ジギタリンの原料であるジギタリスという植物は、西ヨーロッパの山林中に、ごく普通にある薬草で、俗に「狐の手袋」または「死人の指」とも呼ばれ、その淡紫紅色の美しい花を観賞用に供する目的から、庭先にも見かければ、薬用(強心剤)の目的から、栽培されてもいる。毒はその葉に含まれていて、ジギタリンと呼ばれるが、主成分はジギトキシンという別の劇毒である。古来、薬用に供される場合は、葉を浸剤、つまりお茶のように軽く煎じて使うことが多かった。

ジギタリスは全身の血の循環を良好ならしめ、局所の鬱血を救済し、新機能を整え強化するという効果を有するが、同時に蓄積作用があって、恐るべき中毒症状を呈する場合がある。多量投与は嘔吐、下痢、腹痛などを起すのみならず、黄視覚やその他の視覚障害、遅い不規則な脈搏、低血圧、期外収縮を伴なう心室頻脈、心室細動による死亡などを結果することもあって、なかなか馬鹿にならない劇毒である。

ジギタリンは化学反応では感受性が鈍く、特殊性の点でも不十分なので、薬物学者タルディユおよびルーサンの二人は、屍体の内臓から抽出した毒を、動物実験による生理学的方法によって試験することを思い立ったのである。

このような方法を採用することには困難が多く、法定内にやかましい論議を捲き起したものであるが、かの実験生理学の大家、パリ大学教授クロオド・ベルナアルの出馬によって、この操作方法に確固たる根拠のあることが判事たちにも納得されるにいたった。ジギタリス毒が生理学的方法によって検索されるようになったのは、じつに、このクウティ・ド・ラ・ポムレエ事件から以後のことなのである。

ポムレエの弁護士は、保険会社に対する詐欺行為の事実は認めざるを得なかったが、毒殺という犯罪事実については証拠不十分であるとして、法廷で四時間にわたる熱弁をふるった。

しかし、クロオド・ベルナアルのような化学界の大御所の発言したあとでは、いかな巧みな弁論といえども、影が薄くなることを逸れなかった。さかんなプレス・キャンペーンにもかかわらず、ポムレエは、情状酌量の余地なく有罪を宣告され、一八六四年六月九日未明、パリのラ・ロケット広場で、ギロチンにかけられて死んだ。享年三十四。

ポムレエはいかにも冷たい科学者らしく無神論者で、シニックで、傲慢で、法廷では大いに人々の顰蹙を買ったものだが、最後まで己の無実を主張しつづけたマニアックな、殉難者めいた態度が、ある種の人々の恐怖と共感を同時にそそったらしかった。

それかあらぬか、彼が処刑されてから十六日後の「ガゼット・デ・トリビュノオ」紙上に、奇怪な風聞を告げる記事があらわれた。すなわち、ポムレエの同僚の医者たちが、処刑後ポムレエの斬り落とされた首を用いて、ある種の生理学的実験を行ったらしい、というのである。

もちろん、これは単なる悪趣味な猟奇的な噂話にすぎなかったかもしれないのであるが、―小説家ヴィリエ・ド・リラダンは、この三面記事を短編の主題に利用して、あのぞっとするような不気味な物語『断頭台の秘密』を仕上げたのである。

物語の筋は、学士院会員でパリ医科大学教授である名声並びなきヴェルポオ博士(作者自身もよく知っていた実在の人物である)が、純粋に科学的な目的のために、やがて死刑になる医者仲間のポムレエに、ある実験に協力してくれと頼むのである。その実験とは、断頭台の刃がポムレエの首をすっぱり断ち切った後に、博士の合図に応じて、もしできるならば、右の目瞼を三度続けてぱちぱち閉じる動作をやってほしい、というのであった。

「断頭台の刃物が落下する際、わしはあんたの真向いに、機械の側に立っていますわい。できるだけ早く、あんたの首は死刑執行人の手から、わしの手に渡されますのじゃ…」とヴェルポオ博士は言う。

こんな突拍子もない実験が果して可能かどうか、ということになると、誰しも大いに疑問とするであろうが、―しかし、この短編のグロテスクな不気味な印象には比類がない。わたしの愛好する大ヴィリエの短編のなかでも、とりわけて傑作に属する一遍がこれである。


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Last-modified: 2005-05-08 (日) 23:31:59