ラ・ヴォワザンは、破産しかけたアントワヌ・モオヴォワザンという宝石商と結婚していたが、若い頃から人間心理の弱点を読み取ることが天才的に巧みで、手相術とか、タロック・カードを使う占いとか、骨相学とかを一心に研究していた。ボオルガール街に、ひろい庭のある豪壮な邸宅を買って、夫と三人で住み、多くの客をそこに招いていた。主人役の彼女は、まるで昔のビザンティン帝国の女王のように、黄金の糸で双頭の鷲を縫い取った、緋色のビロードの長衣をゆったりと着ていた。 貴族や財界人や政治家を自宅に招いて、上品な夜会や音楽会を催したり、あるいは自らソルボンヌ大学へ出かけて行って、教授たちと占星学の問題について論じ合ったりするほどの学識も彼女はもっていた。客に対しては親切で愛想がよかったし、酒も御馳走も豊富に揃っているので、みんな喜んで彼女にいろんな身の上相談を持ちかけた。 けれども、趣味のよい立派な客間のうしろには、怖ろしい毒薬の実験室や、化粧品や媚薬や堕胎剤の製造室が隠されているのだった。薬剤師や産婆も、彼女の邸にやとわれていた。ある部屋には大きなカマドがあって、しょっちゅう厭な臭いの煙を吐き出していたが、これは薬物の残滓や、とくに流産した胎児を焼くための設備であった。ラ・ヴォワザンの告白によると、十年間で二千人以上の胎児をここで処理したそうである。悪魔礼拝の儀式に使うための、人間の脂で製した蝋燭なども用意されていた。 ヴェールをかぶった貴婦人が忍びの姿で、彼女の邸に媚薬や、堕胎剤や、砒素を台にした毒薬などを買いにくるのである。これが彼女の莫大な収入の源だった。こうした商売に、堕落したキリスト教会の司祭が結びついた。いつの世でも、毒薬使いと妖術使とは結びつく運命をもっているかのごとくである。 淫売婦の産んだ父なし子を買ったり、街から子供を盗んできたりして、彼らは黒ミサの儀式の時に、子供を殺し、その血を聖杯に絞り取る。欲の皮の突っ張った堕落坊主が、ラ・ヴォワザンから金をもらって、こんな血なまぐさい儀式を主宰する役目を引き受ける。 ラ・ヴォワザンの周囲に集まっていた悪徳司祭のなかには、背教者・幼児殺戮者として有罪宣告を受けたマリエット師やルメーニャン師、悪魔礼拝の最中に十五歳の少女を強姦して死刑になったトゥールネ師、蝋燭をつくるために刑場の役人から人間の脂肪を買ったというダヴォ師などがいた。しかし、その中でもいちばん有名なのは、「薮にらみの老人」という渾名の怖ろしい妖術使ギブール師である。 真偽のほどは分からぬが、伝説によると、ギブール師の発明した奇妙な毒薬はアヴィウム・リスス、すなわち「邪道の笑」と称するもので、別名を「青ガエル」といい、これを嚥むと、ひとは笑って笑って挙句の果てに笑い死してしまうのだそうである。 ギブール師の告白によると、高等法院判事ピロン・デュマルトレという者が、この毒薬を彼から買って、王を毒殺しようと企てたという。デュマルトレの犯行は未遂に終わったけれども、彼をしてこんな気持に走らせた動機は、王が当時の大蔵卿フーケを無実の罪で牢に幽閉し、ついに毒殺してしまったからであった。 フーケが一六八〇年にピニュロルの城塞で死んだとき、毒殺の噂はかなり広範囲に流されたのである。そして王の不当な処置をひそかに非難する者も多かった。フーケは文学者や美術家を保護した有能な政治家であったのに、王の寵姫ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールにつねづね好意を寄せていたので、王の猜疑心を招き、汚職の罪に問われ、終身禁固刑を宣告されていた。一説によると、『鉄仮面』のモデルはこの人であると言われている。 ともあれ、「毒薬事件」で一網打尽に逮捕された連中のなかには、何も知らずに騙されていた素人に混って、毒薬の売買を専門の業とする人間が大勢いたのであった。ちょうど魔薬の密売団のように、一種の秘密結社のような組織が彼らのあいだに出来ていて、各地方とも連絡をとり、必要な毒薬が不足している時には地方からパリに取り寄せることもあった。ラ・ヴォワザンの公然たる情夫で、いろんな怪しげな商売をやっていたルサージュ師の告白によると、毒薬販売業者たちはドイツや、スエーデンや、その他の国々とも連絡をとっていたという。 |