復活祭

 二時半に食堂部が終ると、外套置場と交換台に当番をおいてレジスターやルム・メイドが食事《レーション》に行く。客室から信号《クラペー》も鳴らず帳場へくる客もなく、ラウンジに外来が二、三人残るほか、四時ぐらいまでのあいだ社交部といっているあたりがひっそりする。
 八時から昼食までの伝票を分けて室別になった整理棚《ファイル》へほうりこむと、鶴代の今日のおつとめはおしまいになった。電車でフラットへ寝に帰る気もしない。脇間の籐椅子でひととき頭を霞ませていると、川田がふらりとフロントへ入ってきた。
 なにがあるのか、きょうはめずらしくきちんとドレスアップしている。アメリカの西部ではこれが夜会服《イブニング》になっているというグレイのジャケットにタキシード用のトルウザァスの組合せで、襟《えり》に黄色いミモザの花をつけている。
「いらっしゃいぐらいいわないのかい」
「いらっしゃい」
「おかしなところに座りこんでいるよ。ラウンジへでも行こうか」
「ここでいいじゃありませんか。どこだっておなじよ」
「タバコを買い忘れた。ひとつわけてもらおうかな」
「そのへんにこないだのアーケディアが残っているはずよ」
「そのへんって、どのへんだ。まあすこし立ちなさい」
「デスクの抽斗《ひきだし》だったかな。おぼえていないわ。じぶんが吸うものならじぶんでさがせばいいでしょう」
「これァ神経衰弱だよ。君のマザアも動きたがらなかったが、こんなではなかった」
 川田は帳場へ入ってアーケディアの罐を探してくると、となりの椅子に掛けてパイプをふかしはじめた。
 年のせいで咽喉の皮膚がたるみ、酒焼けなのか潮焼けなのか、首が蘇芳《すおう》でも塗ったように赤いので、そのへんが七面鳥の喉袋《のどぶくろ》みたいにみえる。ごつい折襟の作業服を着て、赤と白の水先旗をたてた港務部《ハアバア・セクション》のボイラーの舳《みよし》に立ち、頭から潮がえしを浴びながら沖へ出て行くときの川田は簡単明瞭ないいおやじだが、きちんとドレスアップしたりすると、バクチウチのやくざ《スポウティ》な調子がでて、べつな感じの人間になってしまう。
「今日は三交替《シフト》だから身体があいていたんだね」
「そう。これから寝に帰るところ」
「こんないい陽気にフラットへ寝に帰る。そうくすんでいちゃしょうがないな。洒落《しゃれ》たフロックでも着てアメリカン・クラブへおしだすような相手《パアレイ》はいないのかね。鶏の羽根をむしって歩かせたような、あのキョトンとしたいい男はどうした」
「どうしたかしら。知らないわ」
「ユウのマザアも惚れるってことをしないひとだった。古代雛みたいな立派な顔で、真面目すぎるもんだからまわりが気苦労だった。ユウがまたそうだ。顔も気性も、よくもまあ似たもんだと感心することがあるよ」
「母に似たいと思ったこともないけど。しようがないでしょう、あたしってこんな娘なんだから」
「それはそうだが」
「西洋のえらいひとがいってるわ。恋愛だの、野心だの、そんなものは精力をすりへらして命をちぢめるから、長生きをしたいと思ったら欲をださないことだって」
「人間の命も金とおなじようなもんで、いろいろな釣合いで成りたっているものなんだから、命だけを貯めこむなんてのも馬鹿げた話じゃないかね。だいいちそんなことはユウぐらいの年の娘のいうことじゃない。色恋の垢を舐めつくしたやつがいうことだ。ともかくむずかしいひとにちがない。このごろの娘の気持はミイにはわからない。ユウのマザアなら、まだしもいくらか手がかりがあったが」
 鶴代は十四の年、母に呼び寄せられてアメリカへ行った。田舎の祖母のところで大きくなり、移民局の食堂ではじめて母というひとの顔を見たわけだった。
 そのころ川田淳平は桑港《サンフランシスコ》の日本人街で「三笠」という割烹店をやっていたが、紐育《ニューヨーク》へ発つ日まで二人でその世話になった。狭い町の両側に寿司、蕎麦《そば》、お座敷天婦羅、おでんと、こんなにまでと呆れるほど食べものやばかりが並び、町幅だけの自動車の列がクラークソンや号笛を鳴らしながら、朝から夜中まで黒い流れのように切れ目もなく動いている。土地の日本人は英語まじりのなげやりな日本語で喧嘩でもしているように話し、落着きなどはどこを見てもない。情けない町もあるものだと、鶴代はそのときからアメリカの生活が嫌いになった。
 紐育の法人会は外交官や銀行関係を代表する一派と、店員や小商人などの一派、下宿屋、宗教団体、学生倶楽部を中心とする一派と三つのサークルにわかれているが、そのほかに在留邦人名簿に名が載っていない第三街組《サード》といわれている組がある。西部から中西部を経て東部に流れこんだ、博奕《ばくち》打ち、喧嘩《ポンサー》などの渡世人《スポウティ》、脱走船員、密輸入者、密買行商人といった、日本の夢も見ない連中だけがつくっている大きなサークルで、ほとんどみな第三街に住み、邦人のクラブなどには絶対に顔をださない。
 鶴代の母の店も第三街のまん中にあった。小原東城の縄張《テリトリー》で、三階のホールが賭場になり、手の指に爪のない本職のバクチウチがいつも七、八人いて客を待っていた。鶴代がアメリカへ着いたばかりのとき、爪のない川田の手をふしんな思いでながめていたが、カルタをあつかう指先が鋭敏になるように、爪を剥いでしまうのだと聞き、貸元《はうす》とか親分《ナムバア》とかいわれる小原や石根のようなひとまでそうだったので、つまるところ川田もバクチウチなんだとあとで納得した。
 三年後に母が死んで、鶴代とアメリカの縁が切れ、日本へ帰る支度をしていると、カレッジの学費をだしてもいいといってくれたひとがあった。楡《にれ》や楓《かえで》の木立のむこうに、古城のような建物の見えるウェルズリー女子大学の校庭に、黒いガウンを着せた自分を置いてみて、心をはずませたこともあったが、どうしてもこの国の生活と折りあえぬものがあるのを感じ、せっかくの申し出を断って日本へ帰ってきた。
 川田は開戦直前の十一月、エレベーター付五階建の「三笠」を、食器、家具一式、居抜きのままただの二千五百ドルでさらりと売りわたし、最後の竜田丸でさっさと日本へ帰ってきた。戦争中は暁兵団の運用長をやり、終戦後は占領軍の水先人《パイロット》になって小さなフラットとジープをもらい、ホテルの裏口から従業員の食堂へはいりこんで給食《レーション》の夕食をするほか、一日中、ランチか入港船の上で暮していた。博徒時代はたいへんなものだったらしいが、「三笠」をはじめるとそのほうはピタリとやめ、カルタの端にもさわらなかったそうで、顔も南瓜《かぼちゃ》親爺のようなおどけた顔つきになり、むかしを思いださせるようなものはなにもなかった。アメリカのことにはどちらも触れず、鶴代の母の話が出たことはいままでただのいちどもなかったが、きょうはいつもの川田とちがっていた。
「ユウがマザアとシスコへ来たのは、あれは何年だったろう。面白いといえば面白い時代だった」
 鶴代は川田の横顔をじろじろながめながら、本牧《ほんもく》のナイト・クラブや入港船のサロン・スタジオでこのごろポオカアの大きな勝負があるというのは、案外、川田あたりが仲人《キーパー》をしているのではないか、バクチウチが身なりに凝《こ》るのは仕事にかかっている証拠で、川田もやはり堅気になりきれず、むかしの生地をだしはじめたのではないかと思った。
「川さん、きょうはさかんにユウのマザアが出るわね。どうしたの」
「どうした、ってのは」
「むかしがなつかしくなるのは危険な徴候だわ。またはじめてるんじゃないでしょうね」
「馬鹿なことをいってる」
「ドレスアップしていったいどこへ押しだすつもりなの。そんなミモザの花、捨てちゃいなさい」
「捨てたってかまわないが、まあもうすこしこうしておこう、復活祭《イースター》のお祝に、オフィスの小さな女の子がつけてくれたんだから」
 なるほど今日は復活祭だった。白領コンゴ、エジプト、ギリシャなどから来ているまだ日本が珍しいバイヤーたちは、復活祭の休暇をつくって、昨日、京都見物に発って行ったもう何年となく思いだしもしなかったが、復活祭の紐育の騒ぎが目にうかぶ。第三街の日本人までがライラックやミモザの花をつけて浮き浮きしていた。
「今日は復活祭だったわね。こんなところでもっさりしていないで、早くパアティへいらっしゃい」
「そんなものがあるなら、まっすぐそっちへ行くよ」
「じゃ、ドレスアップして、あたしのところへ来てくれたってわけなの」
「ラウンジでユウの顔をみながら、コクテールでもやろうと思って。ぜひとも復活祭のお祝をしなければならないって義理はないが」
「わびしいことをいうわね、川さん。じゃ、どこかへ遊びに行きましょうか」
「えッ、そうかい。そういいたかったんだが、ユウはむずかしいひとだから」
「面白く遊べそうなところあって」
「そうだな、あそこはどうだろう。昨夜、プレジデント・ラインのウイルソン号が復航で入港した。いい美容院もあるし、百貨店みたいなものもある。復活祭のダンス・パアティがあるっていってた。美容室へ行って、飯を食って、ダンスをするというのはどうだい」

 岸壁の端から車止めの柵のそばまでセダンやジープがずらりと並び、舷窓からもタンデム・キャビンの窓からも明あかとあかりが洩れて、劇場の大玄関のようなにぎやかな感じだった。
 鶴代は借りもののフロックがさっきほど気にかからなくなり、三枚|襲《がさ》ねの薄いクリーム色のタフタのペティコートの上に、もうひとつおなじ色のパアティ・ドレスをかさね、足首まである裾をゆったりと波うたせ、川田に腕をとられながらギャング・ウエイをのぼって行くのは充分にたのしかった。
 バア・ルームのつづきが広い舞踏室《ダンシング》になっていて、そのまわりと桟敷《ギャレリー》のようになった中二階に、色蝋燭の蜀台を置いた小卓が巧まぬ粋をみせてアト・ランドムに置かれ、酔っぱらいが口ずさむワルツのモチーフのような懶《ものう》い曲で、二十組ばかりの客がダンスをしていた。
 男と女の組が糸で釣るされた操人形さながらに、死んだようなメロディにつれて千鳥足でよろけまわり、男と女が重なりあってぐったいと床にしゃがみこんだと思うと、起きあがってまたのろのろと歩きだす。魂のぬけた、人間の抜殻が散歩しているような痴呆的なダンスだった。
「これはなんというダンスなの」
「ソムビイだよ。アメリカで戦前に流行《はや》ったワルツのニュウ・スタイルだが、あんなものどうだっていい。こっちはこっちだ」
 川田に腕をとられながら赤いネオンサインのついた隣のバア・ルームへ行くと、仕立のいいカッタウェーをきちんと着こんだ五十歳ぐらいの男が立飲台《コントアール》に凭《もた》れ、チーズから切りだしたような上品な横顔をこちらに見せてひっそりとグラスを含んでいた。たくらんでいるのかと思われるほど優雅な身のこなしで、グラスを持った手のようすのよさなどはちょっと馬鹿馬鹿しいくらいだった。
 川田はバアのトバ口で足をとめると、鶴代に顔を寄せてささやいた。
「東城がいる。小原東城さ。ユウは知っているはずだ」
 鶴代は胸苦しくなって、大きく息を吸いこんだ。
 東側《イーストサイド》の貧民窟へすべりこんだ、第二街と六十丁目が交叉する角から三軒目、ブリキの看板の出たみすぼらしい三階建で、入口のガラス戸に手垢でよごれたレースのカーテンがかかり、入るといきなり日本式の西洋間になって、醤油の汚点だらけのクロースをかけたテーブルがいくつか置いてある。富士山を刺繍《ししゅう》した衝立がダム・ウェーターの穴を隠すためで、マントルピースの上の壁に石版画の応拳の鷹の絵がかかり、輸出物のあくどい色をした九谷焼の花瓶があり、薄端《うすばた》へ挿けた馬蘭に埃が白くたまっていたのがはっきりと印象に残っている。そういうわびしい風景の中に、身なりだけはいい本職のバクチウチが七、八人、退屈そうにテーブルに頬杖をついて客を待っている。小原東城もそのなかにいた。
 母に肩を押されながらホールへ入ると、小原がすらりと椅子から立ってきて、
「よう、来たね」
 といいながら、ゾッとするような美しい手をさしだした。
 友達と手をひきあったことはいくどもあるが、握手というものはこれがはじめてだった。かいつぶりのいる沼のそばで育った十二歳の少女には、他人の手は、心やすくも親しげにも、そうやすやすと握れるものではなかった。小原の手は美しすぎ、鶴代の手よりはるかに白かった。さしだされた手は宙に浮いたまま、いつまでも鶴代の手を待っている。握らないわけにもいかないので、温かいほっそりとした手を鶴代は目まいがするような気持で握った。
 小原は、なるほど握手とはこんなふうにするものかと、田舎育ちの少女にも即座に納得がいくような心のこもった仕方で、一、二度強く握ると、
「よく来たねえ、たいへんだったろう。なんといったってこの年じゃ」
 と、浪花節の裏枯れ声でいった。鶴代は小原の顔をみつめたまま、返事をしなかった。
 鶴代は紐育までの汽車の中で、当然、父の話がでるものと期待していたが、母は忘れたのか、とうとうそのことには触れなかった。あとで笑い話になったが、退屈そうな顔で坐りこんでいるバクチウチのなかから、一人だけ立ってきて握手をしてくれた、あの小原という男がつまり父なのだと、固く思いこんでいた時期があった。父でないことがわかってからも、はじめて握手というものをした小原の印象は薄れずにながく心に残っていた。
 そのころの小原は、プリンストン大学卒業という触れこみで上品な英語をあやつるふしぎな男だった。いくらか長目な、かたちのいい細面にすんなりと伸びた口髭がよく似あい、プレスのきいたカッタウェーに灰色の山高帽をかぶり、マロッコの杖をかかえて入ってくるところなどは大学教授とでもいいたいような実誼《じつぎ》な見かけで、ちょとした身振の中にもなにか謎のような美しさがあった。
 日本へ帰ってからも、ときどきなにかのついでに小原の噂をきくことがあった。あのころは田舎から紐育へ出てくる邦人のお百姓を相手にするありふれたバクチウチでしかなかったが、十年ほどの間に下町一帯に縄張《テリトリー》をひろげ、アリー・ドラガンと肩を並べるほどの顔役に成りあがってしまた。
 川田の話では高級《ハイ・ブラウ》のナイト・クラブをマンハッタンだけでも五つも持ち、第三街へ持ちこまれる脱税ウイスキーは一箱についていくらという歩合をとり、ほんの上っ面の財産だけでも五百万ドルをくだるまいということだった。川田はサンフランシスコやロサンジェルスを地盤にして西部の小原に張合っていたむかしのいきさつがあるので、ああ見えても内実はたいしたものではないなどと軽くいっているけども、評判どおり生仲《なまなか》な日本人などは寄りつきもできないような存在になっているのは事実らしかった。しかしそれも開戦前までのことで、戦争がはじまると同時にどこかへ深く沈みこんでしまい、交換船や引揚船で帰った邦人に聞いてみても、小原の消息に通じているものは一人もなかった。小原は死んだのだろうと取沙汰されていたので、この邂逅《かいこう》は意外だった。
 小原はグラスを置いてタンブラーの水をひと口飲むと、眼にしみるような白いハンケチで唇を拭き、寛闊な足どりで悠然とこっちへやってきた。
「よう、どうしたい」
 小原は川田を見て冷淡にうなずき、足をとめて鶴代の顔をながめていたが、そのうちになんともいいようのない深味のある笑顔になって、
「ツルさんだ。こりゃおどろいた。ずいぶんひさしぶりだったなア」
 軋《きし》るようなれいのしゃがれ声でいいながら、なつかしそうに鶴代のほうへ手をさしだした。
 歳月の力も小原には作用しなかったのだとみえる。どんなに少なく数えても五十六、七にはなっているはずなのに、どこにも小皺ひとつなく、髪も口髭も二十年前のように黒々と濡れ、唇は血の色が透けて少年のような無垢の美しさをたもっている。きっちりと身についたカッターウェーは小原の商標のようなものだが、薄い卵色の両前のウェースト・コートに黒いリボンで縁《ふち》取した英国風のトルウザアス、コラ織らしい渋い幅広襟飾という、一種、不朽の風姿をつくりあげていた。
 二十年前、六十五丁目のみじめなホールで握手した、これがあのときの手なのだと、鶴代はぞっとするような思いで小原の手を握った。
「しばらくでした。あなたはちっともおかわりにならないわね。あたしはこんなオールド・ミスになってしまったのに。でもこんなところでお目にかかれるなんて、ほんとうに夢みたい」
「あれはたしか昭和三年だった。するとユウは三十二か。まったく夢だなア」
 小原は手にものをいわせようというふうに、言葉の切れ目切れ目で鶴代の手を握りしめながら、
「さっき舞踏室《アンシング》でチラと見たとき、どうも似たようなひとだと思って、それこそ飛びたつような気がしたなアここでひと口やりながら考えていたんだが、じつにどうもなつかしくてねえ、探しに行こうと思っていたところだったんだ。ミイはこの船で明日の朝アメリカへ帰るんだが、こんな狭間《はざま》でユウに逢おうなんて、こんなシャフト(目)が出ようたあミイも思っていなかったよ。身寄りもたよりもみな死に絶えてしまって、内地にブリード(肉親)と名のつくものは」
 そこまでいいかけたとき、川田はじれったくなったのか、
「お話中だがね、小原君、ミイたちはまだえさについていないんだ。そのへんでキリにしてもらって」
 小原は離さずにいた鶴代の手に気がついて、それとなく手をひきながら、川田のほうへ笑顔をむけた。
「飯ならミイもいっしょに」
「いや失敬しよう。ユウのサブ・スタッフ(涙物語)を聞いたってしょうがないんだから」
 川田はニベもない口調ではねつけた。小原の顔がみるみる額ぎわまで真赤になった。
「ユウはそれをミイにいうのか」
 川田はとぼけた笑顔で、
「誰にいうもんか、小原東城にいってるんだ。それがどうした」
 いぜんのような白々とした顔になると、小原は苦笑しながら、
「それもそうだ。じゃツルさん」
 と鶴代のほうへちょっとうなずいてみせ、舞踏室を通ってタンダム・キャビンにつづく桟敷《ギャレリー》の階段をゆっくりあがって行った。

遊びほうけたあとの憂鬱が身体にしみとおり、わけもなく飲みつづけたコクテールやジンフィーズの酔いで手足がしびれ、ときどきふっと夢心地になる。
 空は無色になって、夜が明けかけてきたが、人気のない広い構内はまだ真暗で、海風で湿った岸壁が舷窓からあふれだすあかりを受けてところどころで光っていた。
 鶴代はフラフラしながらB甲板のほうへ上がって行った。非現実のすがたのまま、この長い間、心の中に持ちつづけてきた男性のイメージは、けっきょく小原のそれだったことがわかった。夜が明けると小原はこの船でアメリカへ帰ってしまう。このまま別れたら、これからの日々はおそろしく辛いものになるだろう。そんなことを考えながら小原の船室の前まで行くと、まだ起きているのだとみえ、バア・ルームのあのすばらしい瞬間を思いださせるような、やわらかな光がほんのりと窓から洩れている。のぞいてみると、小原はナイト・ガウンを着てベッドの端に掛け、綴りにつづって手のほどこしようもない荒布《あらめ》のようなカッターウェーの裏絹を、そここことひきよせながら骨を折ってとじつけていた。
 鶴代は船室の鉄の側壁に凭れて目を伏せた。小原の生活の裏にもやはり人知れぬ辛さがあるのだろう。もしそうなら、いまの自分の気持をわかってもらえるかもしれない。「愛していた」などという言葉をつかわずに自分の気持をつたえられないものだろうか。この扉《ドア》のむこうの世界と結びつくことはできないのだろうか。この船室の中へ身を投げこむことは許されないのだろうか。あのとき自分は十二で小原は三十六だった。いまは三十二と五十六。おかしいことはない。この扉をあけさえすれば、どんな男のそばででも味わえないような幸福に身をまかせることができる。鶴代は扉《ドア》のノッブに手をかけたが、手の動きはそこでとまってしまった。
 との曇った冷たい朝で、風が波しぶきといっしょに顔をうった。
 なにもかも一転瞬の夢だった。船室の扉のノッブの感触がそのときのまま鶴代の掌に残っているのに、ウイルソン号は鴎にまつわられながら岸壁を離れようとしていた。鶴代はまだ夢から醒めず、最後の瞬間にかならず小原が甲板へ出てくるという希望を捨てなかった。小原が甲板から手招きをしたら、川田をおしのけてギリギリのところで舷梯《げんてい》を駆けあがって行こうと待ちかまえていたが、先任の水先人が高い舟橋から川田のほうへ手を振っているだけで、鶴代の期待にそうようなことはなにも起きなかった。
 岸壁とウイルソン号の間は雑物をうかべたぞっとするような汚い海で、鶴代の夢想を断ち切るように少しずつ幅をひろげ、白い泡の中で大きく舳をまわすと、プールに返り波をうたせながらゆるゆると内防波堤の口のほうへ進んでいった。
「飲みすぎた。今日は沖へ行くのが辛いぞ。ユウはどうもないか。青い顔をしているが」
「頭がすこしぼんやりするだけ。面白かったわ。でも川さん、たいへんだったでしょう。カウントしてくださいね。半分払うわ」
「そんなことはどうでもいい。さあこれでお祭はすんだ。早く帰ってそのドレスを返さないと。それにユウは昼番だろう」
 川田はしおれて小さくなった襟のミモザの花をぬいて海へ捨てると、鶴代の肘をとってジープへおしあげた。
 薄靄《うすもや》のかかった朝の町をジープが飛びあがるように走って行く。百貨店の高い塔の上にある航空標識がパッと消え、ノース・アメリカン旅客便が定時に羽田のコースへ入ってきた。
 お祭はすんだ。観光ホテルのデスクで働いて、なんということもなくチビチビとドルを貯めていた。ルーム・メイドはドルの貰いや現物給与が多いので、デスクをやめてメイドになろうかと思ったことさえある。ドルを貯めて小原のいるアメリカへ行くつもりだったらしい。今日からはもうドルなんか貯めるのはよそう。行あたりばったりに生きていくだけ。夢や希望がなくなり、憎しみだけがふえるだろう。ホテルでは気位の高い気むずかしいやつだと思われているらしい。それは自分だけの夢にはまりこんでいたから。今日からは、ひねくれた、意地の悪い、ご注文どおりのオールド・ミスになっていくだろう。鶴代はパアティ・ドレスの裾が浮きあがるのを手でなだめながら、ぼんやり考えこんでいた。
「ホテルへ帰るまでに話をつけてしまおう。五日前、ウイルソン号が往航で横浜に入った。ミイが船で仕事をしていると、小原の野郎がやってきて、ユウにひと目逢わしてくれと、こういうだしぬけな話なんだ。逢わせるも逢わせないも、ホテルのデスクで働いているから、行って勝手に逢ったらいいだろうといってやった。すると小原の野郎が、それができないから頼むんだ。アメリカ三界でさんざ悪事を働きながら、戦争に負けたのをいい汐に大きな面をして内地へ帰るやつがあるが、ミイにはそういうことはできない。ミイのこの足で日本の土はただの一歩も踏むまいと誓いを立てている。戦争がはじまると、所在の悪因縁を絶ち切って、なにもかにもさらりとやめ、田舎へひっこんで髭剃の石鹸《モダ》溶しでコオフィを飲むような実誼な暮しをし、この世の欲という欲はみななくなったつもりでいたが、肉親のオブセッション(執着)は手のつけられないもので、あれをひと目みたいと思うと、もう矢も盾もない。それだけの一本槍でこうしてはるばるやってきた。ほかの目あてはなにもない。あれの顔をひと目見さえすれば、この船ですぐアメリカへ帰る。そういうわけだから、ひとつ頼む」
「川さん、それはどういう話なの」
「小原はユウのファザアだ。それでミイがいった。親子の名乗もしないで、三十何年おっぽりだしておいて、いまになって顔を見たいもあんまりいい気なもんじゃないか。オブセッションも糞もあるかときっぱり断った。すると明けて昨日の朝、ウイルソン号が復航で上海から入ってきた。運悪くミイの当番で、仕様事《しようこと》なしに船へ行くと、小原の野郎がまた出てきてしきりに口説く。いろいろ船できいてみると、なるほどと思われるふしもあるんだ。縄張を捨てて身一つになったというのは嘘じゃないらしい。いくらかでも金があったら、あの洒落者がこうはしまいと思われるようなたしかな証拠も見た。横浜にいる二日、上海での二日、一歩もキャビンから出なかったとキャビンボーイがいっていた。ユウに逢うだけの一本槍でやってきたというのは本当らしい。好かないやつだが、そうまでして来たものをと思うと、無情《つれ》ないこともできない。じゃまあ連れてきて逢わしてやろう。だがあれはいま、それこそ肉親の悪因縁から離れて、落着いて暮しているんだから、心を乱すようなことをいってもらってはこまるんだ。父娘の名乗りなんのも、いまとなっては余計なものだ。大きくなった、しばらくだったぐらいにしておいて、けぶりにもさとられるようなことはしてくれるな。これが約束できるなら骨を折ってみよう。小原は、もちろんそれで結構だという。それからもうひとつ……あれのマザアもそうだったが、気むずかしいところがあって、なにか気がさすと梃《てこ》でもいけなくなる。引き受けたからにはどんなことでもしてみるつもりだが、そんな船へなんか行きたくないといったら、これはまああきらめてもらうよりしょうがない。それでいいか。それは夕方までここへ来るものと思っていてくれ。バア・ルームで落合うことにしよう。そうすると、小原の野郎はいきなり美容室に飛んで行って、髪を染める。髭を染める。アイロンで顔の皺をのばしかねないさわぎなんだ。これにはミイもやられた」
「川さん、ファザアならファザアだと、なぜひと言《こと》いってくれなかったんです。たいへんなことになるところだったわ」
「ファザアだなんていったら、ユウが行くはずはないだろう。逢わせたくもなし逢わせたしで、ミイもおろおろしたさ。だがあのとき行きたくないとひと言いったら、悪じいせずノオという返事を持って行くつもりだった。まあそう腹をたてないでくれ。こんどばかりはミイもとんだ辛い羽目だったんで」
 なんともつかぬ感動が鶴代の胸をしめつける。子供のころにだけあって、大人にない、たとえば忘れられてしまった古い習慣のように、過去の奥深いところに隠れていた手慣れた感情……そんなものだった。
「ごめんなさい、川さん。あなたに悪いことなんかなにもないのよ。ただ小原がファザアだということを前に知っていたら、どんなによかったろうと思って。なんでもないのよ。ただそれだけのことなの。ともかくたいへんなお祭だったわ、どちらのためにも」
 ホテルへ帰ると、昨夜、ここのホールでも復活祭《イースター》のアト・ホームがあったらしく、食堂係の掃除婦が床の上に落ち散ったミモザやライラックの花を掃きよせていた。
 まだ夢はつづいている。これからまたコツコツとドルを貯めよう。鶴代は機嫌のいい子供のように鼻唄をうたいながら更衣室で仕事着に着換え、パアティ・ドレスを抱えてフロントへ出てきた。
「このドレスを大急ぎで調衣部《ランドリー》へ出して、二百二十号へ返しておいてください」
 ルーム・メイドにドレスを渡して帳場へ入ると、信号のあった部屋へ返事《レプライ》をしながら川田に、
「今日は給食にくるんでしょう。どうもいろいろありがとう。じゃ、また今夜」
 と愛想よくいった。


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Last-modified: 2010-09-20 (月) 17:14:36