メアリー1世 (イングランド女王)Mary I of England、Queen Mary I of England (February 18, 1516- November 17, 1558 - reigned July 19, 1553 - November 17, 1558)

ヘンリー八世の子、エリザベスの異母姉

異母兄のエドワード6世が1553年に早世すると、ノーサンバランド公ジョン・ダッドレーがジェーン・グレイを擁立するが、9日後に身柄を拘束され、メアリーが王位を継承した。熱心なカトリック信者であるメアリー1世は、父王の宗教改革を覆し、カトリック復帰を徹底した。彼女はプロテスタントの指導者を次々と処刑し、その数は300名に上ると言われる。このことから、「血塗れのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれることになった。

スペイン王家の血を引くメアリーは、結婚の相手にスペインの皇太子フェリペ(神聖ローマ帝国皇帝カール五世の子)を選んだ。しかし、カトリック国であるスペインの皇太子との結婚は反対するものが多く、トマス・ワイアットらがケントで蜂起する事態となったが、反乱は失敗しトマスは処刑された。

メアリーは、反対を押し切り、1554年7月20日にフェリペと結婚した。1556年にフェリペはスペインに帰国し、フェリペ2世として即位し、1年半後にロンドンに戻ったものの、わずか3ヶ月後には再びフェリペはスペインに帰国した。このことにより、イングランドはフランススペインの戦争に巻き込まれ、フランスに敗れてカレーを失うことになった。-wikipedia.jp

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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:00:54