私の想像するのに、ブリトン嬢は、頭のよい女の子にありがちな、几帳面なところと投げやりなところとが両方あったのではないかと思う。勉強はともかく、日常の生活面では、かなりデカダンな傾向もあったろうし、それを真面目一方な友達が見れは、良家の子女にあるまじき、胡散くさい行動と映ることもあったろう。女友達の証言では、どうやらヒッピーたちとも付合いがあったらしく、彼らのパーティにも出席していたらしいから、隣室の住人のミッチェル夫人が断乎として否定しているように、彼女が絶対に麻薬を用いたことがなかったかどうかは疑わしい。SFを好み、バッハを好み、ヒッピー風俗やポップ
文化に共感を寄せているところなど、ある見地に立って眺めれば、まさに現代アメリカのインテリの典型的な傾向を示している、と言えるかもしれないではないか。
隣室のミッチェル夫人は、ブリトン嬢が壁に動物の絵を描いていたのは麻薬常習のせいではないか、と質問されて、次のように答えている、「こんな建物に住んでいたら、誰だって部屋をどうにかしたくなりますよ。きわめて正常なことだと思います。ジェーンはとても現代的な女の子だったんです」と。
政治にはほとんど関心がなかったが、大学在校生として「民主党青年クラブ」に名前を登録し、一九六六年、マサチューセッツ州法務長官に立侯補した共和党リベラル派のエリオット・リチャードソン(つい最近、国務次官に就任した)の選挙応援をしている。一応、進歩的インテリらしく振舞っているわけだ。
とくに着るものに気をつかう方ではなかったが、彼女は時には好みのお洒落をした。料理自慢で、よく友達を招いては、フランス風、ロシア風、ギリシア風料理でもてなした。一日に煙草を三箱吸い、強いフランス煙草もよく吸った。
文学少女でもあった彼女のいちばん気に入っていた言葉は、SF作家ヴォネガットの『巨人のサイレン』 のなかの、次のような句だったという。すなわち、「われわれすべてそうであるように、私もまた、次々と起る事故の犠牲者なのだ。」
この言葉、私にはどういう含蓄があるのやら、よく分らないが、彼女の不幸な(かどうか知る由もないが)最期と照らし合わせて、あまりにも出来すぎているような気がしないでもない。