの理由があるだろう。沽券にかかわるのかもしれないし、自分に責任を認めないのかもしれない。しかし謝らないと、相手は...
2010,03,18「約束する」その3「むしろ私は約束することはしたが、不誠実に約束した」と言われるべきであるところで、「来年は一緒にパリに行こう」と何かを約束することと、「来年は一緒にパリに行こう、約束するよ」と言うことには微妙な違いがある。最初の約束の言葉は、たんに希望を述べたものかもしれないし、空約束の...
2010,03,11「約束する」その2自分は約束を守る「至高の人間」なのか「できもしない約束をするような痩せ犬」(ニーチェ)なのか約束は、人間にとっては社会を形成するための大切な機能をはたしている。誰もが自由意志を気儘に発揮しつづけていたならば、そもそも社会というものが生まれることはできないだろう。ニーチェは「約束することのでき...
2010,03,04「約束する」その1「相手が自動人形に変じたならば、恋する人はひとりぼっちになる」咎める他者がいることが、ほんらいの約束の大切な条件である。クリスマスにケーキを買ってくると約束したならば、もしもぼくが忙しくてそのことをつい忘れていても、子供にしっかりと咎められることだろう。「おとう...

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Last-modified: 2013-05-30 (木) 11:19:14