悲劇作家として名声並ぶ者なきアカデミイ会員であり、当時の最高の文人であったラシーヌも、一説によれば、デュ・パルクという女優を囲っていて、彼女を堕胎させたとか毒殺したとか噂された。この不吉な噂を流したのは、例のラ・ヴォワザンという有名な毒薬使である。ラ・ヴォワザンは一六八〇年、ブランヴィリエ侯爵夫人事件の共犯と見なされて火炙りになったのであるが、その前に火刑法廷で拷問を受けたとき、高名な劇作家が女優を毒殺し、彼女の指から高価なダイヤモンドの指環を奪ったという事実(?)を明かしたのであった。そのため、ラシーヌに一時逮捕状が出されたほどであったが、警察当局は結局、王の保護を受けたこのアカデミイ会員を追及しても仕方がないと思ったのか、深追いすることをやめてしまったのである。―しかし真相は、女優が流産の後に腹膜炎を併発して死んだもののようである。 |