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  • (眼球からの刺激に応答するニューロンの反応により、対象物が認知される)この段階において、視覚系は最初の入力から推論あるいは推測を行なう。網膜には単純な二次元の画像が映じているにもかかわらず、知覚されるのは三次元の世界だ。視覚回路は資格情報を増幅し、抑制し、収束し、拡散する。こうして知覚は現実とはやや異なったものとなる。知覚とは多義性の消滅を意味するのだ。局所的な手がかりを統合することによって、網膜入力の一番妥当と思われる解釈を得るのである。地平線から昇る満月を考えてみよう。それは巨大だ。しかし数時間に頭上高く昇ったときには、地球の直径の半分ほどあなたに近くなっているにもかかわらず小さく見える。いったいなぜか。網膜に映る円形画像が、昇る月より頭上の月の場合に小さいわけではない。では頭上の月はなぜ小さく見えるのか。地平線から昇る月が大きく思われたのは、地平線の樹々や丘陵その他のものの隣にあったからだ。脳は文脈に応じて月を拡大したのである。ここでは、灰色の紙切れが白に囲まれていると濃く見え、黒に囲まれていると淡く見えるのと同じメカニズムがはたらいているのだ。
    ああ、目とはかくも信用ならない代物なのだ。
    さらに、人は見るものの多くを捏造してもいる。脳は処理できない視覚情報を「充填」によって補う。これが起きるのは、感覚および心的過程を維持するニューロン数とニューロン結合数に厳然たる限度があるからだ。たとえば、視神経には視覚情報を脳に送るための線維がある。各視神経は、左右どちらかの網膜を脳につなぐおよそ100万本の神経配線から成る。個々の配線は軸索と呼ばれ、あなたが見ている画像の一個の「画素」に対応する。左右の目はそれぞれ、ざっと約100万画素のカメラに相当する。相当大きな画素数に思えるかもしれないが、おそらくあなたの携帯電話のカメラのほうがもっとましな解像度をもっているだろう。では、視覚系の解像度が安物のデジタルカメラほどしかないのに、豊かで詳細な外界の知覚が得られるのはなぜだろう。一言で言えば、それは充填によって生じた錯覚のおかげなのである。(P17)
  • マジシャンは、視覚系のこうした特徴をたえず手品に採り入れている。トランプカードの手品では奥行き感の錯覚を利用する。相手の知覚を欺くために文脈を活用する。ある情景中の欠けている部分を補う能力を逆手に取る。スプーンを曲げられると示すために輪郭検出ニューロンを動員する。また視覚系の特定の性質をうまく使って相手の目を一瞬くらます。(P18)
  • 人の目はなんらかの変化がなければなにも見分けられないのだ。・・・夜間には問題なく見分けられる星が日中に見えない理由は単純だ。周辺の空があまりに明るいために、星によって明るさがわずかに増加しても、視覚系はそれをコントラストとして検出できないのである。(P26)
  • ゲラーはかつて、自分は地球外生命体によって超能力を授けられ、手品ができるようになったと主張していた。ランディ(ジ・アメイジング・ランディ)はゲラーの手品は単なるトリックにすぎないと述べた。彼はゲラーの手品を一つひとつ再現しつつ、そのトリックを暴いた。・・・ランディはトリックを暴きながら、「超魔術信仰は足をすくわれるもとです」と述べる。「まったく害がないこともありますが、きわめて危険なこともあります。私はいかさまには賛同しません。私はペテン師と彼らのやり口を暴露します」(P41)
  • 世に詐欺師やペテン師は山ほどおり、超能力を信じる正直者やわけもわからず信じる者を利用する。犠牲者はかならずと言っていいほど金を巻き上げられたり、さらに悲惨な目にあったりする。霊能者の治療を受けるため、適切な医療行為を拒絶するよう丸め込まれることもある。霊能者、信仰療法師、霊媒師、ニセ医者などが自然の法則を超越しているように見えるとき、そこにはかならず錯覚が介在している。そうした錯覚のはたらきを発見するのが私たちの仕事であり、それが本書の意図である。(P49)
  • 順応は神経系における重要で普遍的な過程であり、このことは感覚だけでなく、脳全体に当てはまる。新たな情報を受け取ってはいないニューロンの代謝を減らすことで、私たちの身体はエネルギー消費を節約しているのだ。(P67)
  • 神経科学者はすでに、注意が多くの異なる認知過程とかかわることを見出している。あるテレビ番組に自身の意志で注意を払う過程(トップダウン注意)もあれば、赤ちゃんの泣き声でテレビから注意が引きはがされる過程(ボトムアップ注意)もある。自分が注意を払っているものを直視することもあれば(顕在的注意)、あるものを観ながら別のものにこっそり注意を向けることもある(潜在的注意)。ある特定の物体に視線を注ぐことによってだれかの視線をその物体に引き寄せることもできれば(共同注意)、特定のものに注意を払わないでいることもできる。・・・「注意のスポットライト」は注意を払う能力が限られていることを示す。これは、ある視界領域からある時点で受け取ることのできる情報には限りがあるということを意味する。・・・スポットライト周辺で起きていることはほぼすべて強力に無視されており、一種の「視野狭窄」が生じている。マジシャンは脳のこの特徴を最大に利用しているのだ。(P70)
  • 神経科学者は注意の性質を入念に調べ、その神経相関物を同定し始めている。視覚情報を処理する最初の脳領域は、視空間に地図を描くかのように配置された回路を用いる。これらの低次の視覚処理段階(網膜、視床、大一次視覚野)では、視野のある部分を処理するニューロンは、視野の隣接する部分を処理するニューロンのすぐ隣に位置する。目が動くと、網膜と視覚入力もまた動くのだ。けれども、どこを見ていようとも、ニューロンの一部は視野の中央に対応し、他のニューロンは網膜内の特定の周辺視野からの入力に対応する。視覚ニューロンの網膜内の対応位置はけっして変わらない。
    この「網膜位相」空間内の特定の位置に注意しようとあなたが決めた場合、視覚系の高次ニューロンは低次回路の活性度を増やし、感覚入力に対する感度を強化する。同時に、視空間の周辺視野にあるニューロンが強く抑制される。・・・タスクが難しければ難しいほど、注意の中心が活性化し、周辺視野は抑制されるのだ。(P74)
  • 研究によれば、運転という視覚タスクと、聞くという聴覚タスク(ハンズフリー装置を使用していても)の両方に完全に注意を払うことはできない。実際、運転中に携帯電話で話している人は、法律で酒気帯び運転とされる人と同程度の注意力しかない。(P101)
  • 被験者に二台の車がかかわる交通事故の映像を見せたあとで、ぶつけた方の車の速度を推測させた。その車がもう一台の車に「ぶつかった」ときの速度を尋ねられた被験者の推定速度は、その車がもう一台の車に「激突した」ときの速度を尋ねられた被験者の推測速度より低かった。・・・
    誤導情報は記憶を予測可能に、ときにはきわめて強力に変える。私たちは実際の記憶と他の人が暗示した内容を組み合わせて偽りの記憶を再構成するのだ。この過程において、情報がどこから得られたのかは忘れ去られる。これが典型的な情報源の混乱であり、マジシャンにとってこれはきわめて有用だ。(P137)
  • 記憶には一つの情報源しかないように感じられれるだろうが、それは錯覚だ。記憶はいくつかの下位システムから構成され、それらの下位システムが連携して自分が一個の人間であり、これまでの人生を一貫して生きてきたという感覚を与える。
    • 手続き記憶は筋肉記憶とも呼ばれ、運動神経の能力(スキーする、自転車に乗る、カードをシャッフルする)にかかわる。
    • 宣言的記憶は事実にかかわる記憶であり、意味記憶とエピソード記憶に分かれる。
      • 意味記憶は、意味、定義、概念ーー時間や空間に依存しない事実(「馬には脚が四本ある」「イギリスの首都はロンドンである」)を保存する。
      • エピソード記憶または自伝的記憶はあなたの個人の経験を保存する。この記憶によってあなたは自分の人生になにが起こったかを知り、想起する事ができる。たとえば、誰かがあなたのラップトップを盗んだときのこと、息子がナッツにアレルギー反応を起こして病院に連れていったときのこと、はじめてマジックショーを見たときのことなど。(P138)
  • より深い生物学的レベルでは、記憶は総じて誤りを免れ得ない。過去に起きたことを思い出すのは、頭の中のホームシアターで精神的ビデオテープを再生するようなものではない。むしろそれは過去に聞いたあやふやな話をもう-度語り直すようなものだ。・・・「同じ」話を別の人にするときには、話を自分なりに再構成する。話がうまくまとまるように失われた部分を粉飾して埋め合わせる。(P139)
  • 脳が新しい記憶を保存するときに実際に処理しているのは、個人的な詳細と意味を持つ状況のまばらな集合体だ。脳があとでこの記憶を思い出すときには、この集合体を元の経験を再構築するための枠組に使う。記憶が頭の中で再現されるにつれ、それはきわめて現実にあったことに近い記憶であるような印象を強く与えるかもしれない。しかしその内容のうち本当に正確なのは一部に限られている。作話と呼ばれる無意識の過程で心が急遽でっち上げた小道具、背景、エキストラ、ストックショットなのだ。
    さらに奇妙なことに、一度想起される段階ででっち上げられた部分が、次には記憶そのものとして思い起こされることがある。その過程で、作話は永久記憶になりかねない。元の記憶と区別できなくなるのだ。(P139)
  • なぜ人は暗黙の了解を疑わないのだろうか。そうした仮定はすでにその信憑性を問われ、事実として認められているからだ。・・・
    理由は簡単だ。思考は高くつく。それは脳活動を必要とし、脳活動はエネルギーを消費し、エネルギーは限られている。さらに重要なことに、考えることは時間と注意を他の仕事から奪う。たとえば、食べ物や伴侶を探したり、絶壁や鋭い歯をもつトラを避けたりできなくなる。確実であるとわかっている事実が多ければ多いほど、目の前の目的や興味に集中できる。
    いったん外界のある特徴に対する馴化が起きると、その特徴は平凡になり、日常に埋没してしまう。(P168)
  • 「私たちは大人は子供より注意をちゃんと払っているとよく言います」とゴプニックは述べる。「しかし、私たちはじつはその正反対のことを意味しているのです。大人は注意を払わないでいることに長けています。他のすべてのことを忘れて、有る一つのことに意識を集中するのがうまいのです」(P185)
  • 私たちが自分がする選択の多くを正当化するという事実が見えてくる。そして私たちの人生を左右するのは意思決定そのものというより、それらの決定がおよぼす影響なのである。(P208)
  • なぜ私たちは自分がなんでも自由に選ぶし、選択肢は無数にあると感じるのだろう。一つの応えは認知的不協和と呼ばれる心理学説に有る。認知的不協和が起きるのは、二つの競合するアイデアや行動、事実、信念などが脳内で矛盾を起こすためだ。
    認知的不協和は、同じような二つの選択肢からいずれかを選ぶときにしばしば生じる。それが自分の選択だというだけの理由で、その価値を上げようとするのだ。(P212)
  • コールド・リーディングの方法。テラーによればコールド・リーディングでは質問を言明の形にして客から情報を引き出す。「気にかかることがおありのようです」。あたりまえだ。でなければ、こんなところにはいない。誰でも健康、金銭、恋愛、死について心配がある。そこで「健康が気になっているようです」と言って反応がなければ、素知らぬ顔で「あなたの体のことではありませんよ。あなたの精神上の・・・いや、金銭上の健全さについて言っているのです」。こんな風に話を進める。どの言明も尻上がりのため、文法的には言明であっても、質問の体をなしている。当たらない部分も沢山あるが、人は当たらなかったことは忘れ、当たったことのみ覚えているものだ。
    客を徹底的に褒めそやす。覚えておくといいのは、霊能者はあなたが信じたいことを告げて成功することだ。(P243)
  • マジシャンは注意と意識性の大家だが、霊能者は偽りの魔術師だというのが私たちの結論である。・・・彼らの手法は客の心を探って願望を突き止め、そうした願望がかなうと告げることで金をふんだくるというものだ。そうした職業が成り立つのは、人びとがすべては順調で、自分がした決断は正しかったし、未来においても正しく、「あの世」へ行っても愛する人とふたたび会えると信じたいからだ。 (P244)
  • 錯覚は例外ではなく、かならずしも誤りでもない。それは知覚の一部を成しており、私たちの視覚及び認知処理の基本的性質を表している。それは脳が選ぶ近道であって順応の一種なのである。その目的は、こうした処理を速めたり、必要な処理量を減らしたりすること、あるいは生存に必要な情報を、たとえその情報の細部が正確ではなくとも、私たちにいち早く提供することにある。(P297)
  • 錯視は、私たちが洞窟から出た後に経験した視覚的に複雑な世界で生き延びるのを助けてくれた。熟れた果物とそうでない果物を森の中や焚き火のそばで見分けられるようにしてくれた。同様に、認知の錯覚も私たちの生存に一役買っている。私たちは仮定し、記憶を作話し、ある瞬間には一つのことにのみ注意を払う。なぜなら、それがこの世界で生き残り、必要な資源を探すのに効率がいいからだ。この方法は別の選択肢、すなわち、入ってくる情報すべてを処理するより、はるかに効率がいい。正確であることは普通それほど必要とされておらず、しかもそれを達成するのは難しい。(P298)
  • あらゆる科学の基本は自然に対する深い敬愛と好奇心である。(P302)

手品に学ぶこと

  1. マジシャンはマルチタスキングなど神話にすぎないと知っており、注意に対して「分割し征服する」アプローチをとる。・・・最善の結果を得るには、一つづつ片づけるのがいちばんなのだ。
  2. マジシャンは、記憶が誤っていることもあり、記憶が作られたときと想起するときとの間が長ければ長いほど曖昧になると知っている。・・・重要な情報や会話はその都度記録しよう。
  3. マジシャンも絶えず間違いを犯しているけれども、こだわらず前へ進むので、観客はほとんど気づきもしない。あなたもそうするべきだ。
  4. 販売員や霊能者には、あなたが聞きたいことを話すことで、あなたの「心を読む」人がいる。・・・セールスポイントがあなたの発言によって変わるようであれば、販売員は製品について誠実に話をしてはおらず、あなたが聞きたいことを話しているだけだ。
  5. マジシャンはユーモアと共感を用いてあなたの守りの壁を取っ払う。・・・対人関係でも、マジシャンのようにあなたの魅力で相手の警戒心を解くように心がけよう。
  6. 観客はみな「テレパシーを持っている」。共同経営者や連れ合い、警察になにか隠し事をしているならば、彼らの前ではそのことを考えないほうがいい。そうすれば、あなたの声や視線、姿勢で相手に秘密がばれるのを避けられる。
  7. マジシャンは、注意によって外界の有る一部分が強化され、他のものすべてが抑制されることを知っている。・・・重要な決定をするときには、どれほどそれが重要でないように思えても、自分がもつあらゆる情報を一覧表にしてみよう。それぞれの項目に完全に集中して十分に考慮する。各々の事実の派生効果や、あなたの感情や直感を個別に吟味する。そうすれば、あなたが注意を払ったことによって、個々の情報が強調され、その他の情報がすべて抑制される。こうしてリストを最後まで検討したら、具体的事実と直感双方にもとづく全体像が見えてくるだろう。これでようやく決定する準備が整ったのだ。

  1. (M・C・エッシャーの「上昇と下降」について)このリトグラフでは、法衣をまとった何人かの修道士が修道院の屋根にある不可能な階段を永遠に上っては下りる。不可能と言われるのは、階段がつながっていて、終わりというものがないからだ。物理的に不可能なものをどうすれば描けるというのだろう。エッシャーはリトグラフのどこかでなにかをごまかし、階段の本来あるべき姿を捉えていないのではないか。しかし、スティーヴがどれほど仔細にながめても、おかしな箇所はみあたらなかった。彼は構造全体を調べて、錯覚を生じさせるような、わずかとはいえ一貫した歪みがあるか否かを突き止めるべきだと気づいた。
    だが、スティーヴは、この構造物は全体を見られないようにできていると悟った。いっぺんに見られるのは階段の一部だけなのだ。特定の部分に目を留めたときにのみ、資格は階段の細部を処理できる。ところが、そうすると、視野の一部に押しやられた階段の残りの部分はあいまいになる。エッシャーの手法の極意はここにある。一度に見られるのが一部に限られるため、構造全体のわずかな誤算が人の目にはそれと映らないのだ。無限階段の効果は、私たちを取り巻く世界には一定の不可侵な知覚表象を組み合わせて知覚表象全体を作り出していることを示す。表面や物体どうしが局所的に自然法則にしたがっている限り、脳は知覚表象全体が不可能であることは気にも留めないらしいのだ。(P54)
  • 斜塔錯視を考えてみよう。この錯視はマギル大学の科学者フレデリック・キングダム、アリ・ユネッシ、イリーナ・ゲオルギューによって発見され、コンテストで2007年度最優秀賞に輝いた。
    この錯視ではピサの斜塔の二枚の写真は同じであるにかかわらず、右の塔がより傾いて見える。こうしたことが起きるのは、視覚系は二枚の写真を同じ情景の一部として捉えるからなのだ。普通なら、隣り合う二本の塔は垂直に空に向かって延びるため、塔の輪郭は奥へ行くほどお互いに近づくように見える。これは遠近法の厳然たる法則であり、視覚系が自動的に活用する不変のメカニズムなのだ。ところが二本の塔のイメージはお互いに近づいていかないため、視覚系は並んだ二本の塔がお互いから離れていくと考える。そこで、あなたはそうしたイメージを「見る」のである。(P60)
  • 私たちには共同注意の能力もある。別の人を見つめ、言葉は一語も発することなく簡単な仕草(視線の向きを変える)によって、ある物体に相手の注意を喚起することができる。そうすることで、相手はその物体をあからさまに、またはこっそり見るかもしれない。同様に、サッカーのフォワードがキーパーにフェイントをかけるとき、ピッチの重要でない方向に注意を払うふりをするかもしれない。これが共同注意だ。赤ちゃんは九ヶ月という早い段階で共同注意の能力を見せ、大型類人猿も同じ能力をもつ。イヌは一部の共同注意においてチンパンジーより優れた能力を示す。イヌは人間が示す方向を見るが、チンパンジーはそうはしないのだ。ジェントルマン・シーフことアポロは共同注意を払わせる作戦に関する本を書けるだろう。(P72)
  • 部屋中の人が魅せられてしまうような見事なスライハンドだった。ただしスサナだけは違った。
    スサナはそのとき私たちの二人目の息子ブライスを身ごもっていて、ロベルトが演技するあいだ中ずっとつわりに苦しんでいた。注意を払っていなかったのだ。ロベルトが観衆を集中させているときも、スサナばかりは嘔吐感をこらえるのに必死だった。そこで黄色いイメージが彼女のめを捉えた。マジシャンに目を凝らすと、彼がレモンをハンカチの下の手の平にすべり込ませるところではないか。あとで彼女はスティーヴにこの手品はとても下手だったと話した。クラスに参加していたプロのマジシャンたちがなぜこの手品にそれほど感心したのか理解できなかったというのだ。スティーヴにはスサナの言い分が納得できなかった。彼にはレモンの手品は滑らかそのものに見えた。そこでスサナは自分は気分が優れなかったので注意が散漫になっていたからこそ、手品のからくりに気づいたのだと知った。レモンを不意にハンカチの下に滑り込ませるとき、ロベルトは自分の顔に注意を向けさせることで相手の知覚を操っている。これは最強の共同注意である。ところが、スサナの全神経は嘔吐しないことに向けられていたため、名マジシャンの腕をもってしても制御不可能だったのだ。(P73)
  • 顕在的ミスディレクションでは、マジシャンは相手の視線を手品のからくりから遠ざけようとする。偽りの対象に相手の目を引きつけておき、別の場所で秘密の行動に移る。
    潜在的ミスディレクションはもっとわかりづらい。マジシャンは、あなたの注意のスポットライトーそして疑惑の中心ーをトリックから外すことはするものの、あなたの視線の方向を変えたりはしない。あなたは手品のトリックをしっかりと見届けているかもしれないのに、その意味に気づかない。あなたの注意は別のところにあるからだ。あなたは見てはいるけれども、見ていない。&fbr;認知神経科学者は潜在的ミスディレクションについて多くを知っている。それは非注意による見落とし重要な要素なのである。非注意による見落としでは、ある物体が目に映じてはいるが、注意が別のところにあるのでそれに気づかない。この現象は情報を見て処理する過程にかかっている。私たちはこれに関連した変化の見落としも研究している。変化の見落としでは、情景に起きる変化を見落とす。それは心が見たばかりのものを覚えられない過程にかかっわている。(P92)
  • 室内でこのページを見てから、この本を戸外へもっていって、直接、太陽光の下で見てみよう。特に変わらないはずだが、それは実は驚くべきことなのだ。このページはどちらの場合もそっくり同じに見える。白い背景に黒い文字が並んでいる。なぜそんなことが可能なのか。あなたの家の照明にもよるが、戸外の直接の太陽光は室内のおよそ100万倍から2,000万倍も明るい。家の外では、室内で白い紙から反射される光子の数の数百万倍の光子が黒い文字から反射されているのに、なぜ戸外で黒い文字を見ても白より明るく見えないのだろう。
    また、光子の色(波長分布)も室内と戸外ではおそらく異なっているはずだ。私たちの視覚系は色や明るさを網膜に入ってくる光子の数とその波長の関数としてしか見られない。したがって、この本のページは戸外と室内の両方で白ではありえない。
    室内と戸外の光子がそれほど異なっているのであれば(これについては間違いないと申し上げておこう)、ページがどちらの環境でも同じに見えるのはなぜだろう。それは、視覚系は、ページがはなはだ異なる照明条件でも同じように見えるように、視覚データを明るさの恒常性と色の恒常性と呼ばれる2つのプロセスによって処理するからだ。しかし、これは錯覚であり、このことは物理的な現実が知覚とは相容れないことを意味する。実際には、本はそれぞれの環境では異なる物理的性質を有するが、それでも私たちには同じに見える。
    錯視は、私たちが洞窟から出た後に経験した視覚的に複雑な世界で生き延びるのを助けてくれた。熟れた果物とそうでない果物を森の中や焚火のそばで見分けられるようにしてくれた。同様に、認知の錯覚も私たちの生存にひと役買っている。私たちは仮定し、記憶を作話し、ある瞬間には1つのことにのみ注意を払う。なぜなら、それがこの世界で生き残る、必要な資源を探すのに効率が良いからだ。この方法は別の選択肢、すなわち、入ってくる情報全てを処理するより、はるかに効率が良い。正確であることは普通それほど必要とされておらず、しかもそれを達成するのは難しい。常に正確であるために必要となる脳を収容するにはより大きな能が必要となるが、人はすでに出生時にその頭の大きさ故に問題を抱えている。(P298)
  • さきごろ、ドイツのベルリンにあるマックス・プランク研究所の脳神経科学者ジョン=ディラン・ヘインズが、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を用いてリベットの研究を再現した。人が意識的に選択するとき脳で何が起こるかを見定めようとしたのだ。実験では、被験者はスキャナー内に寝かされ、ヘインズに右手か左手のどちらでボタンを押すか決めていいと伝えられる。欠点はいつしてもいいが、押すと決めた時点を覚えていなければならない。ヘインズらが用いた複雑なコンピュータ・プログラムは、 2つの選択肢それぞれに先立つ典型的な活動パターンを認識するように設計されていた。
    実験の結果、被験者の意識して選択する最長で7秒前に、脳信号ー前頭葉の微小な活動パターンーによって選択(ボタンを右手と左手のどちらで押すかを予測できることが判明し、ヘインズはこの結果に驚愕した。つまり脳内の一定の部位は、あなたが自分で決定を意識する数秒前にそれを知るということになる。これらの脳領域があなたがしようとする選択を示す情報によって活性化するのは明らかであり、それはあなたが決定したと意識した時間よりずっと前に起きることから、これらの脳領域がこれから起きる選択にバイアスを与えそうに思われる。あなたは自分の決定が自由で偏見のない選択だったと確信しているかもしれないが、実はそうではないのだ。(P217)
  • 私たちが自由意志を持つと感じるのは、自分の身体が自分だけの思考や願望を正確に行動に変えていくからだ。脳は相関装置であり、この事はマジシャンが不可能な因果関係を持つ事象によって繰り返し証明してきている。私たちには原因と結果を結びつける能力が備わっているため、人類は脳内を流れる情報をことごとく監視する感覚経路を発達させる進化圧にさらされなかった。ここで思い起こしてほしいのだが、私たちの注意力は限られており、私たちは視野に入るもの全てを把握できるわけではない。仮に脳内で起きる些細な過程にまで注意を払わねばならないのだとしたら、注意力の限界はさらに悲惨なほど不十分になるだろう。コップ1杯の水が欲しい時、あなたは前頭前野が第一次運動野に送るあらゆる情報の詳細に至るまで本当に知りたいだろうか。喉が渇いたなら、手が水の入ったコップを持ち、口まで運んでくれればそれで十分ではないのか。私たちが自由意志で行動していると感じるのは、自分の内なる願望をほかの誰にも伝えていないからにほかならない。(p218)
  • 自由意志の錯覚は、さらに2つの心理効果に影響されている。先行効果では、ある行動の直前にたまたまその行動の考えが頭をかすめた場合に、自分がそれを起こしたという感覚が生まれる。例えば、人は他人の腕の動きを自分の腕の動きであると感じるように導くことができる。神経生物学者の専門的意見として、私たちはこの効果は極めて気味が悪いと言っておこう。まず、両手を体側につけて長い衣服につつまれていると想像しよう。助手があなたの後ろに立ち、袖に腕を通す。彼は手袋はめている。腕を動かす指示がヘッドホンから聞こえてくる。助手が腕を動かすにつれ、あなたは彼の腕を自分の腕のように制御できると感じるようになる。 これが代理人の錯覚だ。あなたは誰かのこと考えていたちょうどその時に、その人から電話が掛かってきたという経験はないだろうか。それは偶然だけれども、あなたは代理感覚を味わう。しかし、こうした感覚はいずれも錯覚にすぎない。
    排他効果は、ある事象について自分が考えたという以外に説明がないという知覚である。しかし、あなたの意識していない選択理由もある可能性は否定できない。ウェグナーがわかりやすい一例を挙げる。レストランで、隣の客は「シュリンプスペシャル」を注文したとする。あなたも同じもの注文しようと思っていたが、それでは隣の人の真似をしたと思われかねない。そこであなたは注文を変え、他人に影響されてはいないようにふるまう。この時、あなたは自分の自由意思で選択したと考えるだろうが、実はそうではない。エビ料理の注文ほど些細なことで影響されるということ自体、あなたの自由意志などないに等しいのだ。実際、あなたの考えはいつでも他のものに影響受けている。(p220)
  • なぜ人は暗黙の了解を疑わないのだろうか。そうした仮定はすでにその信憑性を問われ、事実として認められているからだ。子供の頃、私たちは祖父母のメガネを取り上げて口に入れ、自分の舌で確かめている。成長した今、もう一度メガネをなめてみたいと思わない。メガネには本物のレンズが入っていると言う事実に馴化しているのだ。しかし、これは単なる観測であって説明ではない。ここで神経科学の森にもっと深く分け入り、能がどのようにして馴化を起こすのか、そしてその理由を問わねばならない。

    理由は簡単だ。思考は高くつく。それは脳活動を必要とし、能活動はエネルギーを消費し、エネルギーが限られている。さらに重要なことに、考えることは時間と注意を他の仕事から奪う。例えば、食べ物や伴侶を探したり、絶壁や鋭い歯をもつトラを避けたりできなくなる。確実であると分かっている事実が多ければ多いほど、目の前の目的や興味に集中できる。誰かの眼鏡にレンズが入っているか否か考える時間が少ないほど、人生は楽なのだ。

iForce(iPhoneアプリ)http://www.sleightsofmind.com/

脳はすすんでだまされたがる マジックが解き明かす錯覚の不思議
SLEIGHTS OF MIND
スティーヴン・L・マクニック
スサナ・マルティネス=コンデ
サンドラ・ブレイクスリー
鍛原多恵子訳
角川書店
ISBN 978-4-04-110159-9


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Last-modified: 2013-09-06 (金) 11:50:31