本/ゲーム理論(もっとも美しい数学
の編集
https://draconia.jp/memo/index.php?%CB%DC/%A5%B2%A1%BC%A5%E0%CD%FD%CF%C0%A1%CA%A4%E2%A4%C3%A4%C8%A4%E2%C8%FE%A4%B7%A4%A4%BF%F4%B3%D8
[
トップ
] [
編集
|
差分
|
バックアップ
|
添付
|
リロード
] [
新規
|
一覧
|
単語検索
|
最終更新
|
ヘルプ
]
-- 雛形とするページ --
(no template pages)
[[もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167651718/geek-22/]] ◯フォン・ノイマン 20マイル隔てたところにいる二人の人間が自転車で時速10マイルでお互いに向かって走り出した。一匹の蝿が時速15マイルでお互いの間を往復しするとすると、二人が出会うまでに蝿は何マイルを飛ぶか。という問題をフォン・ノイマンにした人がいた。 フォン・ノイマンは1、2秒で答えを出した。みんなは、タネを知ってたんだとがっかりした。ノイマンは、「タネだって?私は無限級数を足しただけなんだが」 ランド・コーポレーションがある難問を解くにあたって新しいコンピュータが必要かどうか判断するために、コンサルタントとして招いたときのこと、フォン・ノイマンは、その問題を暗算で解いてしまい、ランド社に新しいコンピュータはいらない、と断言したのだった。 ◯ケンブリッジ大学での実験。 二手に分かれ、池のあっちとこっちの、かなり離れた場所でパンを投げはじめた。片方では、5秒ごとに一切れ放り、もう片方では、もっとゆっくりと10秒ごとに一切れ放る。 こうなると、緊急かつ科学的に解決しなければならない問題が生じる。もしあなたがアヒルだったらなら、いったいどうしますか。これは簡単な問題ではない。 餌がどれくらいの速さで投げられるのかを知って(あるいは見て)いれば、ナッシュ均衡点を計算することができる。この場合も簡単に計算できて、すべてのアヒルがめいっぱい餌を食べられるのは、ゆっくりと餌を放る人の前に全体の3分の一が、そしてさっさと放る人の前に残りの3分の2が陣取る場合になる。 さて、実験の結果はというと、一分もすると、アヒルたちはそのことに気づいた。そして、ほぼゲーム理論で予測されたとおりの割合で、二つのグループに別れた。 ◯ケトレー 統計を使った社会の記述に関する論文を発表しはじめた。 ケトレーによると、人間の振る舞いはてんでんばらばらで、ややこしすぎて理解できないようにも思えるが、膨大な量を集めてみれば、なにか規則的なパターンが見えてくるという点が重要だというのだ。「一定の諸要因の影響下にある社会状況においては、それらの要因がもたらす結果はほぼ決まっていて、あたかも平均を示す定点の周囲を振動するかのように推移するだけで、顕著な変化は起こらない」とケトレーは記している。測定誤差を論じるときに用いられるのと同じ統計法則を使えば、一見混沌とした歴史の流れや出来事といったものの底に存在する予測可能なパターンを明らかにすることができるはずだ、とケトレーは信じていた。 とはいえケトレーは、このような統計に不用意な解釈を加えることがいかに危険であるかも、あわせて指摘している。というのも、ある研究者が、子どもを学校に通わせている地方の方が窃盗犯罪が多いという統計を示して、教育は犯罪の元だと結論していたのである。まるで今日ラジオのトーク番組で耳にする推論そっくりだ。このような愚かな推論に、ケトレーは毅然と非難を浴びせた。 ケトレーはまた、統計的なアプローチを使って特定の個人に関する結論を導いてはならない、ということを繰り返し強調した(これもまた、今日のメディア哲学者たちがしばしば忘れる自明の原則だ)。保険会社の死亡率の表を見ても、特定の個人がいつ死ぬかは予測できないのである。あるいは、ある一つの事例がひどく奇妙だからといって、それをもって、統計的な規則性に基づいて得られた一般的な結論が間違っている、ということも許されない。
タイムスタンプを変更しない
[[もっとも美しい数学 ゲーム理論 (文春文庫)>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167651718/geek-22/]] ◯フォン・ノイマン 20マイル隔てたところにいる二人の人間が自転車で時速10マイルでお互いに向かって走り出した。一匹の蝿が時速15マイルでお互いの間を往復しするとすると、二人が出会うまでに蝿は何マイルを飛ぶか。という問題をフォン・ノイマンにした人がいた。 フォン・ノイマンは1、2秒で答えを出した。みんなは、タネを知ってたんだとがっかりした。ノイマンは、「タネだって?私は無限級数を足しただけなんだが」 ランド・コーポレーションがある難問を解くにあたって新しいコンピュータが必要かどうか判断するために、コンサルタントとして招いたときのこと、フォン・ノイマンは、その問題を暗算で解いてしまい、ランド社に新しいコンピュータはいらない、と断言したのだった。 ◯ケンブリッジ大学での実験。 二手に分かれ、池のあっちとこっちの、かなり離れた場所でパンを投げはじめた。片方では、5秒ごとに一切れ放り、もう片方では、もっとゆっくりと10秒ごとに一切れ放る。 こうなると、緊急かつ科学的に解決しなければならない問題が生じる。もしあなたがアヒルだったらなら、いったいどうしますか。これは簡単な問題ではない。 餌がどれくらいの速さで投げられるのかを知って(あるいは見て)いれば、ナッシュ均衡点を計算することができる。この場合も簡単に計算できて、すべてのアヒルがめいっぱい餌を食べられるのは、ゆっくりと餌を放る人の前に全体の3分の一が、そしてさっさと放る人の前に残りの3分の2が陣取る場合になる。 さて、実験の結果はというと、一分もすると、アヒルたちはそのことに気づいた。そして、ほぼゲーム理論で予測されたとおりの割合で、二つのグループに別れた。 ◯ケトレー 統計を使った社会の記述に関する論文を発表しはじめた。 ケトレーによると、人間の振る舞いはてんでんばらばらで、ややこしすぎて理解できないようにも思えるが、膨大な量を集めてみれば、なにか規則的なパターンが見えてくるという点が重要だというのだ。「一定の諸要因の影響下にある社会状況においては、それらの要因がもたらす結果はほぼ決まっていて、あたかも平均を示す定点の周囲を振動するかのように推移するだけで、顕著な変化は起こらない」とケトレーは記している。測定誤差を論じるときに用いられるのと同じ統計法則を使えば、一見混沌とした歴史の流れや出来事といったものの底に存在する予測可能なパターンを明らかにすることができるはずだ、とケトレーは信じていた。 とはいえケトレーは、このような統計に不用意な解釈を加えることがいかに危険であるかも、あわせて指摘している。というのも、ある研究者が、子どもを学校に通わせている地方の方が窃盗犯罪が多いという統計を示して、教育は犯罪の元だと結論していたのである。まるで今日ラジオのトーク番組で耳にする推論そっくりだ。このような愚かな推論に、ケトレーは毅然と非難を浴びせた。 ケトレーはまた、統計的なアプローチを使って特定の個人に関する結論を導いてはならない、ということを繰り返し強調した(これもまた、今日のメディア哲学者たちがしばしば忘れる自明の原則だ)。保険会社の死亡率の表を見ても、特定の個人がいつ死ぬかは予測できないのである。あるいは、ある一つの事例がひどく奇妙だからといって、それをもって、統計的な規則性に基づいて得られた一般的な結論が間違っている、ということも許されない。
テキスト整形のルールを表示する