『ニューヨーク・タイムス』の特別寄稿記事によると、ハーバード女子学生ジェーン・ブリトン嬢は、三部屋つづきのアパートに、ペットの猫と一匹の亀と一緒に住んでいた。日本の学生の生活とくらべれば、どう考えても大そう優雅な生活というべきだろう。研究テーマは、近東における新石器時代文明ということであるが、この研究テーマに注いでいた関心に匹敵するほどの情熱を、油絵と料理、文学、それにバッハに注ぎこんでいた。洗練された、機知のある、自信にみちた、外向的な、明るい性格の女の子だったらしい。ポップ文化を抵抗なく受け入れて楽しむ、くだけたところもあった。
しかし別の女友達の証言では、ブリトン嬢は「傷つけられやすい人」で、自分の体重のことを気に病み、デートもあまりせず、不規則な生活を送っていた、という。「彼女はケンブリッジで妙な連中−人にたかって暮らしている人種や、気むずかしい変人−に知合いが多かったわ。ハーバードやラドクリフの典型的な若者とはとても呼べないような連中よ。そんな連中のパーティにもよく行っていたようだわ。」
ラドクリフ女子大で一年生以来の親友だったというキルシュ夫人の証言では、ブリトン嬢はドライなユーモアと、カート・ヴォネガットのハイ・ブラウなSF小説を好んでいた。
「彼女には、相手を面喰わせるような鋭い洞察力がありました。たった一言で会話をぴしゃりとやめさせるようなこともできました。気むずかしいとも言えるでしょう。」
髪の毛は黒っぽく、やや肥り気味で、ラドクリフ女子大では、ずばぬけて勉強のよく出来る学生だった。人類学科を二番の成績で卒業したのである。
イラン発掘隊のリーダーだったハーバード大学のランバーグ・カルロフスキー教授によると、発掘旅行中、彼女はその乗馬術で現地雇いの人々を驚嘆させ、しばしば料理の腕をふるい、気のきいたユーモアのセンスでいつも自分を元気に保っていた。「なかなか一筋縄ではいかない女の子でしたよ」と教授は語っている、「強烈な個性の持主で、すぐに返事が返ってくる。音楽が好きで、なかでもバッハをいちばん重んじていた。私はモーツァルトが好きなんですが、彼女はそれをかなり幼稚な趣味だと思っていたようです」と。