人肉嗜食のことをアントロポファジー、あるいはカニバリズムという。この昔から知られている怖ろしい欲望には、いろんな動機があって、たとえば宗教や呪術の儀式の時に、信者が子供を殺して肉を食ったり、血を飲んだりするという習慣がある。肺結核や癩病をなおすのに、人間の肉を食えばよいという迷信もある。また未開民族が戦争や復讐で、敵を殺して食うのは、強い相手の力を自分の体内に取り入れ、自分のものにしようという気持からだろう。
 しかし、わたしがここで御紹介したいと思うのは、そんな種類の人肉嗜食ではなくて、エロティックな動機により、やむにやまれず人間の肉を食うという、いわば病理学的な範疇に属する人肉嗜食魔なのである。
 いったい、どうして人間の肉が食いたくなるのか。サディズムの衝動と言ってしまえば簡単だが、心理学の上からも、この問題は、まだ十分に解明されてはいないようである。しかし、それが一種の性的倒錯であるということだけは明らかで、犯罪史上に名高いヴェルツェーニ、ジョン・ヘイなどの告白を見ても、乳房を食い切ったり、流れ出る血を飲んだりすることが、性行為そのものよりも、どうやら彼らにとっては、はるかに大きな性的快楽の源泉となっているらしいのである。
 十九世紀半ばに起ったヴィンツェンツォ・ヴェルツェーニ事件は、クラフト・エビングの『性病理学』にくわしく報告されているけれども、女ばかり六人、首を絞めて殺して、その陰阜やふくらはぎに噛みつき、傷口から血を吸ったり、肉を噛み切って食ったりしたという、二十二歳のイタリア人の青年の事件である。女の首を絞めているうちに、強烈な勃起と射精が起るので、多くの場合、彼は首を絞めるだけで満足し、相手を殺さずに手を放すのだったが、たまたま射精がなかなか起らないと、死ぬまで絞めてしまう。
 発見された屍体はいつも全裸で、ばらばらに手脚を切断され、腹部は切り裂かれ、内臓もえぐられている。ふくらはぎの一部や陰阜の肉が、きまって見つからないのは、犯人が家に持ち帰って、焼いて食べるつもりだったからだという。こういう状態だから、ヴェルツェーニは殺した女の肉体に性器を接触させもしなければ、強姦もしなかった。
 ガルニエ教授が報告している、二十一歳のフランスの日雇い労務者ウージェーヌ某の話は、もっと奇妙な話である。一八九一年、パリのおまわりさんが、公園のベンチにすわっている一人の若い男を見て、肝をつぷした。その男は、鋏で自分の左腕の肉を切り取ろうとしていたのである。
 おまわりさんが話を聞いてみると、この青年の頭の中には、十三歳の子供の頃から、一種の官能的な妄想がこびりついていて、色の白い若い娘の肌を見ると、彼はどうしても、その娘の肌の一片を噛み切って、むしゃむしゃ食いたくてたまらなくなるのだそうである。しかし娘の肉を歯で噛み切るのは、かなり困難である。それで大きな鋏を買ってきて、街をうろつき、相手を物色していたが、なかなかチャンスがない。仕方がないから、自分の腕のいちばん柔らかそうな、いちばん白い部分を鋏で切り取って、これを頭の中で娘の肉だと空想して、食っていたのだという。
 精神薄弱か狂人に近いような人肉嗜食魔の例なら、過去の歴史にいくらでも見つかる。ザボロフスキーの報告には、一人の老婆を殺して、じゃが芋といっしょに煮て食ったという、頭のおかしな男の例がある。一九六二年といえば、つい最近のことであるが、この年の六月五日付「ウィーン新聞」 に、次のような奇怪な記事が載った。トルコのイズミル市の警察が、アルコール焜炉の上で、女の腕と脚をぐつぐつ煮ている男を逮捕した。男の言うところによると、「これはおれの別れた女房さ……」この男も気がふれていたのだ。
 色情狂の女にも、ときどき抑えがたい人肉嗜食の欲望にとらわれる者がいるらしい。十七世紀のミラノで、ある妊娠中の女が、隣家のパン屋の亭主を殺し、塩で味をつけて食ったという話が残っている。一六一七年、ハンブルグ発行のある医学書に、ちゃんと記載されている正真正銘の事実である。


 サド侯爵の小説『悪徳の栄え』のなかに、アペニン山脈に棲むミンスキーという人肉嗜食魔のエピソードが出てくるが、ベルリンの性科学の大家イワン・ブロッホ博士の考証によると、このミンスキーには実在のモデルがあるのだそうである。それはピレネー山脈に棲むブレーズ・フェラージュという山賊で、町へ出ては少年少女をさらってきて、彼らの肉を食っていたという怪物である。
 サドの小説のなかで・怖ろしい人肉嗜食魔ミンスキーは、次のような大演説をぶつが、まさか現実のモデルは、こんな超人的な能力の持主ではあるまい。
 「わしは当年四十五歳、わしの淫蕩の能力は、毎晩十回埒をあけなければ決して眠りにつけないほどだ。わしの毎日食っている莫大な量の人肉が、精液の量を増やし、精液を濃くするのに大いに役立っていることは、疑うべくもないことだ。ためしに誰か、この食餌療法を試みてみるがいい。たちまち、その男の淫欲の能力は三倍にもふえ、なおそのほかに、この結構な栄養物によって、力と健康とみずみずしさとが回復するだろう。わしがこの人肉をどんなに好んでいるかについては、多言を費すまい。論より証拠、一度でも味わってみれは、もうほかのものは食えなくなってしまう。獣肉にまれ魚肉にまれ、この人肉に比肩し得るほどの肉は一つもないのだ。最初はちょっと嫌な気がするが、そいつを克服して食ってしまえば、もう絶対に飽きるということを知らぬ。」
 まあ、小説の話をしていたら切りがないけれども、人肉嗜食を描いた有名な外国の文学作品といえば、フロべール『サランボー』、ヴォルテール『カンディッド』、スタンリー・エリン 『特別料理』、テネシー・ウィリアムズ『去年の夏、突然に』などがすぐ頭に浮かぶし、日本では、上田秋成『青頭巾』から江戸川乱歩『闇に蠢く』までの、猛烈なネクロ・サディズム(屍体加虐症)文学の系譜があることを思い出さないわけにはいかない。
 前に引用したイタリア人のヴェルツェーニは、女ばかり殺して食っていたが、若い男の子ばかり殺して食っていたという、やはり犯罪史上にも名高いドイツ人の肉屋、フリッツ、ハールマンという男もいる。「ハノーヴァーの吸血鬼」と呼ばれる、このフリッツ・ハールマンこそ、わたしの思うのに、おそらく、古今東西の人肉嗜食魔たちのなかのチャンピオンともいうべき人物であろう。


 ハールマンは同性愛者で、露出症者で、一種の誇大妄想狂でもあった。警察のスパイをやっていたこともある。一九一八年のドイツといえば、第一次大戦直後の混乱時代で、街には淫売婦や浮浪児が群れていたが、ハールマンは浮浪児のなかから目ぼしい少年を選んで、自宅へ連れてきては、同性愛行為にふけりつつ、少年の首を絞めて殺すのだった。そして肉切り庖丁で屍体を引き裂き、「今朝処分したばかりの仔牛の肉」として店頭にぶら下げたり、時にはソーセージにしたり、ステーキにしたりして客に売ったという。
 もちろん、自分でも肉を食べるのである。まず咽喉に噛みつき、屍体から頭が離れてしまうまで肉を喰らう。すると、その問に、はげしいオルガスムを感じるのであった。
 一九一八年から二四年まで、何と六年間も誰にも怪しまれずに、次々に少年を殺してはその肉を売っていたというから、まことに驚くべきことである。裁判では、二十八名の犠牲者の名が挙げられたが、本人はこれに大いに不満で、最後に死刑を宣告されて断頭台にあがる時まで、「おれは四十八名までおぼえている」とつぶやきつづけていたという。
 ハールマンには惚れた相棒がいて、その相棒は、ハンス・グランスという若い男娼だった。つまり、彼の「妻」だったわけで、いつもベッドでいっしょに寝ていたのはもちろん、少年誘拐および殺害の仕事も、彼が「妻」にそそのかされて行ったという面もあったようだ。同じ趣味だからよかったものの、そうでなければ、この「妻」も、ソーセージにされていたかも分らない。
 なにしろ肉屋だから、肉を切り刻むのはお手のものだし、服や前掛が血だらけになっていても、店頭に骨の一つや二つ転がっていても、それほど怪しまれないという利点があった。しかしハールマンも、何度か危ないところを逃れている。ある時などは、肉を買いにきた二人の淫売婦が、売り台の下に突っこんである大きな肉の魂りに、気味がわるくなって、その一片を警察に届けたことがあった。細かい毛の生えた皮膚の一部がついていて、人間の腎のような形だつたというから、考えただけでも気味がわるい。しかし警察では、「豚だよ、これは」と言って、笑って取り合わなかった。
 ハノーヴァーは河と運河の町である。一九二四年五月、河で遊んでいた子供たちが、少年のものらしい頭蓋骨を泥のなかで発見した。数週間たつと、また一つ、さらにもう一つ見つかった。それと同時に、少年の連続失踪が起った。ここで初めて、ハールマンに疑いがかけられたのである。ベルリンから派遣された腕ききの刑事が、美少年をおとりにして、様子をうかがっていると、果して、ハールマンは美少年を家に引き入れた。そこで強制ワイセツの疑いで、刑事が家に乗りこみ、部屋をさがすと、たくさんの少年の上着やズボンが出てきたのである。
 もうその頃は、「ハノーヴァーの吸血鬼」の噂は大へんなもので、裁判が行われるようになると、傍聴人がわんさと法廷に押しかける騒ぎだった。女の傍聴人が多いと、彼は機嫌が悪かったらしい。証人の供述がだらだらしてくると、彼は退屈して、葉巻を吸ってもいいかと裁判長にたずねたりした。−コリン・ウィルソンの『殺人百科』に、そんなことが書いてある。
 被害者について尋問され、数名の少年の写真を見せられたが、ハールマンは、そのなかのある者については、自分の犯行を否認した。その時の言い草がふるっていて、「こんな醜い少年には興味をもたない」と彼はうそぶいたのである。いかにも男色家らしく、彼には美意識があったのだ。
 同性愛と人肉嗜食に必然的な関係があるかどうか、それはわたしにもよく分らないけれども、少なくとも同性愛は、愛し合う二人のあいだに、サド・マゾヒスティックな対立関係を成立せしめやすいだろう。映画になった『去年の夏、突然に』をはじめとして、テネシー・ウィリアムズの作品は、すべてマゾヒストの主人公が中心になっている。
 フランスの医学者ルネ・アランディ博士の説によると、「あらゆる攻撃性の根源に消化の本能があることは疑いない」そうである。つまり、サディズムの最も原始的な、最も動物的な段階は、まず相手を歯で噛んで、咀嚼《そしやく》して、呑みこんで、胃袋のなかで消化して、ついには相手を無にしてしまうという形で現われるのである。それは動物を見れば分るし、小児を見れば分る。鞭でひっばたくとか、縄で縛るとかいうのは、この「消化の本能」にくらべれば、ずっと高級な、文明的なサディズムの段階であろう。


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Last-modified: 2006-08-19 (土) 10:56:18