久生十蘭 復活祭
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復活祭
一
二時半に食堂部が終ると、外套置場と交換台に当番をおいて...
八時から昼食までの伝票を分けて室別になった整理棚《ファ...
なにがあるのか、きょうはめずらしくきちんとドレスアップ...
「いらっしゃいぐらいいわないのかい」
「いらっしゃい」
「おかしなところに座りこんでいるよ。ラウンジへでも行こう...
「ここでいいじゃありませんか。どこだっておなじよ」
「タバコを買い忘れた。ひとつわけてもらおうかな」
「そのへんにこないだのアーケディアが残っているはずよ」
「そのへんって、どのへんだ。まあすこし立ちなさい」
「デスクの抽斗《ひきだし》だったかな。おぼえていないわ。...
「これァ神経衰弱だよ。君のマザアも動きたがらなかったが、...
川田は帳場へ入ってアーケディアの罐を探してくると、とな...
年のせいで咽喉の皮膚がたるみ、酒焼けなのか潮焼けなのか...
「今日は三交替《シフト》だから身体があいていたんだね」
「そう。これから寝に帰るところ」
「こんないい陽気にフラットへ寝に帰る。そうくすんでいちゃ...
「どうしたかしら。知らないわ」
「ユウのマザアも惚れるってことをしないひとだった。古代雛...
「母に似たいと思ったこともないけど。しようがないでしょう...
「それはそうだが」
「西洋のえらいひとがいってるわ。恋愛だの、野心だの、そん...
「人間の命も金とおなじようなもんで、いろいろな釣合いで成...
鶴代は十四の年、母に呼び寄せられてアメリカへ行った。田...
そのころ川田淳平は桑港《サンフランシスコ》の日本人街で...
紐育の法人会は外交官や銀行関係を代表する一派と、店員や...
鶴代の母の店も第三街のまん中にあった。小原東城の縄張《...
三年後に母が死んで、鶴代とアメリカの縁が切れ、日本へ帰...
川田は開戦直前の十一月、エレベーター付五階建の「三笠」...
「ユウがマザアとシスコへ来たのは、あれは何年だったろう。...
鶴代は川田の横顔をじろじろながめながら、本牧《ほんもく...
「川さん、きょうはさかんにユウのマザアが出るわね。どうし...
「どうした、ってのは」
「むかしがなつかしくなるのは危険な徴候だわ。またはじめて...
「馬鹿なことをいってる」
「ドレスアップしていったいどこへ押しだすつもりなの。そん...
「捨てたってかまわないが、まあもうすこしこうしておこう、...
なるほど今日は復活祭だった。白領コンゴ、エジプト、ギリ...
「今日は復活祭だったわね。こんなところでもっさりしていな...
「そんなものがあるなら、まっすぐそっちへ行くよ」
「じゃ、ドレスアップして、あたしのところへ来てくれたって...
「ラウンジでユウの顔をみながら、コクテールでもやろうと思...
「わびしいことをいうわね、川さん。じゃ、どこかへ遊びに行...
「えッ、そうかい。そういいたかったんだが、ユウはむずかし...
「面白く遊べそうなところあって」
「そうだな、あそこはどうだろう。昨夜、プレジデント・ライ...
二
岸壁の端から車止めの柵のそばまでセダンやジープがずらり...
鶴代は借りもののフロックがさっきほど気にかからなくなり...
バア・ルームのつづきが広い舞踏室《ダンシング》になって...
男と女の組が糸で釣るされた操人形さながらに、死んだよう...
「これはなんというダンスなの」
「ソムビイだよ。アメリカで戦前に流行《はや》ったワルツの...
川田に腕をとられながら赤いネオンサインのついた隣のバア...
川田はバアのトバ口で足をとめると、鶴代に顔を寄せてささ...
「東城がいる。小原東城さ。ユウは知っているはずだ」
鶴代は胸苦しくなって、大きく息を吸いこんだ。
東側《イーストサイド》の貧民窟へすべりこんだ、第二街と...
母に肩を押されながらホールへ入ると、小原がすらりと椅子...
「よう、来たね」
といいながら、ゾッとするような美しい手をさしだした。
友達と手をひきあったことはいくどもあるが、握手というも...
小原は、なるほど握手とはこんなふうにするものかと、田舎...
「よく来たねえ、たいへんだったろう。なんといったってこの...
と、浪花節の裏枯れ声でいった。鶴代は小原の顔をみつめた...
鶴代は紐育までの汽車の中で、当然、父の話がでるものと期...
そのころの小原は、プリンストン大学卒業という触れこみで...
日本へ帰ってからも、ときどきなにかのついでに小原の噂を...
川田の話では高級《ハイ・ブラウ》のナイト・クラブをマン...
小原はグラスを置いてタンブラーの水をひと口飲むと、眼に...
「よう、どうしたい」
小原は川田を見て冷淡にうなずき、足をとめて鶴代の顔をな...
「ツルさんだ。こりゃおどろいた。ずいぶんひさしぶりだった...
軋《きし》るようなれいのしゃがれ声でいいながら、なつか...
歳月の力も小原には作用しなかったのだとみえる。どんなに...
二十年前、六十五丁目のみじめなホールで握手した、これが...
「しばらくでした。あなたはちっともおかわりにならないわね...
「あれはたしか昭和三年だった。するとユウは三十二か。まっ...
小原は手にものをいわせようというふうに、言葉の切れ目切...
「さっき舞踏室《アンシング》でチラと見たとき、どうも似た...
そこまでいいかけたとき、川田はじれったくなったのか、
「お話中だがね、小原君、ミイたちはまだえさについていない...
小原は離さずにいた鶴代の手に気がついて、それとなく手を...
「飯ならミイもいっしょに」
「いや失敬しよう。ユウのサブ・スタッフ(涙物語)を聞いた...
川田はニベもない口調ではねつけた。小原の顔がみるみる額...
「ユウはそれをミイにいうのか」
川田はとぼけた笑顔で、
「誰にいうもんか、小原東城にいってるんだ。それがどうした」
いぜんのような白々とした顔になると、小原は苦笑しながら、
「それもそうだ。じゃツルさん」
と鶴代のほうへちょっとうなずいてみせ、舞踏室を通ってタ...
三
遊びほうけたあとの憂鬱が身体にしみとおり、わけもなく飲み...
空は無色になって、夜が明けかけてきたが、人気のない広い...
鶴代はフラフラしながらB甲板のほうへ上がって行った。非...
鶴代は船室の鉄の側壁に凭れて目を伏せた。小原の生活の裏...
との曇った冷たい朝で、風が波しぶきといっしょに顔をうっ...
なにもかも一転瞬の夢だった。船室の扉のノッブの感触がそ...
岸壁とウイルソン号の間は雑物をうかべたぞっとするような...
「飲みすぎた。今日は沖へ行くのが辛いぞ。ユウはどうもない...
「頭がすこしぼんやりするだけ。面白かったわ。でも川さん、...
「そんなことはどうでもいい。さあこれでお祭はすんだ。早く...
川田はしおれて小さくなった襟のミモザの花をぬいて海へ捨...
薄靄《うすもや》のかかった朝の町をジープが飛びあがるよ...
お祭はすんだ。観光ホテルのデスクで働いて、なんというこ...
「ホテルへ帰るまでに話をつけてしまおう。五日前、ウイルソ...
「川さん、それはどういう話なの」
「小原はユウのファザアだ。それでミイがいった。親子の名乗...
「川さん、ファザアならファザアだと、なぜひと言《こと》い...
「ファザアだなんていったら、ユウが行くはずはないだろう。...
なんともつかぬ感動が鶴代の胸をしめつける。子供のころに...
「ごめんなさい、川さん。あなたに悪いことなんかなにもない...
ホテルへ帰ると、昨夜、ここのホールでも復活祭《イースタ...
まだ夢はつづいている。これからまたコツコツとドルを貯め...
「このドレスを大急ぎで調衣部《ランドリー》へ出して、二百...
ルーム・メイドにドレスを渡して帳場へ入ると、信号のあっ...
「今日は給食にくるんでしょう。どうもいろいろありがとう。...
と愛想よくいった。
終了行:
復活祭
一
二時半に食堂部が終ると、外套置場と交換台に当番をおいて...
八時から昼食までの伝票を分けて室別になった整理棚《ファ...
なにがあるのか、きょうはめずらしくきちんとドレスアップ...
「いらっしゃいぐらいいわないのかい」
「いらっしゃい」
「おかしなところに座りこんでいるよ。ラウンジへでも行こう...
「ここでいいじゃありませんか。どこだっておなじよ」
「タバコを買い忘れた。ひとつわけてもらおうかな」
「そのへんにこないだのアーケディアが残っているはずよ」
「そのへんって、どのへんだ。まあすこし立ちなさい」
「デスクの抽斗《ひきだし》だったかな。おぼえていないわ。...
「これァ神経衰弱だよ。君のマザアも動きたがらなかったが、...
川田は帳場へ入ってアーケディアの罐を探してくると、とな...
年のせいで咽喉の皮膚がたるみ、酒焼けなのか潮焼けなのか...
「今日は三交替《シフト》だから身体があいていたんだね」
「そう。これから寝に帰るところ」
「こんないい陽気にフラットへ寝に帰る。そうくすんでいちゃ...
「どうしたかしら。知らないわ」
「ユウのマザアも惚れるってことをしないひとだった。古代雛...
「母に似たいと思ったこともないけど。しようがないでしょう...
「それはそうだが」
「西洋のえらいひとがいってるわ。恋愛だの、野心だの、そん...
「人間の命も金とおなじようなもんで、いろいろな釣合いで成...
鶴代は十四の年、母に呼び寄せられてアメリカへ行った。田...
そのころ川田淳平は桑港《サンフランシスコ》の日本人街で...
紐育の法人会は外交官や銀行関係を代表する一派と、店員や...
鶴代の母の店も第三街のまん中にあった。小原東城の縄張《...
三年後に母が死んで、鶴代とアメリカの縁が切れ、日本へ帰...
川田は開戦直前の十一月、エレベーター付五階建の「三笠」...
「ユウがマザアとシスコへ来たのは、あれは何年だったろう。...
鶴代は川田の横顔をじろじろながめながら、本牧《ほんもく...
「川さん、きょうはさかんにユウのマザアが出るわね。どうし...
「どうした、ってのは」
「むかしがなつかしくなるのは危険な徴候だわ。またはじめて...
「馬鹿なことをいってる」
「ドレスアップしていったいどこへ押しだすつもりなの。そん...
「捨てたってかまわないが、まあもうすこしこうしておこう、...
なるほど今日は復活祭だった。白領コンゴ、エジプト、ギリ...
「今日は復活祭だったわね。こんなところでもっさりしていな...
「そんなものがあるなら、まっすぐそっちへ行くよ」
「じゃ、ドレスアップして、あたしのところへ来てくれたって...
「ラウンジでユウの顔をみながら、コクテールでもやろうと思...
「わびしいことをいうわね、川さん。じゃ、どこかへ遊びに行...
「えッ、そうかい。そういいたかったんだが、ユウはむずかし...
「面白く遊べそうなところあって」
「そうだな、あそこはどうだろう。昨夜、プレジデント・ライ...
二
岸壁の端から車止めの柵のそばまでセダンやジープがずらり...
鶴代は借りもののフロックがさっきほど気にかからなくなり...
バア・ルームのつづきが広い舞踏室《ダンシング》になって...
男と女の組が糸で釣るされた操人形さながらに、死んだよう...
「これはなんというダンスなの」
「ソムビイだよ。アメリカで戦前に流行《はや》ったワルツの...
川田に腕をとられながら赤いネオンサインのついた隣のバア...
川田はバアのトバ口で足をとめると、鶴代に顔を寄せてささ...
「東城がいる。小原東城さ。ユウは知っているはずだ」
鶴代は胸苦しくなって、大きく息を吸いこんだ。
東側《イーストサイド》の貧民窟へすべりこんだ、第二街と...
母に肩を押されながらホールへ入ると、小原がすらりと椅子...
「よう、来たね」
といいながら、ゾッとするような美しい手をさしだした。
友達と手をひきあったことはいくどもあるが、握手というも...
小原は、なるほど握手とはこんなふうにするものかと、田舎...
「よく来たねえ、たいへんだったろう。なんといったってこの...
と、浪花節の裏枯れ声でいった。鶴代は小原の顔をみつめた...
鶴代は紐育までの汽車の中で、当然、父の話がでるものと期...
そのころの小原は、プリンストン大学卒業という触れこみで...
日本へ帰ってからも、ときどきなにかのついでに小原の噂を...
川田の話では高級《ハイ・ブラウ》のナイト・クラブをマン...
小原はグラスを置いてタンブラーの水をひと口飲むと、眼に...
「よう、どうしたい」
小原は川田を見て冷淡にうなずき、足をとめて鶴代の顔をな...
「ツルさんだ。こりゃおどろいた。ずいぶんひさしぶりだった...
軋《きし》るようなれいのしゃがれ声でいいながら、なつか...
歳月の力も小原には作用しなかったのだとみえる。どんなに...
二十年前、六十五丁目のみじめなホールで握手した、これが...
「しばらくでした。あなたはちっともおかわりにならないわね...
「あれはたしか昭和三年だった。するとユウは三十二か。まっ...
小原は手にものをいわせようというふうに、言葉の切れ目切...
「さっき舞踏室《アンシング》でチラと見たとき、どうも似た...
そこまでいいかけたとき、川田はじれったくなったのか、
「お話中だがね、小原君、ミイたちはまだえさについていない...
小原は離さずにいた鶴代の手に気がついて、それとなく手を...
「飯ならミイもいっしょに」
「いや失敬しよう。ユウのサブ・スタッフ(涙物語)を聞いた...
川田はニベもない口調ではねつけた。小原の顔がみるみる額...
「ユウはそれをミイにいうのか」
川田はとぼけた笑顔で、
「誰にいうもんか、小原東城にいってるんだ。それがどうした」
いぜんのような白々とした顔になると、小原は苦笑しながら、
「それもそうだ。じゃツルさん」
と鶴代のほうへちょっとうなずいてみせ、舞踏室を通ってタ...
三
遊びほうけたあとの憂鬱が身体にしみとおり、わけもなく飲み...
空は無色になって、夜が明けかけてきたが、人気のない広い...
鶴代はフラフラしながらB甲板のほうへ上がって行った。非...
鶴代は船室の鉄の側壁に凭れて目を伏せた。小原の生活の裏...
との曇った冷たい朝で、風が波しぶきといっしょに顔をうっ...
なにもかも一転瞬の夢だった。船室の扉のノッブの感触がそ...
岸壁とウイルソン号の間は雑物をうかべたぞっとするような...
「飲みすぎた。今日は沖へ行くのが辛いぞ。ユウはどうもない...
「頭がすこしぼんやりするだけ。面白かったわ。でも川さん、...
「そんなことはどうでもいい。さあこれでお祭はすんだ。早く...
川田はしおれて小さくなった襟のミモザの花をぬいて海へ捨...
薄靄《うすもや》のかかった朝の町をジープが飛びあがるよ...
お祭はすんだ。観光ホテルのデスクで働いて、なんというこ...
「ホテルへ帰るまでに話をつけてしまおう。五日前、ウイルソ...
「川さん、それはどういう話なの」
「小原はユウのファザアだ。それでミイがいった。親子の名乗...
「川さん、ファザアならファザアだと、なぜひと言《こと》い...
「ファザアだなんていったら、ユウが行くはずはないだろう。...
なんともつかぬ感動が鶴代の胸をしめつける。子供のころに...
「ごめんなさい、川さん。あなたに悪いことなんかなにもない...
ホテルへ帰ると、昨夜、ここのホールでも復活祭《イースタ...
まだ夢はつづいている。これからまたコツコツとドルを貯め...
「このドレスを大急ぎで調衣部《ランドリー》へ出して、二百...
ルーム・メイドにドレスを渡して帳場へ入ると、信号のあっ...
「今日は給食にくるんでしょう。どうもいろいろありがとう。...
と愛想よくいった。
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