デマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えるのは世の習い

photo fox mask これらは錯覚の科学に記載されていたこととほぼ同じだ。「人は見たいものを見る」「人は見た(と思った)ものやことを真実と信じやすい」「人はこれまでの経験(あるいは偏見)や自分の主張(あるいは好み)に沿わない情報を軽んじる」というのは反射的に行われるといってもいい。なので、正しい知識を広めようにも、聞く側にその気がなければ伝わらない。そして、聞く側をその気にさせるのは話者との関係性や話者の見た目、社会的地位などで大きく左右される。

 しかし、このことはネット上で起こることではない。実社会でも「ネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消え」ている。ネットが普及し社会そのものになってきたということだろう。これがいいことか悪いことかは分からない。

なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp

なぜデマや陰謀論はあっという間に人々に拡散され、長く話題になり続けるのか。それを科学的に明らかにすべく、IMTルッカ高等研究所のウォルター・クアトロチョッキは、SNS上で特定の情報が伝播するメカニズムをリサーチした。

「遺伝子組み換え農作物は健康に有害」「予防接種は自閉症の発生率を高める」「地球温暖化は人為的なものではない」…。こうしたデマや懐疑論、陰謀論は、複数の研究機関がいくら反証を唱えようと社会のなかで長い間くすぶり続ける。一方で、人間社会の前進に必要である科学的な知見は、デマや陰謀論のように長期間、世間の話題には上らないものだ。
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気の持ちようで毎日がサンデー:偽薬とわかっていても、プラシーボ効果を得られる?

 「気の持ちようで毎日がサンデー」というのは Rankin taxi の「サヨナラ好きになった人」の一説だが、心理学的にも証明された。

 ただし、記事にもあるように、証明さたのではなく「ある実験でこのような、これまで考えられていたものと違う結果が出たよ」という程度だ。そして、症状というのが第三者が客観的に測定できるようなものではない、自己申告によるものであるという点も重要だろう。また、この実験がプラシーボの効果を判定できていない可能性があることにも注意が必要だ。「偽薬であることを知らせた上で偽薬を与えたグループ」と「偽薬と知らせずに偽薬を与えたグループ」の違いを調べないといけない。

 それらは置いても興味深い。結局、治療効果は治療や施薬そのものだけでなく、「薬を手渡される」というコミュニケーションによっても補完されているということだろう。コンタクトが増えることは「お医者さんに診てもらう」「看護師さんに暖かい声をかけられる」ことと同じ心理的効果があるのかもしれない。これらがもっと物理的な治癒、例えば骨折からの回復などにも有効なのか調べて欲しい。

プラシーボ効果は、人の思い込みを利用してだますことによって機能すると考えられていましたが、偽薬と伝えられて服用してもその効果が認められたのです。それは、医者と患者という関係で薬を服用するなどの、医療的な行動様式に体が反応してしまうことが要因ではないかと考えられています。

情報源: 偽薬とわかっていても、プラシーボ効果を得られることが証明される|ギズモード・ジャパン

 話は逸れるが、こういった実験は相関関係を因果関係を混同しやすい。前に書いた気がするが、「単純計算をすることで脳機能が回復する」というドキュメンタリーがあったが、単純計算を繰り返したことによる改善か、単純計算を繰り返させようと励ましたり頻繁に声をかけたりする献身的な看護の成果か分からなかった。同時に起こったので相関はあるが因果関係としては献身的な看護のほうが効果があったと思われた。

 同じように、医療関係の実験を行った場合、実験の推移や変化を見届けるために普段の看護より手厚い看護が行われるはずだ。副作用などがあったらすぐに中止しなければならないし、効果があったときにその効果を正確に記録する必要があるから当然だ。ただ、そのことが上記の実験のように結果に影響する可能性がある。これらも含めた二重盲検法を行っていない実験は疑っていい。だから、100人のテスターの完走で90%以上が良かったと答えているといったものに何の意味もない。

感動ポルノの正体

写真 24時間テレビ 下の記事の、「障害者」は「被災者」や「被害者」に置き換えられるだろう。

 災害や事故、事件の時のマスコミのニュースバラエティのはしゃぎっぷりには辟易する。テレビを観なくなったきっかけの一つがこれだ。そして、そのはしゃぎっぷりは自分がテレビを観なくなるまでエスカレートしっぱなしだった(ここ数年遠ざかってるから今もそうかは知らない)。

 感動ポルノの消費者たちは、一方では無責任な正義漢になって弱い立場に立った「犯人(犯罪を犯してすらいないことも珍しくないが)」を糾弾する。自らは発言しないが、そういう演出を加えられたテレビ番組を観ることによって間接的に支持する。フィルターされ、演出を加えられたテレビのニュースやバラエティを頭から信じている、自分で考えない・調べない「多数派」がこれらの母集団だ。

 そして、これらの母集団の「数」がマスコミの行動指針となり、その演出をエスカレートさせていく。

 「数が取れるから演出する」「演出された番組に影響を受けてそれらの考え方を支持する」「演出下番組のほうが視聴率が上がる」以下繰り返し・・・

障害者は感動ポルノとして健常者に消費される : ログミー
ステラ・ヤング氏 私はビクトリア州の田舎の、とても小さな町で育ちました。ごくふつうの、穏やかな家庭です。学校へ行き、友達と遊び、妹たちとケンカし、といった具合にとても「ふつう」でした。

私が15歳になった時のことです。地元のコミュニティのメンバーが私の両親のところへ来て、私を地域の「達成賞」にノミネートしたいと言いました。そのとき、両親はこう言いました。

「とてもありがたいお話ですが、ひとつ明らかな問題があると思います。彼女は何も『達成』していないと思うんですが」
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物忘れ考 キーがあった

photo key which I lost
何回も車に踏まれていたらしく、リングがグニャグニャになっていた。フックのバネも痛んでいた・・・鍵が無事だったのが不幸中の幸い。
 今日は昼過ぎから雨で夕方まで降り続いた。自分が帰る時間帯18時頃には上がっていたが厚い雲でいつ降り出すかわからないような雲行きだった。3日連続走らなかったので、今日は走りたかったのだが、路面が濡れていて水溜りも残っていたのでランニングはやめた。うんざりしながら、ママチャリで食料品を買いに行こうとしたら後輪がパンクしていた。

 先週の自動車のキーが行方不明になってから落ち込むようなことばかりで、もう無感情だった。

 スーパーに行くくらいで車を使うのは嫌いだが、こういう機会に買い物に行っておいたほうがいいので車でスーパーに行った。帰って駐車場に車を止めて外に出た。そして、ふと隣の区画を見ると、黒っぽいゴミのようなものが車止めの近くに落ちていた。あまりゴミとかが落ちていない駐車場なので目を凝らしてみたら、行方不明だったキー!

 今日は隣の区画の車が止まっていなかったので見つかったのだ。前に車のキーが行方不明になったときには隣の車が乗っていて見つけられなかったのだろう。

 少しホッとした。少なくとも部屋の中で行方不明になったのではなかった。ただ、部屋に入ったときにキーのことを完全に失念していたので、この点は反省して繰り返さないようにしなければならない。

 自宅では車で出かける時には家の鍵を車のキーにフックで取り付けて出かける。だから、キーを落としたまま家に入ることはできないので嫌でもわかる。が、社宅のキーはカードキーで一緒にできないので、車のキーを忘れていても家に入ることが出来る。これが落とし穴だ。そして、車に乗る機会が少ないので、ワークフローが確立していないのも原因の一つだろう。

 再発を防止するためにどうしたら良いのか・・・インプットをしっかりするためにどうするか。ほぼ無意識に行う日常動作の記憶が落ちやすいことは分かったし、脳のクロックスピードの低下は起こっているのだから、落ちたクロックスピードでも取りこぼさないようにしなければならない。

 一番確実なのは、取りこぼしてもダメージが広がらないように食い止める方法だ。自宅のようなシステムは嫌でも思い出すし、その場で認識すればすぐにリカバリーできる。今回の件だって部屋に入った時点でキーがないことに気づけば、戻って拾ってこれた。

 車のキーの置き場所を目に止まりやすく置きにくい場所にしたらどうか。今は、靴箱の中に置いていて、車に乗らない日には全く目にしない。ここでは、帰ってきて忘れていても気づくのは次に車に乗る一週間から二週間後だ(今回もそうだった)。

人間の記憶の限界とは・・・「物忘れ」考

 HDD の容量にしてどの程度なのだろう。脳細胞の状態で記憶しているとしたら限界はある。HDD の記憶可能ビット数に上限があるのと同じだ。脳細胞の数が何Tなのか知らないが、そのうち1万円以下のHDDに負ける日が来る(もう来てるかもしれないが)。これは、人間の網膜の解像度がコンパクトデジカメに負けたのと同じでかならず来る。

 ただし、人間はHDDと違ってその脳細胞の記憶メカニズムを全部使えないことと、連想記憶や記憶の変形、すり替え、捏造、忘却によって節約することが可能な点だ。そのように「記憶の節約」あるいは「脳活動の節約」こそが人間の認知・記憶のメカニズムだろう。

 そして、これによって節約する代わりに、偏見や誤認識がついて回るようになった。自給自足の時代には問題にならなかったこれらの「錯誤」によって現代人は追い詰められているのかもしれない。

 ただ、一方で、この限られた記憶から決められたことを引き出すだけでなく、周辺記憶を呼び起こしたり、組み合わせて新しい概念を作ることも可能になったのではないだろうか。これこそが創造性の源泉ではないか。

 記事の「間の脳はほんとうに「パンク」するのか」については。パンクするはずがない。パンクする前に忘れるだろうから。人間の脳は常に google dance を行っているDBのようだ。古くて使わなくなった記憶は集約したり捨てたり、検索時の順位を下げたりする。常にそうやって新しい情報を書き込むエリアを確保している。そして、入ってきた情報も、過去の情報と照らし合わせて整理する。

 人と会う時も、初対面の人だと全情報を記憶しようとして記憶エリアに書き込むだろうが、日常的に顔を合わせている人だと情報はその日の出来事や会話だけでいいだろう。それ以外の容姿情報などは既にインプットしたものがあるから毎回覚え直す必要はないからだ。だから、よく、たまに合う人が痩せたり太ったりするとすぐに分かるのに毎日会っていると気づかないということがある。前回あったときとの差が少ないと記憶に一々書き込まないせいだ。そして、初対面の人と会話すると疲れるのも処理しなければならない情報が多いからだろう。

 興味深いのは、この記憶の節約方法はそのまま mpeg のデータ圧縮アルゴリズムと同じということだ。「変わらない部分は記憶しない」ことで記憶エリアを節約し、書き込む手間を節約するのだ。

 ただ、一つ疑問なのは、取り出しの問題だ。昔に記憶して忘れていたものも、何かのきっかけで思い出すことがある。つまり、脳の何処かに残っていたのに取り出すことができない記憶が有るということだ。つまり「物忘れ」にはいくつか種類があるということだ。

 一つ目は、覚えられなかった記憶。短期の記憶がオーバーフローして頭に入ってこない状態だ。英語のリスニングをしていて、一つ一つの文章の意味は捉えられても、後になって「さっきのアナウンスで欠航したのはどの便ですか」と聞かれても答えられないようなケースだ。二つ目は、完全に忘却の彼方に追いやられた記憶だ。3年前の特にイベントもなかった日の昼食を覚えている人がいるだろうか。これらは数日はせいぜい次の日くらいまでしか残っていないだろう。三つ目は、上に書いた、記憶に残っているのに取り出すことが困難な記憶だ。自分は漢字や歴史で習った知識などで思い知らされる。良く知っている難しくない日常の漢字が書けなかったりする。ヒントがあればすぐに思い出すから二つ目とは違う。そもそも、その字は読むことはできるので「忘れている」という状態とは本質的に違う状態だ。にも関わらず書こうとしたら出てこない。

人間の脳はほんとうに「パンク」するのか:研究結果|WIRED.jp
2015.07.31 FRI 09:20

人間の記憶のメカニズムは、脳でどのように機能しているのだろうか。ミズーリ大学の認知心理学者たちが「記憶」について研究を進めている。

ファーストキスのことは、誰しも覚えているはずだ。子どものころに使っていた電話番号も、あるいはクルマをどこに停めたかだとか最後にひどく酔っぱらったときだとかも。それから、おそらく円周率も──最初の3桁くらいなら。

人間は、日々新しい記憶を蓄積している。パートナーとキスしたり新しい電話番号を覚えたり、円周率暗記大会に出場したり。しかし、そういった新しい記憶が積み重なってくるにつれて、脳がいっぱいになるのではないかと心配になるかもしれない。

果たして、どうだろう。人間の脳は、ハードディスクドライヴのように容量不足になったりするものだろうか? 実はそれは、「記憶の種類」によるようだ。

「記憶のメカニズムは、現象1つひとつが脳細胞に入りその脳細胞を埋め尽くすようなものではありません」と、ミズーリ大学の認知心理学者、ネルソン・コーワンは言う。記憶は長期間かけて、神経系を構成するニューロンの回路としてネットワーク化される。そのとき、新しいパターンを形成する脳の容量は“無限大”で、理論上は記憶にも限りはないのだという。
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認知:相手の会話が町のフリー素材みたいに聞こえちゃう病

トクマスタケシ
人の言葉が街の雑音(フリー素材)にしか聞こえずコミュニケーションに支障をきたし、怯える現代人
 これは、視覚情報の「認識」「認知」「記憶」とも共通の人間の脳のシステムが持つ限界だろう。脳は聴覚から入ってきた「音」を言語とその他に振り分けた上で、言語DBと照会して「意味」のある「言葉」として理解し、必要であれば整理し記憶する。

 音声認識装置が正しく認識しないときに、マイクが悪いのかCPUの処理速度が足りないのか、解析エンジンのライブラリが不十分なのかの違いだろう。

 「聞き取りにくい=マイクの劣化」というのが誤りということがはっきりしたということだろう。聴力検査の単純音を聞き取る検査というのはマイクの劣化具合しか測っていないことになる。

 これは医療系 podcast の人間病院第161回相手の会話が町のフリー素材みたいに聞こえちゃう病でも研究されていた。この被験者の場合は聞いた発言の面白さによって記憶に残すかどうかを無意識に振り分けるという奇病だが・・・

【やじうまPC Watch】年を取ると耳が遠くなるのは、聴覚ではなく脳の老化が原因 ~言葉を聞き取れているのに、何を言っているのかが理解しにくくなる – PC Watch

 年を取ると、耳が遠くなるというのは高齢者にしばしば起きる問題だ。これは一般に、聴覚が衰えていると思われがちだが、実際には老化に伴う脳内の信号処理の問題が原因であることが、米メリーランド大学の研究グループによる調査で分かった。
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Kickstarter に見る消費者心理

kickstarter pebbleで pebble 2 に出資した。

 今回の案件で Pebble は複数の枠で出資を募っていて、早く応募すればするほど安い。一番早いのは Early bird と呼ばれる枠で数も少ない。Pebble 2 の場合 $99(予定価格$129)で 10,000口、Time 2 は $169(予定価格$199) で 10,000口、core は $69($99) で 5,000口だった。Time 2 はあっという間に Early bird を終了し次の $179 の枠も埋まって更に $179 枠が追加された。

20160607-kickstarter Core は Ealy bird が終わると失速するという現象を呈している。5,000口は数日で終わったのに、その後10日以上経っているのに 1,300件くらいしか応募が入っていない(Pebble 2 と Time 2 とのセット販売もあるので core が全く売れていないという意味ではないが)。現在取りうるベストな選択は次の価格($79)に応募することだが、Early bird に乗り遅れたことによる割高感が邪魔をして、損をしていないのに損をした気分になってしまうのだろう。普通に販売されてから買ったらもっと高くなることが分かっていても応募する気が起きないのは良く分かる。

 これは値引き販売後に通常価格に戻したら売上が激減したり、オークションで市場価格より高い値段で買ってしまう心理などと似ていて面白い。

 Kickstarter で損益分岐点を超える個数の販売を確保した上で投資できるというのは資産を持たないベンチャーにとっては有効だ。販売できる個数が事前に読めていたら生産規模を最適化し在庫を持たずに済む。一方で、Early bird での価格が市場で明らかになっていることで、標準小売価格で売る際の心理的な障壁が出来る。このバランスをどう設定するかは難しいところだろう。

 ちなみに、自分が Pebble 2 単体を買ったのは Core が日本の SIM で使えるかどうか分からなかったから。アメリカなら「3G対応」とあれば特に断りがなくても 3G 回線用の SIM を用意すればいいということになるのかもしれないが、日本は違う。例の「技適」が障壁となっている。「技適」マークの付いていない(表示できない)デバイスを日本で使うと爆発するという噂がささやかれているからだ(ww)。

車検完了・・・動かざること山のごとし・・・

 車を持ったら必ず訪れるイベント。今回は fit を買って初めての車検。半年くらい前からめんどくさいと思い始めて、結局動いたのは先週だった。結局、日曜日に持ち込んで水曜日に自宅に持ってきてくれた(料金は振込)。

 たまたま、今日出張だったので、帰りに自宅に寄って車で帰ってきた(駅までは娘が車で来てくれた)。鈍行列車の旅も悪くないがコストがかさむ。車なら4リッター500円程度で行けるが、電車だと2,000円近くかかる。時間もドアツードアだと倍位かかる上に荷物も持てない。それを考えると電車で赴任先と往復するのは無駄だなぁ。運転しなくていいのは楽だが、自宅から駅までと最後の駅から社宅までのタイムロスも大きいし。

 毎回、面倒すぎて直前まで放置してしまうのが自分の悪いところだ。車検なんて引き取りに来てもらって自宅納車にすれば、電話一本と振込だけでもいいのに。毎回、期限切れギリギリまで動けない。動かなければ絶対に始まらないし、動き始めれば後は惰性で進むんだが。

 動くのが面倒で放置しているタスクが他にもあるんだよなぁ・・・

ネットに転がる心理的距離感あるいはネコのお医者さん

「信用していない」というより「趣味の話をしたくない」ということだろう。仕事以外のことで共有する話題を持ちたい相手と思われていないだけだ。

 これについては、podcast 人間病院 第086回 仲間意識早過ぎ病を聴くと良い。

投稿

hand_sign ある podcast に投稿して読まれた時に、「panhead さんはメール初めてですね」と言われた。ところが、実際には3回目だった。

 投稿以外にも名前が出ていて、覚えて頂いていると勝手に思っていたので、ショックで寝込んでしまった。

 この気持は、人間病院wikiの病気リストを見たら上記の「仲間意識早過ぎ病」以外にも「そんな親しいわけじゃないのにそういう感じ出しちゃう病(未放送)」が見つかった。どうやらこれらの重症患者らしいww

姿勢のもたらす心的態度?

 前にもどこかで聞いたことがあるような気がするが・・・

 実にくだらない。「スマートフォン(流行りモノ)を否定する俺偉い病」でしかない。マスゴミが良くやる、デジタル批判レベルのゴミだ。

 スマートフォンを読む姿勢に問題があるのなら、紙の書物は全滅だ。電車で本を読む時に見上げて読む人間がいるか?図書館や学校の机で本を読む時に自分の目線より上に本を持ってくる人間がいるか?数千年間、粘土板や竹や紙で書かれた先人の書物を読む時に見下す姿勢をしていたからといってその書物を書いた人を見下してたということをこの人は言っているだろうか。

スマートフォンの影響 nobi: ナカノヒトヨ: 我々はスマートフォンの普及でいつの間にか、物理的にもメッセージを発している相手を見下ろすようになってきている。 #Prophet2015 http://t.co/RYi1luZ1Kt