しかし、火炙りよりももっと怖ろしい弑逆罪の罰を加えられることを懼れて、ラ・ヴォワザンが最後までその名を口にしなかった共犯者が一人あった。ルイ大王とのあいだに不義の子を七人も生んだモンテスパン侯爵夫人である。 ところが、ルサージュ師やギブール師や、ラ・ヴォワザンの娘のマルグリットなどは、彼女ほど口が堅くはなかったので、裁判所でモンテスパン夫人に不利な証言をたくさんしてしまった。驚いたルイ大王は、ただちに裁判調書の湮滅を命じた。 モンテスパン夫人は野心満々たる女で、ルイ大王の寵姫ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールを追い出して、まんまと彼女の後釜に居座ったものの、大王が自分を疎んじはじめたのではないかと思われるたびに、ボオルガール街のラ・ヴォワザンの邸に出かけて行って、大王に飲ませるための媚薬をしこたま買い込んだり、ラ・ヴァリエール嬢を呪い殺すための黒ミサを実行していたのである。この事実を知ったとき、宮廷の人々は女の執念の怖ろしさに身慄いした。 モンテスパン夫人はラ・ヴォワザンの紹介で、妖術使ギブール師の門をたたき、彼に呪いの黒ミサを執行してもらったばかりか、儀式の最中、みずから裸になって祭壇の役目を勤めるほどの恥知らずなことさえした。黒ミサはよく昔から裸の女の腰の上で行われることがあったのである。 しかし、王はすでに三十八歳にもなっていた年増女に飽きはじめていたのであった。モンテスパン夫人は躍起になって王の寵愛を取りもどそうとこれ努めたが、いよいよ駄目と知ると、王の新らしい恋人フォンタンジュ嬢もろとも、王の生命を亡きものにしてやろうと考えた。で、ロマーニおよびベルトランという、二人の殺し屋をさし向けるよう手配したが、かえって殺し屋の方が罪の重さに怖気をふるって、逃げ出してしまった。 そこでふたたびラ・ヴォワザンに相談すると、この毒薬使いの女は、成功した暁には十万エキュの謝礼金をもらうという約束で、ある秘策を伝授したのである。それは毒薬を塗布した請願書を王に送りつけるという方法であったが、この計画も、ついに実現されなかった。その頃、ようやく警察が動き出し、ラ・ヴォワザンが逮捕されてしまったからである。 いずれにせよ、「毒薬事件」の最後の解決は曖昧で、後味のわるいものであった。警視総監ラ・レエニイは実直に犯罪を追及していたのに、政府が指揮権を発動して、事件の追及を中止せよと命じてきたのである。うかうかしているとスキャンダルの煽りをくらって、王座が転覆してしまう惧れがあったのだ。ラ・レエニイは憤懣やるかたなく、歯噛みして犯罪捜査から手を引かざるを得なかった。 警察が断乎たる処置をとれなかった理由の一つは、妖術に対して決め手となるような法律がなかったからでもあった。しかし一六八二年には、ルイ十四世もさすがに懲りたのであろう、毒殺と妖術とを区別せずに罰する主旨の法令を出すことになった。 法令にいわく、
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