後白河天皇(ごしらかわてんのう)、雅仁親王(1127年10月18日 -1192年4月26日) 平安時代の第77代天皇。 後白河天皇(ごしらかわてんのう)は、藤原氏、平氏、源氏の3つの一族を手玉にとったと言えるだろう。傷つくのはこれらの3つの一族で、後白河天皇(法皇)は影にかくれて、笛をふいている。そんなところであろう。確かに平清盛(たいらのきよもり)は後白河天皇(法皇)と互角以上に争った。だが、平清盛の死後は後白河天皇(法皇)の一人舞台(ひとりぶたい)である。平氏をほろぼした戦争上手の源義経でさえ、後白河天皇(法皇)のうまい話乗って源頼朝に反抗し自滅(じめつ)している。源頼朝は後白河天皇のことを「日本一の大天狗(だいてんぐ)」といってののしっている。その上、源頼朝は、後白河天皇が生きている間は征夷大将軍にはなれなかった。なれたのは、後白河天皇(ほうおう)の死後である。天皇の中でも最大の実力を持った天皇の一人であるといえるだろう。http://www5e.biglobe.ne.jp/~hakuga/rekisizinbutu/gosirakawatennou.htm |