朝、娘に起こされた。「お父さん、9時に宝塚駅集合やのに寝過ごした(8時50分)」。宝塚までは車でも30分近くかかる。「じゃ、目的地の学校まで送ったるわ」

 起き出して、着替え。目的地を検索。しかし、同じような名前の学校がいっぱいあり特定できない。他のメンバーに電話して、降りる駅の名前を聞かせる。「近江八幡やて」・・・・「えっ?滋賀県?」
調べてみると確かに近江八幡の近くにその名前の学校がある。

 すぐに高速にのり、中国>名神と乗り継いで竜王インターまで、1時間15分走った。降りてからも会場の学校を探すのに少し手間取ったが、電話をさせて無事合流。合流するまで「こんなトコで?」不安だったが、制服が見えてホッとした。

 近江八幡の街並みは古い街道筋の雰囲気が残っていて好ましい。高校を探すために旧街道沿いを何往復か満喫した。

 帰りに一人で高速を使うのももったいないので、下道で帰る。1号線から171号線に入るのが合理的なルートだが、都会道はしんどいので山道を選ぶ。地図上の直線コースに一番近い国道は477号線。琵琶湖大橋からまっすぐ入れそうだし、この季節の北山はきれいだろう。

 確かに、峠の上の方では紅葉も始まりきれいだった。北山杉の林も。しかし、「これが国道?」と思うような細い道を何十キロも走るのはきつかった。路肩に止まっての道の譲り合いを数十回。時にはバックまでしなければならなかった。きれいな景色の中だが、周りを見る余裕なんかほとんどなかった。moblogに投げようかと思った写真も撮れたが、圏外だし・・・

 家に着いたのは4時すぎ。高速を使って1時間半のところから5時間かけて帰ってきた。

visor prism忘れた・すごい不便

 朝の定点観測データダウンロードを終え、ホットシンクまでしたのにクレードルに放置してしまった。

 業務についてのアポイントはyahooカレンダーにも入っているし、連絡先もPCに入っているので構わないが、個人的な担当業務とかはprogectと予定表+の繰越スケジュールで管理しているので困る。覚えていることのほうが多い(当り前)が、やった後のログを帰ってから登録しなければならないのがまた面倒。

雨・健康診断

 天気予報で午後から雨と言ってはいたが、夜には上がっているかもと期待していた。甘かった。気温が低いのがせめてもの救いか。

 健康診断。今回はライトバージョンなので、事務局としても受診者としても、余り負担はなかった。もちろん、健康そのもの。腹部の脂肪以外はね(^^;

また靴かい

 娘がブーツ、息子は友達の誕生会で渡すプレゼントを買いたいというので、車を出した。

 俺好みのフェティッシュなピンヒールブーツも多いが、高校生にはまだ早い。とはいうものの、デザインの幅が広い分、条件を限定すると選択枝が狭くなってしまう。流行モノなんて1~2年で使えなくなるのが分かっているので、無理して高級なものを買うのも無駄なので、9800円で妥協した。予定としては15000円前後と考えていたが、この価格帯がすっかり抜け落ちていた。9800の次が24800というバランスの悪いラインナップだった。ここにも2極分化の波が・・・

 よく考えると、娘には土曜日にスニーカーを買ってやったばっかりだ。少し甘いか・・・オヤジ

最後の運動会応援

 息子が通っている小学校の運動会。曇りがちで気温が低くて寒いくらいだった。年に一度、キヤノンの一眼レフを持ち出した。息子の出番は3回。300ミリを曇天で振り回すのは無謀だったかもしれない。入っていたフイルムは使いかけだったが、前に使った記憶はない。ひょっとしたら、去年の運動会か?とにかく、現像が楽しみだ(^^;

 娘が3年間と息子が6年で、8回(重なっているので少ない)行った。息子はこの時期によく体調を崩すので、熱を出して途中から行ったり休んだこともあるが、毎回通った。

 俺の住んでいるところの中学校は平日に運動会をするので、来年からは運動会に行くこともなくなる。

 ところで、この小学校の親。年々汚くなっていくのはなんでだろう。新しく安い宅地が開発されたり集合賃貸住宅が増えたことが原因かもしれない。

 寝不足で、寒い中に長時間立っていたので消耗した。往復も歩きだったのもあるかもしれない。まあ、息子はここを毎日通っているので、歩いて当然ではあるが。帰ってからソファで寝込んでしまった。

 娘が元ははと出かけて行ったので、俺と息子でcoco一番屋で夕食。オーダーを誤って参ったが、二人とも意地で完食した。間違えたのは量、辛さもおいしいと辛過ぎの境界付近だったが、量が多くなければそれほど感じなかっただろう。量は+100g、辛さは+2(息子は+1)。ここは、普通で十分だと学習した。

 エンタの神様を久しぶりに観たら、ネタの途中に司会者席が映る回数が減ったような気がする。これはいい傾向だ。しかし、ぶつ切りは相変わらずだ。それと、Mr.マリックの変な演出はもういいだろう。気の毒で仕方がない。

 こうやって、一つ一つのイベントが終わるのはほっとするとともに寂しさも感じる。いつもは子供を待って一緒に帰るのだが、今年は息子が「後片付けあるし先に帰っといて」と言った。

ブログも一緒だよ。続けるしんどさは・・・PDAもね

ホスティング型ブログの3分の2は2カ月間も更新なし Mainichi INTERACTIVE コンピューティング

 確かに、サイトを続けるのは大変だ。興味を持った対象に一通り書いてしまうと後が続かなくなってしまうことはよくわかる。何等かのフィードバックがあればリフレッシュするが、そうでもなければフェードアウトしてしまうのだろう。

 このことは、ブログだけではない。ホームページだって、最初は「個人のホームページが普及して、自己紹介のときにURLを交換し合うようになるだろう」といわれていたがそうはなっていない。無料ホームページサーバーでも、アカウントだけとって放置のところが大半だ。メルマガが流行りだした頃に、まぐまぐの主催者が「日本人の全員がメルマガを発刊してコミュニケーションするようになるだろう」とピンボケなことを言っていたが、そうはなっていない。まぐまぐでも継続して流れているものは少数派で、ほとんどが登録しては発行せずに終わっているんじゃないだろうか。

 ホームページにしてもメルマガにしてもブログにしても、継続するには、書くこと自体に対する興味がなければならないだろう。そういう意味で、「ブログがhtmlを書くより管理負担が少ないから普及する」というのは間違いだ。ホームページを続けられない人間がブログなら続けられるとは思えないから。

 書きなぐりだろうが、ネタ系だろうが、下ネタだろうが、自分で考えて文章を書くという能動的でしんどい行為を続けるのには労力がいる。能動的にモノを考え欠くことのできる人間は、少なくとも俺の周囲では、少数派だ。だから、ある程度の比率以上は絶対に増えない。

 そうやって考えると、PDAも似たような性格があるのかもしれない(やっぱりここにいくんかい)。能動的に環境を整備したり設定したりしないと使いこなせないPDAが、お仕着せのオールインワンPCで買ってくるだけでとりあえず使えるPCや使用法が自明な携帯電話みたいに普及しないのは当り前。

 だから、PDAは携帯よりPCより低い普及率に終わることは自明だ。特に、日本の多くのサラリーマン(ビジネスマンじゃないのね)は自発的に仕事をしているわけではないから、PDAを使いこなせなくても全く困らないしね。

冬ふとん登場

 夏蒲団で頑張ってきたが、朝方に目が覚めて、おきてからも寝不足で辛いので、冬布団を出した。

 夏蒲団を洗濯したが、曇天ですっきり乾かせなかったのが残念。

 ダイエーの優勝セールで息子の秋物を10%引きで購入。しかし、10%って、普段とたいして変わらない。というより、高くないか?

伊藤忠太展を見てきた

 大阪難波のキリンビールの美術館で伊藤忠太展を見てきた。

 色々、面白いものがあったが、残念なのは二楽荘について全く触れられていなかったこと。しかし、ほとんど同じ様式の建築物を作っていたことが分かった。それは、京都に現存しているらしい。

 建築探偵の講演とか建築物バスツアーもあったらしいことを会場で知った。

 個人の墓もたくさん設計していたことを知った。紀行文をたくさん残していて、海外経験の乏しい当時の日本人への土産話が盛りだくさんだった。受け入れる側も日本人が珍しいらしく、時に歓待をうけたり、珍奇なもてなしを受けたことが書いてあった。自由に閲覧できるコーナーがあって、椅子もあったのでゆっくりと読めたが、時間切れで3冊のうち1冊しか読めなかったのは残念だった。

 設計図に人物を描きいれていることや、ほとんどボツになったようだが、屋根の端や欄干などに怪物の像を置こうとしていたのも面白かった。中世ヨーロッパの建築物などにある悪魔像に影響を受けたようだ。また、怪物についても、興味を持っていたらしく、訪れた国々でいろんな怪物像を写生している。日本の怪物像が凡庸なことを嘆いていたりもする。

 テキストでは、「何でもいいから怪物を描いてみろといわれても、なかなか過去にあるものから抜け出ることは難しい。」と書いている。人間の想像力の限界について考察しているものは面白かった。

娘の運動会

 1日に娘の高校で運動会(高校は体育祭か)があった。娘は生徒会の副会長なので、準備にかかりきりで、夜は10時とか11時に帰ってくる日が続いていた。

 その疲れが出たのか、昨日は友達のお母さんに車で送ってもらって、帰るなりぶっ倒れていた。救急車を呼ぶか真剣に考えるほどだった。そして、制服のまま今日の昼ごろまで爆睡したらしい。

 帰ったら、リフレッシュしていろいろ話してくれた。生徒会の会長や他のメンバーもフラフラでぶっ倒れたりぶっ倒れそうになったりしたらしい。寝不足と緊張と疲れと開放でストレスが極限(といっても、過労死するほどじゃないが)まで達していたのだろう。いい経験だ。っていうか、俺は運動会はをサボって家に帰ったりしてた。まして、全校生徒の前で挨拶なんてしたことがない。そんなこと、考えるだけでだめなダメダメ生徒だった。だから、そんないい思い出はない。

「テレビ番組タメ録は「CMの死」を招く」か

テレビ番組タメ録は「CMの死」を招く 米調査会社 :Mainichi INTERACTIVE

 今でもビデオに録った物はCMを飛ばしてみているが、HDDレコーダーなら時差再生を使ってほぼリアルタイムでこの観方ができるからさらに効率がよくなる。確かに、スポットCM業界にとっては脅威だろう。

 スポット広告減少>番組の低レベル化>有料番組の有料チャンネル移行と進んでいくんだろうか。

  これまでのローマ時代コロッセウム型娯楽提供社会への決別となりうるのだろうか。テレビに価値観を教えてもらわなければならない現代人が、テレビを否定できるかどうか・・・そして、ローマ帝国がその繁栄の基礎にしていた、殖民地への搾取と領土拡大戦争による奴隷と同じ図式の上に成り立っている、現代”先進国”の経済的優位を日本や欧米の大多数の人間が否定できるのか。

 それとも、これまで戦争や不幸をネタにしてきたマスコミや広告屋が衆愚政治の存続を願う政治屋と結託して対策を打ってくるか・・・・

 金を払ってまで観たいようなものだけを観るようにするのが一番だろう。そして、見ていないときは切るようにすること。これで淘汰が進んで、クズのような番組やどうしようもないゲーノージンが失業すれば少しはマシな社会に・・・なって欲しい。