全般的に調子が良かった。山間部では肌寒いくらいで消耗も少なかったようだ。後川までだらだら登った時に、篭坊温泉からR173に行き、篠山に下ってR176へ回り込んで帰るか、大坂峠を越えるか迷ったが、天王へ回り込む自信が無かったので大坂峠を登った。

 大坂峠に入る時にどっちにするか迷っていたら、地元の高校生くらいの少年がバス停からママチャリを取り出し大坂峠方面に登りはじめた。「この辺の高校生はうちよりさらに厳しいな。」と思って見送った。その後、大坂峠を上り始めたら彼がアップハンドル・変速なしのママチャリを立ちこぎで登っていた。しかし、峠を越えない限り人家はない。バス停に止めてあった自転車に乗ったということは、どこかからバスで帰ってきて自転車に乗ったとと考えられる。ということは、朝、この峠を北から越えて来たということだ。恐るべし篠山少年。

 大坂峠を下ったところに、弥十郎ガ岳への登山道があった。マウンテンバイクを担いで登ったというレポートを見た記憶がある。立ち止まって見たら入口に看板があって、麓にあった城について歴史が書かれていた。明智光秀が信長の命令で城を兵糧攻めにし、近くの寺の僧が食料を運びこむのを見つけたときに焼き討ちし僧坊は全焼、僧侶を皆殺しにしたとあった。ここでは、信長も光秀も完全に悪者だ。

 R372についたが、それほど疲れていなかったので、R372を東に走ることにした。R372からR172に入り天王峠を越えたところで篭坊温泉を経て後川に帰るルートにしたのだ。

 R173はその昔、酷道そのもので、軽自動車ですらすれ違えないような道だった。当時はSR400SP(後にXT205T)で通っていたが、バイクですら対向車に気を使わなければならないような細い道にブラインドコーナー、いつ舗装したのか分からないような路面には泣かされた(車はもっと大変で、対向車があるたびにどちらかが広くなったところまでバックする必要があった)。今では大きな橋が何本もかかり自動車には快適になったが、自転車にとっては退屈で辛いだけの峠道になってしまった。

 天王峠を上りきって少し行ったところで「右篭坊温泉」の標識。その通りに進むと、肌寒いくらいの木陰道。つぶれかかった歓迎のアーチ。つぶれた温泉旅館。

ルート


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Last-modified: 2008-06-09 (月) 12:07:45