P.K.ディック トータル・リコール ディック短辺傑作選

 「悪夢器械」という紙の本で読んだ作品が大半だった。「悪夢機械」では、トータル・リコールは「追憶売ります」として、マイノリティ・リポートは「少数報告」というタイトルで収録されていた。映画が現代のカナ表記でヒットしたのでそれ以降語られる場合にはカナ表記が採用されているようだ。「悪夢機械」が絶版なので売り場で混乱することはないだろう。

訪問者

 ひいきメンの次のお題は「オススメSF作品」・・・難しいで書いていた。

 この作品がこの本の中で一番好き。環境を語る時に常に必要となる視点を端的に表現している。

 この作品を読むためだけに買ってもいいと思う。このブログ推奨作品だ。

非-O(Null-O)

 ディックの作品に対する感情にしては珍しく、違和感しか無かった。

  • 共感能力を一切持たない人間が、同じような人間に会えると知ってワクワクしたり、出会って喜んだりしている。
  • 宇宙は原子ではなくエネルギーの渦だということだが。今あるオブジェクトを「還元」しようとする信念はなんだろう。理論的にそうなるということが分かっているのなら放っておいてもそうなるだろう(時間はかかるかもしれないが)。
  • 架空の爆弾のような名前のモノを使って地球や太陽を「還元」するということだが、これについてのこじつけの説明すら無いのは手抜きだろう。そういう設定というのなら受け入れるが、太陽を「還元」できるような膨大なエネルギーを操れるなら地球なんか一瞬で跡形なくできるはずだ。なのに、中途半端に破壊して、その廃墟を見て悦に入っているし、生き残りの襲撃に耐えられずに宇宙船に乗って逃げている。
  • 恒星を「還元」できとして、宇宙全部の恒星を壊して回るつもりか?どんな目算があって旅立つのか全くわからない。

 完全に論理的な人物が何を動機に目的達成に向かうのかの説明がなされていないのが致命的だ。これは、AIが何を目指すのか目指さないのかにつながる問題だ。序盤で感情を持たない理性的な人間が提示された時に個々に説明があるのかと読み進めたが全く期待はずれ。

 理性的で感情を持たないタイプの人類が現れたらどうなるかの思考実験かもしれないが、想像が中途半端で残念なできだ。

世界をわが手に

 宇宙のシミュレーターという作品は子供の頃の学習の読み物で読んだ記憶があるが、この作品のオマージュだったのだろうか。

 ただ、太陽系の他の惑星に知的生命体がいないからという理由で地球に住む一般人が閉塞感を持つということが受け入れがたい。

 自分の住んでいる宇宙が誰かの世界球でないという保証はない。

マイノリティ・リポート

 映画の原作になった作品だが、映画を観ていないので映画との違いは知らない。

 予知とか超能力という設定を受け入れられれば面白いかもしれない。

トータル・リコール

 映画も観たが、映画とは別物。

 原作のほうが自分は好きだが、映画も別の娯楽作品として好き。

 原作自体が短いので映画化する際に付け加えたプロットやアクションがメインに描かれている。

 「胡蝶の夢」についての掘り下げは、原作・映画共にない。

Born to run(といっても Bruce Springsteen じゃないやつ)

 フォアフット・ストライク走法とかミニマリストとかウルトラマラソンとかビブラム・ファイブフィンガーズといったキーワード界隈で頻繁に目にする Born to run を読んだ。Kindle unlimited の対象に入っていたからだ。

 物語ではなくドキュメンタリーだ。ウルトラマラソンの発祥から、ウルトラマラソンランナーの生態、筆者が現代のランニングシューズを捨ててランニング障害から克服されたことを通じてランニングを科学的に分析すること、最終的にタラウマラ族とエリートランナーのレースまでが描かれる。

 個人的には登場人物が多すぎて「こいつだれやった?」となることが多かったが、これは自分の記憶力の問題だろう。細切れのエピソードが挟み込まれるので「はよ、レースの話しろや」となった。

 この本にはいろんなメッセージが詰め込まれてごっちゃになっている。過保護シューズ批判、フォアフット・ストライク走法、菜食主義、自然回帰指向などアメリカ人が書く日本文化礼賛記事のような胡散臭さが鼻についた。

 この本を読んでも裸足ランニングをやろうともワラーチを履こうとも思わない。ハイテクシューズが今でも大好きだが、一方でフォアフット・ストライク走法は身につけたいと思う。菜食主義にもならないしネットワークもエアコンも自動車も使う。今の日本社会とタラウマラ族が住んでいる場所が違うのだから、タラウマラ族のライフスタイルを今の日本社会の規範にすることなどできない。

 足の故障原因をクッションシューズのせいといい切っているが、ホントにそうか分からない。筆者はクッションシューズをやめたら故障から開放されたそうだが、クッションのないシューズで走ったらそれが原因となって故障する可能性も高いだろう。クッションシューズから初めてクッションの少ないシューズにすることは間違いではないと思う。クッションシューズが必要な初心者がミニマリストシューズでランニングを始めたら故障知らずでいられるとは思えない。

 自分は、ランニングを介した頃からビブラム・ファイブフィンガーズや Mizuno Be を履いているが、長距離を走ってはいない(VFFでジョギングしてふくらはぎがパンパンになってからはだがww)。

 科学的な分析は多いが、それが医学界の共通認識なのか分からない。大学の教授や著名なコーチなどは多数出るが、筆者が取捨選択した取材先でしかない。取材の時点で、裸足ランニングに興味を持って研究している研究者を探している可能性はある(そうでない可能性ももちろんある)。傍証記事を読んでみたいと思う。

 足を鍛えるために裸足に近い状態で過ごすことが健康にいいとは思う(だからVFFやBeを履いている)が、それでマラソンに出るのは別の話だ。人類が進化する段階では靴など無かったとはいうが、人類が進化する段階では舗装道路もなかった。舗装道路を何十キロも走るなど最近の出来事だ。槌の上を走って進化してきた人間だからといってそのまま舗装道路を走るのに適しているかどうかは分からないだろう。Nike の breaking 2 でもクッションのある板バネ入りのシューズが使われた。彼が裸足だったら2時間切れたとは誰も思わないだろう。

 それと、今、ランニングを始めようとしている Born to run の読者はすでに何十年も靴の生活をしてきている。成長の段階で数百年前の人類より足が発達していない可能性がある。そのような人間が保護機能のないシューズを履いたら逆に怪我してしまうのではないか。

 こんな素人の記者ではなく、もっと長期的・統計的な調査が必要だろう。運動靴メーカーの協賛は得られないだろうが・・・

ヲタクがランニングを始めると Amazon が儲かる

 「風が吹いたら桶屋が儲かる」をやってみようとしたがひねりがなくて面白くならなかった・・・

     

  1. ヲタクがランニングを始める
  2.  

  3. いかにして楽に走れるかを調べる
  4.  

  5. 人付き合いが苦手なヲタクは教室やクラブに通わない
  6.  

  7. 本屋に行くのがめんどくさいので電子書籍を探す
  8.  

  9. kindle 本が売れる・Amazon が儲かる

 ランニングに関する情報の大半は Youtube で得た。動画のメリットは大きく、紙媒体では絶対に伝わらなかったであろう知識を効率よく得られた。しかし、動作を学習するのにはいいが、断片的だったり、人によって考え方が異なっていたりする。なので、基礎から応用までを一つのコンセプトでまとめたものに触れたくて本を買ってみた。

一冊でランのすべてがまるわかり1.RUNNING style ベストセレクション[雑誌] エイムック kindle
 月刊の「RUNNING style」の特集を集めたもの。Running style という名前からも分かるように見栄えのいいモデルがしゅっとしたウェアをかっこ良く着こなした写真やシャレオツなライフスタイルとかを提案したような感じの雑誌。モデルが着用しているウェアのブランドや価格が書いてあったりするのでイメージが伝わるだろうか。

 月刊誌の寄せ集めなので、似たようなことが何度も繰り返し出てくる。逆に、季節の話題がまんべんなく載っているのは便利かもしれない。

 ファッション雑誌を読み慣れているような人にはいいかもしれない。

スポーツトレーニングの基礎知識2.図解 スポーツトレーニングの基礎理論 kindle
 kindleのセールで 54 円だったので買ってみただけだが、信じられないくらいの内容で驚いた。筋肉についての説明から入り、トレーニングから故障からの回復まで総合的に情報が整理されている。ランニングのためのものではないので、ランニングについての実践的な内容はない。

 54円だったので買ってみたのだが、今見たら1,264円になっていた。内容自体はその価値があると思うが、ランニングには余り関係のない話題も多いので、微妙な感じだ。ただ、トレーニングの基本的な考え方を体系的に学習するには良い教材だと思う。

マラソンは毎日走っても完走できない
3.マラソンは毎日走っても完走できない 「ゆっくり」「速く」「長く」で目指す42・195キロ (角川SSC新書) Kindle版
 有名なマラソン指導者の小出監督の本。競技志向が強く、マラソン大会で目標とする記録を出すためのトレーニングにフォーカスしている。発行が古いので、今の考え方と異なる部分もあるが、「速く走ること」にこだわる姿勢や、基本的な考え方は参考になった。

 長距離をダラダラ走っていてもダメ。マラソンを走り切るためには筋力が欠かせない。インターバルなどの負荷の高いトレーニングを入れることが必要。という主張は、漫然と距離を走るだけだったので、トレーニングの進め方を変えるきっかけとなった。

 有名選手のこぼれ話とかは読み飛ばしたが、一つだけ「レースの前日は強い選手でもそうそう熟睡できない」というのは心に残った。どんなサイトや本でも「レースの前日は7時間くらいは睡眠を取りたい」と書いてあるが、自分は眠れない自信がある。そして、眠れないことで焦りを感じて更に眠れなくなる。しかし、小出監督の「誰でも緊張と興奮で熟睡できないのは一流選手も一緒。でも、横になって目をつぶっているだけでも体は休まるので、そういうものと思って横になっていればいい」という言葉のおかげで、憔悴することなく朝を迎えられそうだ。

誰でも4時間を切れる!
4.誰でも4時間を切れる! 効率的マラソンメソッド (Ikeda sports library)
 一連の本の中で唯一紙の本。残念ながら kindle 版は出ていない。

 現時点までに自分が読んだ本の中で一番参考になった。小出監督の本と同じような考え方だが、ペースの考え方が理論的で実践的。トレーニングのスケジューリングも、市民マラソンランナーにとって現実的な内容で取り入れやすい。

 この本では「休むこと」の重要さが繰り返し説かれていて、実体験からも、納得できた。月間X百キロより重要なのは質の高いトレーニングをどれだけやるかだ。質を上げることは「負荷をかける事」を指す。適度な間隔で負荷と回復を交互に行うことが最も重要。過大な負荷を急にかけたり大きな負荷をかけ続けることは故障に繋がる。5月6月の自分に教えてやりたい・・・

 同時に、長時間(長距離)のジョギングやLSDを戒める文章も興味深かった。小出監督も書いていたが、基礎をつくる段階では必要なことでも、ある程度のレベルを超えると無駄になったり、スローペースに慣れてしまって速く走れなくなるという弊害を指摘していた。これも思い当たる。自転車でこのような状態に陥っているが別の話。「市民ランナーの大半は心拍機能の不足で足が止まるより筋力の限界で止まってしまう」という分析から、脚力をつけるためのトレーニングを勧めている。これには納得ができた。

  同時に、5時間程度で完走を目指すような初心者ランナーにとっては6分/km のジョギングペースでもペース走となることも示していて、「5時間で完走を目指す初心者にとってはジョギングもペース走と考えられるから続ければいい。でも4時間切りを目指すならそれではダメ」と、目標によって考え方が変わること。それによってトレーニングメニューも変えることの必要性を説いている。

 「自分が目標とする距離を一定速度で走ることができるペースを上げること」を目標に据えるのは正しいと思う。結果が「ハーフ1時間XX分」となるか「フルX時間xx分」となるかはその後の話だ。なぜ、ランニングの人が「キロ何分」という表現で速度を表現するのかを知った気がする。キロ7分なら残り5キロを35分とすぐに計算できるが、時速8.57km で残り 5 km だとどれくらいかかるか簡単には分からない。

 9 月からはトレーニングメニューを決めて臨みたい。

使える図書館見つけた

 社宅の近くの図書館に行ってみた。wazeの編集をしている時に見つけていて、何度か近くを自転車で通ったが入ったことはなかった。大きな図書館ではないので、入り口に大きな看板もなく、標識も立っていない。自転車走行中にwazeを見るのは面倒だし、「そこまでしてもなぁ」というのがあって放置していた。要するに「めんどくさかった」のだ。

 天気が悪く自転車に乗れそうにない土曜日。ローソンに届くはずの荷物も受け取りに行きたいし、食料品の買い出しもしたい。ということで、車を出すついでに図書館に行ってみることにした。

 地方によくある公民館併設の図書室といった感じで、市立図書館の分室とはなっているが、公民館の一部として管理されているらしい。専任の司書はいないようだ。広さは小学校の教室くくらいか。

 蔵書もお世辞にも充実しているとは言いがたく、入っている本も年季が入ったものばかりだ。公民館の性質か、半分くらいは児童書で、地元の歴史とかを扱った本も多い。一般の書籍はほとんどない。

 他に来ている来館者は3名しかいなかった。これが最高。机と椅子は充実していて、西宮図書館山口分室より多いくらいだ。それぞれば4人掛けのテーブルを独り占めできる。素晴らしい。

 蔵書なんて、iPadに入っているものでもいいし、自分で買ったけど読んでいないものを持ち込んでもいい。自宅にいてはなかなか本を読む姿勢になれないが、ここならなれる。

 もう一つ、西宮図書館山口分室よりいい点がある。しかも、大きく差があるくらいにいい点だ。それは閉館時刻が21時ということ。夕方から来ても2時間くらい使えるということだ。西宮図書館の17時閉館との差は圧倒的。どんな立派な施設で蔵書が多くても、使いたい時間帯に開いてないのでは全く意味がない。その点で、この図書館は圧勝。

 ちなみに、この図書館には屋外プールが併設されている。また図書館のとなりは「工作室」があり、陶芸教室的なものが開かれているようだ。夏休みに子供用プールに子供を遊ばせて、陶芸教室に通うといったプランがあるのかもしれない。

 バスや車でないといけない立派な図書館やプールより、こんな施設が家の近くにあって空いているのなら、こちらの方が豊かかもしれない。公共交通機関を使って訪れるのは難しいが無料駐車場がある。

 自宅に帰らない週末に通っていたら名前覚えられて、「奥の机空いてます」と言われた。机目的で来ているのが完全にばれてる。というか、他の人も図書館に置いてある蔵書を読んでる人はいなくて、勉強道具を持ち込んでいる学生が大半だが。

ダラダラな日曜日

 朝、自転車に乗ろうかと思ったらレーパンが干されていた。昨日走った後洗濯機に放り込んで放置していたらしい。ということでロードに乗ることは諦めた。娘から、血界戦線5,6がないか探してきてくれと言われたので、RX3でゆっくりと本屋巡りをして運動不足の解消にあてることにした。

 午前中はダラダラと仕事をしたりしんぐんデストロ〜イのレベル解放をしたりで過ごした。昼食後、掃除機かけと雑巾がけをして出ようと思ったが、暑そうだったので昼寝した。

 5時くらいになって外に出て、まず岡場のダイエー(4km)。ここからイオン(ダイエーから7kmくらい)に行き、そこにもなかったらウッディタウンのイオン、三田駅近くに回りこむつもりだった。全行程で30kmくらいになるつもりで出発した。

 ダイエーの本屋でコミックスコーナーに行ってもどこにあるのか分からない。ジャンプ系列と聞いていたが、ワンピースとかの近くにはなかった。店員さんに聞いたら、「こちらにあります。でも、ここにあるのが全部で飛んでるんですよね・・・」と言いながら探してくれた。目的の5巻と6巻はあった。しかも、両方共最後の一冊だった。

 おかげで、ロングライドにならずに済んだ。なので、食材を買って帰宅。運動不足の解消にはならなかった(^^)

花粉症との戦いと KISS

21日

20150321-tampopo 河下川ダムルート。

 タンポポやオオイヌノフグリが咲いていた。

 花粉症薬を飲まずにロードに乗ったのが失敗だったのか、午後に頭がボーっとして怠くて3時間近く昼寝してしまった。

 SUUNTO の心拍センサーが電池切れ・・・


20150321

22日

 今日は快晴。気温も高く走りやすかった。帰ってからのミッションが多かったので短めのルート。
20150322

 今朝は、朝一で資源ごみ出し、ロードから帰ってからは掃除機かけと玄関前の草刈りをした(ゴミ袋一枚満杯)。ロードに乗る前にアレグラを飲んだのが良かったのか、午後もかなり動けた。

 その前後に、KISSを3冊読み、パワポ作業3枚分をやった。3枚といっても、1枚はテンプレを作る程度で1枚は資料が無いのでページのみ、最後は昨日にほぼ完成していたものの微調整。

 KISSはヤマザキマリの「スティーブ・ジョブズ」の連載を読んでみようと買ってあったものだが、女性向けコミックスを読むのが億劫で放置していたものだ。結局、1-冊(月刊)程度買ったままリビングのテーブルの上に積んでいたのだった。もう、捨てようと思って、せっかくだからジョブズのところだけでも流し読みして処分しようとした。しかし、ジョブズの伝記より他の作品が面白くて、ジャンプより読める作品が多いくらいだった。絵柄が馴染めなくてなかなか読む気に無れない作品が多いが、それを越えてしまうと、人間ドラマの作品が多い。KISSの対象年齢層が少女漫画よりかなり高い事もあって、ドラマも楽しく読めた。

 家族ものを読むと目から水が流れ出そうになる(^^;

読書三昧の連休

 昨日は親の家に往復したのでほとんど読書はできなかったが、一昨日と今日はかなりの時間を読書に費やした。

 自転車に乗れない空模様だったことも多い。

 今回の読書は純粋の娯楽ではなく、iPad で読みながら iMac で作業するという読書。

 運動不足はウォーキングで解消した。

 土曜日は駅までを遠回りで歩き、今日は有馬温泉に行ってきた。新しく出来たバイパスで往き復路は旧道。
2015/1/10

中野経由岡場。約4km
中野経由岡場。約4km

2015/1/12

バイパス・有馬温泉・旧道
バイパス・有馬温泉・旧道。約8km

本:聖なる怠け者の冒険(森見登美彦)

 聖なる怠け者の冒険を読んだ。

 安心の森見ワールドだ。新趣向は主人公が京都市内のアパートではなく会社の独身寮に住んでいることと、魅力的な新キャラが現れたこと。

  読みたいと思っていて、結末が分かっていたら面白く無いと思う人は下を読まない方がいい。
続きを読む 本:聖なる怠け者の冒険(森見登美彦)

本:世界史の誕生 ――モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

 Kindle store の日替わりセールで買ってしまった。長かった。お勧めしない。

 歴史が記述によって作られることや民族主義が19世紀以降の概念でしかないというのは、「そういえば」と思わされた。

 日本史と世界史という体系で語られる歴史教育に対する疑問を再認識された。自分が日本史を好きになれない理由も分かった気がする。

本:おしゃべりな宇宙 常識はずれ

 「おしゃべりな宇宙―心や脳の問題から量子宇宙論まで」を読んだ。興味深い話題満載だが、特に興味深い所を引用する。ぜひお買い上げいただきたい(自分は図書館で借りたが)。

 自分の中の「常識」や偏見が覆される痛快なフレーズに満ちている。「常識」が単なる偏見と浅い思考の産物でしかない事が分かる。

 「生命には酸素が絶対必要だという常識的な考えは、歴史の記録を完全に歪めてしまっている。そもそもその辺に浮かんでいる酸素など、この地球にとって新参者であり、太古の緑色植物が大気中に吐きだした毒気のことなのだ。また、大気中に吐きだされた二酸化炭素は、地球を「汚染」するという昔ながらの知識とは反対に、実は大気を自然な状態に戻すのである」

 一番面白かったのが「もちろん人類は地球にとって「自然」の存在ではないのだから、大気が自然な状態に戻るといった劇的変化には耐えられない。まあしかし、そんなことは宇宙全体から見れば取るに足らないことなのだ。」という一文。環境保護至上主義者やキリスト教原理主義者、「意識の高い人」などが聞いたら卒倒しそうだwww

 もちろん、これらは警句として反常識的に書かれている。自然を原初の地球と定義すれば人類は「反自然」だが、自然の変化に対応して進化してきた人類も自然の一部だ。これからどんな生物が地球上の覇権を握るかは分からないが、その時々の地球の環境に合わせて生き残ったものならそれらは全て「自然」といえる。数億年語の地球が氷に覆われているか海の面積がほとんどなくるほどに蒸発した状態かは分からない。どちらにしても人類は絶滅するだろうが、その状態もまた自然だろう。

 宇宙レベルから考えれば、惑星上の生物の生成も滅亡もとるに足らないことでしかない。「地球を大切に」などというスローガンは近視眼的な利己主義でしかない。ただ、人類がここまで築き上げたものを失いたくないなら、目の前の自然を大切にするしかない。だから、自然環境の保護はこの視点から行うべきだ。「人類が生き残れるように環境を保護しよう」というのが環境保護の目的だ。ここからスタートすべきなのだ。

P55 常識はずれ
 科学者を蹟かせるものが山つあるとしたら、それは「常識」だろう。常識は真実にいたる道のおよそ当てにならない案内人として、科学の歴史に繰り返し登場してきた。

 天文学を例にとってみよう。一八二五年フランスの哲学者オーギエスト・コントは、人類は星が何でできているかを決して解明できまいと断言した。これほど合理的な言い分もあるまい。なにしろ実験室で分析しようにも、星は遠すぎて手が届かないからだ。

 ところがそれから百年も経たないうちに、天文学者たちは星の発する光のスペクトルの明暗を読み取って、そこから星の構成要素はおろか、その温度や年齢、運動まで探りだせるようになった。

 では生物学はどうか。十七世紀にオランダの科学者レーウェンフックが簡単な顕微鏡で唾液を観察し、人体に多種多様なバクテリアが潜んでいることを発見したのだが、それまではそんなことが起こっているなど、いったい誰が想像できただろう?けれど今日の私たちは、地上や海中に住む地球上の生命体の大部分が、顕微鏡をとおさなければ目に見えないことをちゃんと承知している。私たち人間みたいな毛のはえた哺乳類なんぞ、およそ不格好な例外にすぎないのだ。

 もっと近年になると、生物学者は、生命というものは太陽の光と酸素がなければ絶対に生きていけないという常識的な結論に達した。ところがそう結論したとたんに、海底の完全な暗闇の中、他の穴から吹きだし、熱く煮えたぎる硫黄の蒸気によって繁殖する生命体の集団が見つかったのである。事実、生命には酸素が絶対必要だという常識的な考えは、歴史の記録を完全に歪めてしまっている。そもそもその辺に浮かんでいる酸素など、この地球にとって新参者であり、太古の緑色植物が大気中に吐きだした毒気のことなのだ。

 また、大気中に吐きだされた二酸化炭素は、地球を「汚染」するという昔ながらの知識とは反対に、実は大気を自然な状態に戻すのである(もちろん人類は地球にとって「自然」の存在ではないのだから、大気が自然な状態に戻るといった劇的変化には耐えられない。まあしかし、そんなことは宇宙全体から見れば取るに足らないことなのだ)。

 比較的安定した地球や惑星を研究する地質学者ですら、常識が生みだす危険を避けられなかった。なにしろ彼らは、大陸が動きまわって遊園地のバンパーカーのようにぶつかり合っては、その過程で地震を引き起こしているという(一見とんでもないが)紛れもない事実を、最近になってやっと信じはじめたぐらいである。

 それでは、火星からやってくる、太古の化石を思わせる模様のついた岩石はどうだろう?隕石が偶然にその赤い惑星にぶつかって弾き飛ばしたかけらが、太陽系を一六〇〇万年ものあいだ漂ったあげく、やっと南極の氷原に落っこちてきたのだ、というのが惑星科学者の解釈だ。ところがつい二、三年まえまで、学者たちは火星の破片が地球に届くなどとは頭から信じていなかった。しかし今日の推定では、毎年約五〇キロもの火星のかけらが、地球に降り注いでくるのである。

 しかし、そのなかでも常識をあまりに度々ひっくり返すので最も悪名高いのは、数学者だろう。まず明らかに理屈にあわない「負数」を発明したのが第一(マイナス二個のリンゴを持っているとは、そもそもどういうことだろう?)。それから今度は「π(パイ)」のように永遠に尽きない無理数を発見してのけた。伝説によると、この無理数という文字通り無理なアイデアは当初、太陽の周囲を球形の地球が回転するという理不尽なアイデアと同様の扱いを受けたそうだ。そんなとんでもない考えを言いだした科学者は、嘲られるか、もっとひどい目にあわされるのがおちだったのである。

 今日の数学者は虚数をはじめ超越数、他のすべての無限大よりもっと大きな無限大から、二〇次元の幾何学にいたるまで、すべてを受け入れている。かつては幽霊みたいな「無限小」を扱う不条理な学問だとして非難されていた微積分も、今では高校で必ず教える科目になっているのだ。

 自然にとって人間が考える「常識」など何の意味もないというこの真理は、人をたいへん不安にする。だが、偉大な科学者の面々は、私たちよりずっと寛容にこの真理を受け入れるようになってきた。

 アイザック・ニュートンは、「何もない空間に広がる目に見えない力」という考えに基づく自分のとんでもない重力理論など正気の人間なら誰一人信じはしまいと、自ら予言したぐらいだ。けれどもこのニュートンの考えだした理論こそ、NASA(米航空宇宙局)が火星へ宇宙船を打ち上げることを可能にし、また、火星の岩石を南極に送り届けたのである。ここで私たちが肝に銘ずべきなのは、理屈に合おぅと合うまいと、当たりまえであろうとあるまいと、もしうまくいくようなら、それはおそらく自然が意図したことなのだ、という教訓である。

 物理学者のフランク・オッペンハイマーは、科学であれ社会政策であれ、とにかく「常識」に従って世界をあるがままに受け入れろと人に言われるたびに腹を立てた。そして、繰り返しこう言って聞かせたものだった。「常識的な世界なんてのは本当の世界じゃないんだ。そんなものはしょせん人間がでっちあげたものなんだよ。」