中宮彰子(988-1074) 藤原道長の娘。一条天皇との関係を強く望む道長の圧力により一条天皇に嫁ぐ。 紫式部、伊勢大輔、赤染衛門、和泉式部、小式部内侍などを集ったサロンを形成していた。 長保元年(999)、一条天皇に入内し、翌年中宮となる。彰子のもとには紫式部・赤染衛門・伊勢大輔・和泉式部らが出仕した。寛弘五年(1008)、敦成親王(のちの後一条天皇)を、同六年に敦良親王(のちの後朱雀天皇)を出産。寛弘八年六月、一条天皇は譲位して間もなく崩御。万寿三年(1026)出家し、院号を賜わり、法名清浄覚を号す。長元五年(1032)、兄頼通の後見で菊合を催行した。承保元年(1074)十月三日、八十七歳で崩御。 [#まあ、最高権力者が権力に物をいわせて強力メンバーをかき集めたというところか。今でいうなら、レアル・マドリードかヤンキース・・・・相当下ってジャイアンツのようなものか。政略結婚させた娘を思う道長の気持ちが分からんでもないね。] |