p39
問題は、私たちの目や両手にあるわけではない。車のハンドルは片手で操作できるし、携帯電話をにぎっていても道路に目を向けることは可能だ。実際の話、携帯をにぎりながらハンドルを操作する行動は、さほど認知能力を必要としない。車の操作はほとんど意識しなくても自動的にできる。・・・問題は車の操作能力への影響ではなく、注意力や意識に対する影響である。・・・ハンズフリーの携帯が、手動式にまさるという結果は出ていない。

p41
携帯で話していても、被験者のパスをかぞえる能力は損なわれなかった。予想外のものに気づく割合が減っただけだった。この事実から、携帯で話していても基本的な作業(決まった道路を走ること)は、相変わらずできているため、運転に支障はないと思い込むのだ。問題は、ドライバーが想定外の、危険をはらんだできごとを見落としがちになること。そしてそのような事態はめったに起きないため、日常体験からは学びにくい。

p54
注意力にまつわる錯覚がこれほど日常にあふれているのに、なぜ私たち人類は生き残ってこられたのだろう。私たちの祖先は、なぜ自分が見落とした外敵に食べられなかったのか。一つには、非注意による見落としと、それにともなう注意の錯覚が、現代社会の産物であるためだ。

P56
人間の脳にとって、注意力は本質的にゼロサムゲームである。一つの場所、目標物、あるいはできごとに注意を向ければ、必然的にほかへの注意がおろそかになる。つまり非注意による見落としは、注意や知覚の働きに(残念ながら)かならずついてまわる副産物なのだ。そのように、非注意による見落としの原因が視覚的な注意力の限界にあるとすれば、見落としを減らしたり取り除いたりすることは不可能だろう。

限界のある注意力を、どのように使い分けるべきか。その問題は、注意力の根本的な原則と関連がある。たいていの場合、非注意による見落としは大きな問題にならない。じつのところ、それは注意が働いている証拠でもある。意識を集中させられるという、たぐいまれな(そしてきわめて便利な)人間の能力が引き起こす現象なのだ。注意を集中させられるおかげで、私たちは気を散らさずに、限られた力を効果的に使うことができる。

P91
衝撃的で重要な事件に関するこうした鮮明でくわしい記憶を、「フラッシュバルブ記憶」と命名した。

P105
私たちの記憶のせんめいさは、それが呼び起こす感情と結びついている。たいていの人は、並んでいる数字を見ても恐怖や悲しみを誘われない。だが、911の記憶は恐怖や悲しみを誘う。これらの感情は記憶の正確さには影響をあたえないが、自分の記憶をどう捉えるかに影響をあたえる。・・・人は911のような感情に訴えるできごとを、(正確かどうかはべつとして)強く鮮明に思い出す。ディテールが鮮明で、強い感情をともなう記憶には要注意だー誤りである可能性が高いと同時に、記憶している人誤りに気づかないことが多い。
あいにく人は、記憶の鮮明さと感情に訴える力を、記憶の正しさを測る指針にする。鮮明で感情に訴える記憶には、自信をもつのだ。そして皮肉なことに人は、ほかの人の記憶についても、当人が記憶に対して抱く自信の度合で、その正確さを判断する。その正確さを判断する。

P140
問題は自身が性格の一種であり、自信の基本レベルが人によって大きく異なる点だ。その人がふだん示す自信の度合がわからない場合、ある瞬間に示された自信が本当に実力のあらわれなのか、それとも性格なのか判断ができない。

p141
私たちの誰もが、よく知らない人たちに何百人、何千人と出会う。そして相手の自信を目にし、相手について結論を下す。そんなふうに相手との縁が浅い出会いでは、自信は信号としてあまり頼りにならない。だが、小さな村のような社会(私たちの脳が進化を遂げたような狭い社会の)では、自信が相手の知識や能力を知るうえでの有効な信号になる。

P158
たとえば、水洗トイレについて。実際に質問に答えてみるまでは、自分にはそのしくみがわかっていると直感的に思う。だが、本当に理解しているのは、トイレの使い方(汚物を流す方法)だけかもしれない。・・・理解しているという自分の感覚は、錯覚であることが多い。トイレを使うとどんなことが起きるかを、どのようにして起きるかと取り違え、日常的に見知っているという感覚を、ほんものの知識と誤解してしまうのだ。

P202
私たちの資格は、顔や物体や文字を認識するときに、難問を解かねばならない。ものが見える

ものが見える条件は千差万別である。。光の強さ、光からの距離、光が射し込む方向、影になるぶぶn、目に入る色彩などなどの要素で見え方がちがってくる。視覚は、弱い音を聞くために微調整がきくアンプのように、同じものでも見る者が重要と考えるパターンに対して敏感にできている。じつのところ、視覚をつかさどる脳の部位は、”重要”とインプットされたものに少しでも似た姿形を見ると、活性化する。わずか5分の1秒で、あなたの脳は椅子や車などの物体と顔を識別する。・・・顔に似ている物体を見ると、紡錘状回と呼ばれる脳の部位が活性化する。この部位は、顔に対してきわめて敏感なのだ。つまり、顔に似たものを見たとたん、あなたの脳はそれを顔のように扱い、ほかの物体と区別して処理する。私たちが顔に似たパターンを見ると、ほんものの顔と同じように思うのは、一つにはそのためだ。

P208
陰謀論は、ゆがんだパターン認識から生まれるー人びとは相手に対する自分のパターン化した見方を、事件にあてはめた。それに沿って裏にある原因を推理し、自説の正しさに確信をもつあまり、もっと理にかなったべつの説明を見落とした。

p210
心理学入門の授業で、基本的原則として教えられるのが、二つのものの相関関係は因果関係とはちがうということだ。原因の錯覚をふせぐために、この原則を教わる必要があるのだ。ただし、抽象的な原則には、誇りに対する免疫効果はほとんどない。それを知りながら、原則を受け入れるのは非常にむずかしい。だがさいわい、錯覚の混入を見抜くための簡単な方法がある。ある二つのものの関連性を指摘する説に出会ったとき。それを実証するために実験をした場合、任意に人が集められるかどうか考えてみるのだ。経済的な理由や、倫理的な理由で無作為に人を集めることが不可能に思える場合、実験はできなかったはずであり、因果関係はうらづけられないとかんがえていい。

p212
この方法をあてはめると、こうした報道の誤りを笑えるようになる。たいていの研究者は自分の研究の限界を知っており、そうかんかんけいと因果関係はちがうことを理解しており、科学雑誌に載せるときは正しい論理と用語を使う。だが、その研究内容が大衆向けに「翻訳」されると、原因の錯覚が顔をだし、微妙な部分が無視されてしまう。報道では話を面白くして説得力あるものにするため、因果関係が誤って伝えられることが多い。

P236
説得力のある実話に影響された思い込みには、なかなか勝てない。・・・二つの文章があった場合、原因と結果がはっきり書いてあるものより、因果関係を推理する必要があるもののほうが強く記憶に残る。・・・個人的な体験は私たちの心に残るが、統計値や平均値は心に残らない。そして実話が私たちに強い影響力をもつのも、当然のことなのだ。私たちの脳は、事実として受け入れられるものは自分自身が体験したことと、信頼できる相手から聞いたものだけという条件のもとで進化した。私たちの祖先は膨大なデータや統計や実験は知らなかった。

p232
ビジネス書の著者たちは、自分が提唱する説にしたがっても失敗した会社がどれくらいあるか、あるいは自分以外の説にしたがって成功した会社がどれくらいあるか、めったに考えない。

自分の考えていた原因が錯覚だったと認めるのは、むずかしい。そして科学や統計の力が逸話をしのぐことは、もっとむずかしい。こうした逸話の威力を端的に示すのが、それが呼び起こす感情の強さだろう。

p258
ヴィカリーの「(サブリミナル効果に関する)実験結果」について耳にしたが、実験がでっちあげとは知らなかったという人も多いだろう。このパターンそのものが、未知の可能性に対する思い込みの根強さを証明しているとも言えそうだ。心理の謎に訴える新しい手法があるという主張は強い衝撃をあたえ、しだいに一人歩きを始めた。かたやその主張の誤りを証明する追跡研究は、ほぼ完全に無視された。

p265
ブレイン・エイジ(脳トレ)に挑戦すると、そのソフト特有の問題を解く能力は高まるが、新たに身につけた能力をほかの問題に応用できるわけではない。実際に、現在広く普及している脳トレーニング・ソフトの中で、研究室で練習した項目以外に応用が効いたという報告例はほぼ一つもなく、大半が狭い応用である。・・・クロスワードは、頭の体操が脳を活性化し、認知症その他の老化による弊害を防ぐと信じている人たちが、大好きなゲームだ。あいにくクロスワードをしていても、しない人と同じ割合で脳は衰えていく。脳トレは特定の技能を高めはしても、一般能力は向上させないのだ。

p267
チェスの名人は、自分の専門分野では七桁の数字よりはるかに多くの要素を記憶できる。・・・ある名人の試合からコピーしたチェスの局面図を、五秒だけ見せた。そして彼になにも置かれていないないチェス盤を渡し、いま見たばかりの局面を記憶だけで再現してもらった。駒は二十五個から三十個おほど並んでいたのだが、なんと彼は、ほぼ百パーセント正確に局面を再現した。
この見事な技を数回見せてもらった後、私たちはなぜそんなことができるのか彼に訊ねた。パトリックによると、チェスのグランドマスターは、チェスの局面を数秒見たあと、それを記憶だけで再現するような練習はしないという。自分はただ駒の並びを見て、その意味を瞬間的に理解し、駒同士の関連性をもとに駒をグループごとにまとめて捉えるのだと言った。・・・だが、チェスの名手でも、一般的な想像力や推理力や記憶力がいいわけではなかった。実際に、私たちが同じ数の駒をランダムに盤面に並べて見せたときは、彼の記憶は初心者以上ではなかった。

p281
認知神経学者アーサー・クレイマーは、肉体的な健康増進が認知能力にもたらす効果について、有名な実験をおこなった。「ネイチャー」に掲載されたその実験では、運動不足ぎみだが健康体のこうれいしゃ百二十四人を任意に集め、二つのグループに分けて六ヶ月のあいだそれぞれ別のエクササイズをしてもらった。有酸素運動ー毎週三時間のウォーキングーをするグループと、有酸素運動ではないエクササイズー毎週三時間のストレッチングとトレーニング(発声気功)ーをおこなうグループである。どちらのエクササイズも体によく、総合的な健康増進に役立つが、有酸素運動のほうが心臓の健康状態の改善と、脳の血流増加に効果がある。
当然ながら、どちらのグループにも期待どおり健康増進効果が見られた。だが意外だったのは、週に数時間だけウォーキングをした人たちの認知能力テスト結果が、大幅に向上したことである。とくに計画立案やマルチタスキングのような行動管理能力で、それが目立った。ストレッチングとトレーニングのグループには、認知能力への効果は見られなかった。・・・

エクササイズの効果は、行動と認知能力の改善にとどまらない。年齢を重ねると、たいていの人は脳脊髄の灰白質減少しはじめる(それが認知能力低下の原因の一つにもなる)。べつの臨床テストで、クレイマーのチームは任意に集めた高齢者を二つのグループに分け、前と同じように有酸素運動と有酸素運動ではないエクササイズを、それぞれ六ヶ月してもらった。ただし、今回はMRIを使い、トレーニングの前後に被験者一人一人の脳を完全に画像化した。結果は驚異的だった。毎週三日に一度四十五分んだけウォーキングをした高齢者は、ストレッチングとトレーニングのグループにくらべて、前頭部の脊髄灰白質が減少していなかったのだ。有酸素運動が脳をより健康にし、若い状態で保っていたことは確かだった。

意外に思えるかもしれないが、あなたの知的能力を長くたもつ最良のほうほうは、認知能力を鍛えることとほとんど関係がないようだ。脳を直接鍛える方法より体を鍛える方法(とくに有酸素運動)のほうが、効果がありそうだ。エクササイズは、激しいものである必要はない。・・・週に数回、適度な速さで三十分以上歩くだけでいい。それで行動管理能力が向上し、健康な脳が維持される。任天堂は脳を鍛えなさいと訴えているが、椅子に腰掛けて脳トレ・パズルをすることより、自宅の周辺を何度か歩く方がはるかに効果が高そうだ。エクササイズは脳そのものの健康度を高め、認知能力を大きく向上させる。かたやパズルは、あなたの寿命にも健康にもスタイルにも、変化をもたらすわけではない。


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