3日目:残波ビーチ

 本当は灯台から、断崖絶壁を望む場所に行くつもりだったが、車の流れに乗って走っていたらビーチの傍の駐車場に入ってしまった。ちょうど空いたところもあったので、停めて砂浜に行く。

 親達はでかいカメラに三脚をつけて運んでいる。ご苦労なことだ。俺は、IXYで子供達の写真を撮った。

 砂浜にいる人が示し合わせたように沈んでいく太陽を見ていた。太陽に向かって「バカヤロー」と叫ぶ人はいなかった。

残波ビーチの紹介残波岬の場所

3日目:沖縄市・パークアヴェニュー

 沖縄市というと沖縄県の県庁所在地かと思ってしまうがそうではない。以前はコザと呼ばれていた。そう、コザというと米軍の兵士が我が物顔で歩いていて、米兵目当ての怪しい商売の集積地のようなイメージを持つ。その、コザだったところだ。

 独特な雰囲気の商店街だ。多分夜の街なのだろう。昼間は白っぽくて土産物屋以外は眠っているようだ。ライブハウスの入り口も昼間は小汚く存在感を失っている。

 ここにきて思い出したのは、新しい大型店舗が郊外にできために地盤沈下を起こした旧商店街。あるいは、バイパスができたために寂れた旧国道沿いのガソリンスタンドだった。夜になって、米兵が繰り出す時間帯にこそ輝くのかもしれないが、閉まったままの店も多いと見た。

 放出品やアロハ、Tシャツなどが安い。迷彩のフィールドジャケットが2000円程度である。アロハは1000円。シルバーの指輪も種類が豊富ですごく安い。

 ここは地元の若者が買い物に来るところではないのだろう。夏休みなのにほとんど中高校生の姿を見なかった。少しはなれた場所にもう少しにぎやかな商業施設が並んでいたので、地元の若者はそっちに行くのかもしれない。

 地域振興のための「インターネット無料体験コーナー」があったので、少しここのメンテナンスをしたりもしたかったが、無料の地元振興施設に旅行者が入るは抵抗があってやめた。むしろ、有料のネット・カフェのほうが入りやすかったかな。それと、無料の職業斡旋サービスというものを公共団体がやっているらしく、若い人の後ろ姿が見えた。無料職業紹介誌が若者向けの店の入り口やレジ横においてあるのもいたるところで見た。失業率の高さを考えさせられる光景だった。

 少し早目の夕食をチャーリータコスでとる。ガイドブックにも載っている有名な店らしい。店内には、来店した有名人(?)の色紙が一杯張ってある。「おっ、華丸・大吉がある」と、観光客らしい盛り上がりで楽しむ。店は適度に古く、いわば、田舎の食堂のイメージだ。大阪ならしにせのお好み焼き屋みたいものだろう。

 店のタコスを食べるのは初めてだったので比べる対象は自分で作ったものしかないが、なかなかおいしかった。ロックフォードが屋台で食べているイメージが強いので、マクドナルドのハンバーガーのように一つ一つ紙で巻いて出てくるのかと思ったら、バスケットに3つ単位で出てくるので食べにくい。手でしっかりとホールドしてかぶりつくのがコツか。

 駐車場は商店街の共同駐車場があるので安心。しかし、狭い通りを通って行くので、カーナビの設定をシビアにすることとゆっくり走ること。駐車場は安い。

 飲み屋の意中の女性を連れて入るような、本国に帰るときに恋人や妻に土産を買うような、宝石店。

 こちらは、アーケードのついた生活に密着した商店街。主婦や子供連れが買い物に来る地方の商店街。ここの薬局でかゆみ止めを買った。こういう生活臭のするところにくると、少しほっとする。

最新コザ・レポートパークアヴェニューの場所

3日目:ビオスの丘

 旅行会社がくれたパンフレットに入っていたサービスチケットでビオスの丘というものがあることを知った。植物園のようなところに行きたいという要望があったし、チケットにジャングル・クルーズっぽいアトラクションがあるので子供達も退屈しないだろうと思って行った。宿から近かったこともある。

 良く整備された広い自然公園のようなところだった。ジャングルクルーズはディスニーランドのような乗りで運転の兄さんが客いじりを交えながら、退屈しないように説明をしてくれる。クルーズで観られるのは人工湖だが、ディズニーランドのようなプラスチックの作り物ではない。

 野生の蘭が寄生しているということや沖縄にも松くい虫が発生(というより、持ち込まれたというべきだろう)しているということを知った。

 その後、順路に沿って一回り。ロープの長いブランコとかフィールド・アスレチック風の遊具があって、観光に飽きて退屈している小さな子供がいる場合には、リフレッシュできていいだろう。広い芝生の公園は大人が歩いていても気持ちがいい。特に、慣れない道の運転でストレスがたまっている運転手にはなおさらだろう。

 ここで昼食。タコライスを食べる。

 バオバブの木ではないかと思うのだが、なぜそう思うのかは自分でも分からない。これと形が似ているからかな・・・

 常緑広葉樹林。本当に隙間がない。日光の恵みが多いために、高緯度地帯では枯れてしまうような場所にある植物が生長できるのだろう。こんなジャングルを切り開いて歩くのは恐ろしく体力を消耗するだろう。

ビオスの丘オフィシャルサイトビオスの丘

3日目:今帰仁城跡

 琉球王朝の出城跡。北から向かってくる敵を迎え撃つための要塞ようなものか。それは、楼蘭城や長城のように石を積んで作った城壁からなる。山の上にこれだけ容積の石を運び・積むのには大変な労力がかかったことだろう。

 元寇襲来に備えて、鎌倉幕府が北九州に作った石積みの長壁(?)とも通づるものがあるのかもしれない。

 この城は、数百年に渡って強化改修を加えられて、古い地形そのままの石畳から、多分に人工的な直線的な道路までが折り重なっている。後期の回廊は直線的で、防御という実務より美的な満足感追及と国威啓示へと欲求が偏っていくのが分かるようだ(このへん、全然歴史を知らないのではずている可能性も高い。興味がある人は参考サイトに当たってくれ)。

今帰仁城跡の場所

2日目:夕食

 水族館から出て58号線に入りひたすら南下。きれいな夕日が見える場所と時間があれば恩納村の放出品ショップを見たいと思っていた。しかし、水族館から58号線に合流する道が渋滞して1時間以上かかったので、予定は大幅に狂った。

 路肩の空き地で日没を迎えたが、雲が出てきれいな夕焼けにならなかった。その後、ガイドブックに載っていた海ブドウという店に行ってみたが、駐車場はfit(レンタカー仕様)で埋められていて、ホンダのショールームのようだった。店の外にまで人が並んでいたので、迷わず引き返した。

 途中、58号線そいのレストランで食事にした。チェーンファミレスより少し高級な感じのところで、地元のカップルや若いグループ、家族連れも沢山来ていた。席待と料理待で45分近くかかった・・・俺はよく休めてたすかったが。今日もホテルに着いたのは10時頃だった。

 出てきたのは普通のレストラン料理。おきなわのおの字すら感じさせないが、なかなかおいしかった。或る意味、これが海人の普通の外食料理だろう。北谷町のマクドナルドとおんなじだ。沖縄の人が毎日沖縄料理を食べているはずが無い。京都人が毎日ゆばを食っているわけではないのと一緒だ。俺だって、三田牛の本場に住んでいるが、三田牛の肉なんてほとんど食ったことがない。

 満員だった海ぶどうに地元の人が行くのは、遠方の客があったときだけだろう。

2日目:美ら海水族館

 世界最大規模という水槽。じんべいザメが3頭も一つの水槽にいるのはここでしか見ることができない。夏休み終わり前だからか、人も多く混雑していた。観客の言葉は、外国語も関西弁も関東弁も沖縄弁も混じりあっている。沖縄県民の観光客を見るのはここくらいしか無い。

 館内は圏外なので、はぐれた場合は外に出て連絡を取る必要がある。気を付けろ!



ジンベイザメが近くに来たら一部しか入らない。エイの泳ぎ方がすきやなあ・・・



 ここにしかないお土産があるので、義理じゃない土産を買う必要がある人は要チェック。ジンベイザメ関係がお勧め。


小さな海岸に降りることもできる。ここでも、危険動物に対する注意書きがしてある。

美ら海水族館オフィシャルサイト美ら海水族館の場所

 朝から両親は島の北部に写真行。子供達は海水浴。朝のうち何回か雨が降っていたが、灼熱のカンカン照りよりは楽だった。俺は、機能の疲れもあって、食後9時半頃まで部屋でゴロゴロしてリフレッシュした。

 ホテルの前は、ウッパマビーチという海岸が広がっている。ただし、くらげや海蛇がいるらしく、網で仕切られた内側を泳ぐように強く推奨されている。BGMで流されるのはラバーズロック系メロディアス・レゲエで白い砂浜、や積乱雲にあっていた。実際、ジャマイカの海岸がこんな感じなのかどうなのかは知らないんだけどな。

 白っぽい海岸は珊瑚が砕けてできたもののようで、波打ち際は珊瑚の割れたもので一杯だ。水中もほとんど珊瑚で覆われていて、裸足で歩くことは危険だ。

 仕切りは余りに狭いので、外に出たら色々と関西の海では目にしない生き物がいた。一番可愛かったのはふぐ。他に、すごく気の強いカラフルな熱帯魚がいて足を攻撃された。縄張り意識が強いらしく縄張りに入ってくるものに攻撃するようだ。後、巨大なナマコと小さなウニ。ヤドカリもいた。

 ただ、遠浅で珊瑚だらけの海よりは、プールのほうが泳ぎやすいらしく、子供は海とプールを往復して楽しんでいた。シャワーを浴びてプールに入ることで塩分を落とせるし、そのまま部屋に来れるので快適だった。これは、たまたまだが、バンガロー部屋のメリットだ。普通のアパート風の部屋なら、浜から水がしたたったままで部屋まで帰って「タオルとって〜」はできないから。

 3人でドラゴンボートに乗ったり、昼食にソーキそばを食べたりして過ごした。海辺の独立系食堂のソーキそばは豚肉がでかすぎて食べにくいほどだった。ここは、カウンターの横にラジカセを置いて、地元放送局っぽいラジオを流していて、レゲエとはまた違った趣で情緒があった。

 独立系の食堂は地元の爺ちゃんとばあさんがやっていて、夏休みの子供達が自宅のように暴れまわっているようなところだった。俺の見た範囲では俺達以外だれもそこで食べた人はいなかった。子供達の親はどこかに勤めに行っているのだろう。俺達にとってものめずらしい海も、彼らにとっては日常の一部であり、俺達は退屈な夏休みに通り過ぎる雲のようなものに違いない。

 これは後になって気付いたことだが、これだけ海に近いというのに潮の臭いがしない。俺は、山派なので、海の近くの潮っぽい臭いが苦手だ。まして、漁村の臭いは大嫌いだ。しかし、沖縄にいる間、何回も海辺の道を走ったし、浜にも降りたが、潮の臭いは全くしなかった。

リゾートホテルベルパライソ

 泊まったのはこのリゾートホテルベルパライソ。

 着いたのは9時45分。カーナビが山道好きなせいもあるが、カーナビが無ければ絶対にたどり着けなかったと思うような道を通ってたどり着いた。駐車場には、わナンバーのfitがいっぱい。ホンダのディーラーの駐車場みたいだ。しかも、ほとんどがシルバーかメタリックライトブルー。

 鍵を渡されて場所の説明を受ける。ベルボーイや案内は無い。ビジネスホテルのノリだ。うっとうしく干渉されるより俺は好き。部屋は、外のバンガローのような別棟の小さな建物のうちの一角だった。中に入ると、ベッドが5つ並んでいてホッとした。畳部屋に通されるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたのだ。なんせ安いからなあ。

リゾートホテルベルパライソベルパライソの場所