史上でもっとも偉大な占星術師、すぐれた予言者として知られたノストラダムスの名を、たぶん読者は聞かれたことがあろう。宗教動乱の嵐が吹きまくった十六世紀初めのフランスで、ノストラダムスは、巧みに王妃カトリーヌ・ド・メディチの信任を得、数々のふしぎな予言をしては人々を驚かし、莫大な財産を残して、六十三歳で静かに死んだ。神秘な彼の名は、あらゆる文学作品のなかに引用されて、現代に語り継がれている。
 ノストラダムスのいちばん有名な予言は、当時のフランス王家に関するもので、アンリ二世の事故死(槍の試合で片眼を突き刺されて死んだ)や、その三人の王子の不吉な運命をぴたりと言い当てたものであるが、このエピソードは前にも書いたことがあるから、ここでは割愛しよう。彼の予言の伝説は、じつに驚くべきもので、近代でも現代でも、多くの学者が彼の予言能力をまじめに信じこみ、彼の奇怪な「予言集」に集められた難解な四行詩を研究しては、いろいろな解釈を下している有様なのである。
 ノストラダムス研究家のなかには、この十六世紀の天才的な予言者が、フランス革命やルイ十六世の死や、ナポレオンの権力奪取や没落や、さらには二十世紀の第一次世界大戦やスペイン戦争や、ロシア革命やヒットラーの死まで予言していると主張する者もある。彼の四行詩をいちいち引用しては、尤もらしく解釈しているのだ。なかにはこじつけのような解釈もあり、いささか眉つば物の感もないではないが、堂々たる学者が大まじめで研究しているのだから、一概に眉つば物ときめつけるわけにもいかない。
 ノストラダムスの「予言集」は『百詩篇《サンチユリー》』と呼ばれ、四行詩が百篇集まっている。異本はいろいろあるけれども、この 『百詩篇』が一つの予言集に七巻な
いし十巻も含まれているので、四行詩の数は全体で千篇近くにも達するわけだ。いま、そのなかの幾つかを翻訳してお目にかけよう。

イタリアの近くに一人の皇帝生まれん

イタリアは帝国に高く売られん

何たる連中と皇帝は徒党を組むことか

王と言わんよりは屠殺夫のごとし

 これは第一巻第六十番の四行詩で、学者の解釈によると、皇帝とは明らかにナポレオンをさしている。コルシカ島はイタリアの近くだからである。「高く売られん」というのは、一七六七年、ジェノヴァ共和国がコルシカ島の権益をフランスに譲渡した事実をさしている。ナポレオンが数々の大戦争で民衆の血をおびただしく流さしめたことは、誰でも知っていよう。「屠殺夫」とは、その意味である。


 ナポレオンが帝位についたのは、この「予言集」(一五五五年刊)が出てから約二百五十年後のことであるから、ノストラダムスの歴史を見通す能力たるや、まことに驚嘆すべきものがあろう。しかし、こんなことで驚いているようでは、とてもこの予言の大先生と付き合ってはいられまい。次に紹介する詩では、わたしたちの記憶に今なお新らしい、約三百五十年ないし四百年後の、二十世紀の諸事件をもぴたりと言い当てているのである。引用をつづけよう。

長く続きし乳の雨の後

ランスの処々方々で天と地とが触れん

その近くでは血の争いが起らん

王族は父も子もあえて近寄らざらん

 これは第三巻第十八番の詩であるが、第一次世界大戦を暗示しているという。一九一四年に大戦が勃発するまで、ヨーロッパは四十年間の平和を楽しみ、ブルジョワジーは我が世の春を謳歌したのである。いわゆるべル・エポックであるが、詩に出てくる「長く続きし乳の雨」とは、このブルジョワジーの繁栄を意味しているそうだ。ランスの町の近くは、有名なマルヌの激戦の行われた場所で、「天と地とが触れん」というのは、砲煙弾雨のために天地が接したように見える情景を詩的に表現したものだという。そして事実、この激戦地には、交戦国の王族は誰一人として近寄らなかったのである。

カスティリヤのフランコは議会を離れん

きらわれた大便は分派《シズム》せん

リビニール家は力をつくして

大渦巻の出現を阻止せん

 これは第九巻第十六番の詩であるが、二十世紀のスペインのフランコ独裁の成立過程を予言しているのである。一九三六年、人民戦線派が勝利するや、フランコは共和派の報復を受けて、カナリー諸島に一時左遷されたことがある。「分派せん」とは、この意味であろう。「リビエール家」というのは、フランコの前にスペイン独裁政治の基礎を築いた軍人プリモ・デ・リベラの一族で、「大渦巻」というのは、世界に禍の種をまく共産党のことである。こんな風に解釈してみれば、歴史的事実とぴったり符合するのである。なお、分派を意味する「シズム」という言葉は、ファシズムと語呂が合っているから奇妙である。

町を追われた巨大な番犬は

奇妙な同盟に腹を立てん

野原で鹿を狩りし後

狼と熊とは互いに疑心暗鬼を生ぜん

 第五巻第四番の四行詩である。これは第二次世界大戦中のエピソードを予言している。「巨大な番犬」とは英国首相チャーチルで、ドイツの空襲のためロンドンの町を避難したのである。「奇妙な同盟」とは、全世界を当惑させた例の独ソ不可侵条約のことである。「鹿」はボーランド、「狼」はドイツ、「熊」はロシアであり、ドイツとロシアはボーランド分割後、ふたたび仲が悪くなる。首尾一貫した、みごとな解釈というべきだろう。

自由は回復されざらん

腹黒く、卑しく、慢心せる者が自由を占有せん

海の物質がヒステルにより操作される時

ヴエネツィア共和国は困惑せん

 第五巻第二十九番の詩であるが、この詩はかなり難解である。しかし学者の解釈によると、これはヒットラーがヨーロッパを制圧していた頃の状況を暗示しているという。「腹黒く、卑しく、慢心せる者」とは、もちろん独裁者ヒットラーのことであり、ヒステルHisterというのも、Hitlerという文字の綴り変えだという。「海の物質が操作される」というのは、首をひねらざるを得ないが、何のことはない、これはドイツの潜水艦作戦を意味しているのだった。そして「ヴェネツィア共和国」は、昔の海上王国だから、海に囲まれた大英帝国を意味していたのである。デーニッツ提督のUボート作戦によって、イギリスは大いに悩まされるというわけである。

飢えに狂った野獣は河を渡らん

大部分の陣営はヒステルに敵対せん

かくてゲルマンの子は一切の掟を破り

勝者は鉄の檻を引き出さん

 これは第二巻第二十四番の詩であるが、申すまでもなくドイツの敗北を予言している。「野獣」とは、戦争に負けたみじめな民衆である。敗色が濃くなってくると、ナチスの軍隊は戦時国際公法を無視して「一切の掟を破り」、ユダヤ人虐殺などの計画を一段と強化し出すのだ。やがて連合軍は勝利すると、ナチスの戦犯を逮捕し、ニュールンベルク裁判で彼らに苛酷な刑を課する。「鉄の檻」とは、この意味であろう。
 このように、ノストラダムスのめざましい予言は、第一次大戦から第二次大戦終結までの、数多くの二十世紀のエピソードを歴史の流れに沿って、忠実になぞっているらしいことが分るだろう。もちろん、ここに引用したエピソードは、そのうちのごく限られた一部分であって、実際には、もっともっと沢山の四行詩が、さまざまな歴史の局面をそこに反映していることは、わざわざ断わるまでもあるまい。
 ここでぜひとも引用しておきたいのは、次の四行詩である。それは第二巻第九十番の作品である。

ハンガリアの支配は決定的に変り

法律は務めよりもきびしくならん

大都市には怨嗟の声がみちみち

カストルとポリュクスは闘争せん

 お分りだろうか。これは一九五六年、ソヴィエトの圧制に抗して立ちあがったブダペストの民衆の反乱、いわゆるハンガリー事件を予言しているのである。ソ連軍の戦車の前に、反乱はあえなく消え去ったが、この事件が全世界にあたえた影響は甚大だった。
 ただ一つ、曖昧なのは最後の詩句である。「カストルとポリュクス」は、ギリシア神話に出てくる双生児の兄弟の名であるが、いったい、この兄弟問の闘争とは何を意味しているのだろうか。カダルとナジの対立であろうか。それともロシア共産党とハンガリー労働者党との、ひそかな反目であろうか。なにしろこの事件は、まだわずかに十数年前のことなので、今後どのような隠された事情が明らかになるか知れず、決定的な判断を下すことは極度にむずかしいのである。


 今まで述べてきたところは、すべて現在のわたしたちから見て、過去の事件に関する予言ばかりであった。しかし一部の学者の意見によれば、ノストラダムスの予言は、二十世紀をはるかに越えた、もっと遠い先の未来にまで及んでいるという。たとえば第三次世界大戦とか、原子爆弾の濫用とか、地球の崩壊とかいった、おそろしい未来の破滅的な光景まで、ノストラダムスはちゃんと予言しているらしいのである。しかし、こればっかりは当るも八卦、当らぬも八卦で、何とも言えたものではなかろう。一つだけ、未来に関する予言を引用しておこう。第十巻七十二番の四行詩である。

千九百九十九年七月

空から恐怖の大王舞い下りん

アングレームの大王復活し

その前後にマルスが支配せん

 どうもこれだけではよく分りかねるが、とにかく西暦一九九九年七月に、おそろしい大戦争が起って、空から爆弾が降ってくるということらしい。「アングレームの大王」というのは、アンダレーム伯と呼ばれたシャルル・ドルレアンの子フランソワ一世のことでもあろうか。マルスは戦争の神だから、やはりこの詩は、凄惨な大戦争の時代を暗示しているもののようである。一九九九年といえば、今から二十九年後のことだ。気になる話ではないか。
 予言とか占いとかに熱中する傾向があるのは、なにもノストラダムスの生きていた、十六世紀の愚昧な民衆ばかりではない。二十世紀のわたしたちだって、神秘や謎は大好きなのである。そうでなければ、週刊誌にあれほど各種の占いの記事が出るわけはないし、占星術の本があんなに売れたりする道理もないのである。
 もしかしたら、ノストラダムスのような人物は、そうした人間の弱味をちゃんと見抜いていて、思うように彼らを操っていた老檜な人物だったのかもしれない。自分の洩らす言葉に一喜一憂する無邪気な人間どもを眺めては、腹の庶でひそかに喋っていたのかもしれない。ミスティフィカシオン(他人を煙にまくこと)という言葉があるが、ノストラダムスこそは、まさにこの道の大家というべきで、もっばら他人を煙にまくことによって、彼は危険な陰謀や異端迫害の時代を巧みに生き抜いたのである。彼の生き方を以て範としたいと思うのは、わたしはかりではあるまい。


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Last-modified: 2006-08-19 (土) 10:56:19