Movable Type 設置にまつわる覚え

zdnet.co.jp/help/howto/による。
○ImageMagickのインストール
 ImageMagickはRPMパッケージも用意されているので,ここではRPMパッケージをダウンロードしてインストールを行っている。
・ダウンロードサイト
ftp://ftp.nluug.nl/pub/ImageMagick/linux/redhat-7.x/i386/ImageMagick-5.4.3-11.i386.rpm
ftp://ftp.nluug.nl/pub/ImageMagick/linux/redhat-7.x/i386/ImageMagick-devel-5.4.3-11.i386.rpm
ftp://ftp.nluug.nl/pub/ImageMagick/linux/redhat-7.x/i386/ImageMagick-perl-5.4.3-11.i386.rpm

# rpm -ivh ImageMagick-5.4.3-11.i386.rpm ImageMagick-devel-5.4.3-11.i386.rpm ImageMagick-perl-5.4.3-11.i386.rpm

○Perlモジュールのインストール
 Perlモジュールは,CPANを利用した自動インストールを利用して,必要なものをインストールしよう。インストールするモジュールは下記のものだ。

Bundle::LWP
HTML::Mason
Time::HiRes
Compress::Zlib
XML::LibXML
XML::LibXSLT
Image::Magick

 インストール時はroot(管理者権限)になり,コマンドプロンプトで「perl -MCPAN -e shell」と入力すればよい。

# perl -MCPAN -e shell
CPAN>install Bundle::LWP HTML::Mason Time::HiRes Compress::Zlib XML::LibXML XML::LibXSLT Image::Magick
 MovableTypeを使うだけならImageMagickのインストールは不要だと思われる。必要なのは、perlモジュールの「Image::Magick」だ。多くの環境でCPANで接続してダウンロード・インストールできるらしいが、俺の環境では失敗した。ダウンロードしてのコンパイルもうまくいかなかった。pngを扱うライブラリをインストールしていなかったのが原因らしく、TLのサイトからZabonでインストールしたらすんなりとコンパイル・インストールが完了した。エラーメッセージはCPANも同じだったので、前もって必要なライブラリをインストールしておけばCPANでも問題はなかったのかもしれない。

 パッケージやインストールのオプションによっては他にも依存しているライブラリがあるかもしれないし、新たにインストールする必要がない場合もあると思われる。だから、俺の書いているものもTurboLinux8workstationをパワフルデスクトップというタイプでインストールしたものというのが前提だ。このあたりは、Macやwinしか使ってこなかった人間にはわかり難い。

 繰り返しになるが、これは文化だ。知っているからといって偉くもないし、知ってしまえばそれだけといった知識ではあるが、身に付けるのは大変だし、知らないと何かと不便だ。外国語を勉強するのと一緒で、謙虚に重要度の高いものから覚えるしかない。
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DBD/DBIの情報。

JAM LOG
PerlでMySQLを使うにはこのDBIという「ドライバーインターフェイス部」とDBDという「ドライバー部分」の二つをインストールしないといけないわけですが、これが結構煩雑で面倒です。そこでついでだったのでDBIとDBDをまとめてワンパックにパッケージインストーラ化してみました。ダウンロードは「Downloads」のコーナーから。
DBI,DBD
 DBD/DBIモジュールをインストールはTL8wのデスクトップではインストールされていないらしい。

 TurboLinux8wsのインストールオプションで「パワフルデスクトップ」を選んだのが失敗らしい。開発環境以上じゃないとこのモジュールは入らないらしい・・・

TurboLinux8wsインストールパッケージ。
それは、このページで確認できた。
 MTにたどり着くまでにえらい時間がかかった。

 しかし、直接関係はないが、、cgiの設定について勉強になった。cgi-binというフォルダの使い方もかなりなじんできた。これまでは、cgiを各ユーザーのフォルダごとに置いていたが、うまくcgi-binを使えばcgiは一つにまとめて、データディレクトリだけをユーザーのディレクトリに置くという使い方ができそうだ。

 実際に、coolshotというcgiを設置するときにその方法でうまくいった。これのメリットは、http://www.dddd.net/cgi-bin/cginame.cgiという風に記述できること。実際にはcgiは/var/www/cgi-bin/のU中にあるのに、httpでアクセスされるディレクトリのトップディレクトリにcgi-binが存在するようにURLを書くことができる。

 これは、ほとんどのプロバイダで使えない技だろう。プロバイダでcgi-binを公開したらえらいことになるだろう。レンタルサーバーの場合も、絶対ルート(というのか、HDのディレクトリツリー)が分からないから、実行ファイル以外のファイルやデータの入ったディレクトリをcgiから参照できなくなってしまう。

自前のサーバーで気分最高さ。

Movable Typeの利点

 これまでに設置した掲示板や日記cgiと比較してのことだが、複数のユーザーと複数のblogを統合して管理できるのが便利だ。これについては、圧倒的と感じた。coolnoteもサブユーザーと利用権の管理はできるが、それをさらに便利にした感じだ。新しいblogをものの数分で作ることが可能だ。慣れてくれば他のcgiでも数分で設定することは可能だが、Mtの場合はその半分以下の労力だ。これは、規模が大きくなればなるほどメリットとして感じられるだろう。

 また、メインのDBファイルを標準的なDBソフトで管理することも、将来的にはメリットになると思う(まあ、俺が残すべきテキストを書ければの話だが・・・それは別の話ということで)。これも、規模が大きくなればなるほどメリットは増大するだろう。管理者はDBのバックアップさえとっていれば各々のフロントエンドに何かあってもデータは守られるし、読み出すことも可能だ。

 このソフトは、常時高速接続のキラーソフトになるかもしれない。ダイヤルアップ時代にはブラウザーのフォームで日記を書くなんて思いもしなかったし、こんなグラフィックパーツてんこ盛りのフォームなんて大嫌いだった。ADSLと新しいパソコンを買ったけど使い道がよくわからないという多くのユーザーのPC使用時間を増やすことにつながる可能性がある。(まあ、ISPも接続業者もハードメーカもソフトメーカーもユーザーのPC活用度になんかあんまり興味ないんだろうけどね)。

大チョンボ

 昨日、子供と海にいって、大波に揉まれている時に車のキーを落とした。

 親に迎えにきてもらって、俺の家まで片道100キロ以上往復。最終的に家に着いたのは9時頃だった(カギを落としたことに気付いてから約5時間)。疲れた。

 肉体的にはともかく、自分のミスが重なっているので、凹んだ。

素敵な活字中毒者

 この本は、複数の作者が一つのテーマを与えられて書いたものではなく、バラバラにかかれたものを集めただけなので、統一性がないのは仕方がない。というか、そこが面白いところでもある。

 しかし、コレクターについて書かれた文は俺には退屈だ。コレクターはコレクターのカテゴリーで語るべきで活字中毒者ではない。様々なコレクターを扱ったものの中に、本コレクターとして登場していただいたらと思う。

 昔(といってもほんの10年ほど前以前のこと)は、活字中毒と本コレクターは見分けが付きにくかった。古文書の研究をする人にとっては状況は変わっていないのかもしれないが、一般でははっきり異なってしまった。

 著作権と集金システムが完成するまでは、紙版で出版される新刊本をネットで読むことは難しいだろう。しかし、プロの書く新刊本と同等のテキストがネットにはあふれている。ネットには、個人の生の意見や感想がある。面白いのは、既存のマスコミには取り上げられることなどない、生の生活者の感覚だ。

 この本に、新聞や雑誌を一日10時間以上もかけて読んでいる作家がいたが、そんな人間は今どうしているんだろうか。朝刊と夕刊だけでなく、リアルタイムで新しい記事が掲載される新聞サイト。しかも、4紙や5紙などというような数ではない。日本語で書かれた新聞だけでも100を下回ることはないだろう(地方紙、業界紙を含めば)。さらに、雑誌のサイトも数え切れない。

 そんなテキストジャンキーの過ごし方をうまく表現した関心空間キーワードが合った。

 小林秀雄の文章は興味深かった。澁澤龍彦と夢野久作の作品はすでに持っているので、新しくはないが、読んでいない人にとってはおいしいはずだ。後、椎名誠他の座談会も「そうそう」と膝をたたきっぱなし。この4作品のためだけでも、定価で買って惜しくない。もし古本屋で見つけたら定価より高くても即買いを推奨する。ちなみに絶版なので、新品の物を定価で買おうとおもってもできません。
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田辺聖子:
ほんとに好きな本にあったら
(あと何ページあるのかしら?)
と、こわごわ、うしろを見たりする。

小林秀雄
自ら行動する事によって、我を忘れる、言い代へれば、自分になりきる事によって我を忘れる、といふ正常な生き方から、現代はいよいよ遠ざかつて行く。

紀田順一郎
一種の無菌状態におけるフラストレーションの中に、崇拝の対象が見つかったのだから、狂信的になるのも当然である。他の一切は眼中になく、獲得のためにあらゆる手段を講じるようになる。

座談会より
・お菓子の中に必ず栞みたいなのが入ってるでしょ。食いながら、まずその文字を読んでるんだ。
・本や新聞をもたないで電車に乗ると、すごく怖いでしょう。
・怖いというよりも、空白感があるね。
・ときどき本を読みたいために、わざわざ鈍行で行ったり・・・
・昔は、本を読んでいると、同好の士という感じがわかったんだけど、いまはマスコミに動かされてるからわからないね。

これってバブル再発?

asahi.com : 経済「経済は沸点にさしかかる」 竹中氏、景気回復に自信

 俺はどちらかというと竹中を指示している。自民党のカスが邪魔しなければ、首相が前に出て「竹中の案は俺の案だ」といっていれば、もっと早く経済再生はできたと考えている。

 しかし、この「沸点」は惜しい。だって、沸点ということはこれ以上温度が上がらない頭打ちみたいだ。あるいはバブル。沸点じゃ無くて融点っていえば良かったのに。

実際は

CNET Japan – 梅田望夫・英語で読むITトレンド:次世代ソフト開発で各分野に広がるLinux、ペンギン恐るべし

 実際はこれなんだろうが、テレビで10時~11時にかけてのニュース・エンタテインメントを見ている人には、サーバーもwinが一人勝ちに見えているに違いない。あと、シスコもコスト削減効果があるかのような広告をしている。

 どちらも、コスト算出の条件について全く情報を提供していないイメージ広告だが、油断してはいけない。こんなクソCMでも自分でシステムを触らない人間には浸透してしまう。それはwin95のときを思い出せばいい。win3.1よりはるかにバギーで、macとは比べ物にならないくらい使いにくい代物を消費者は喜んで受け入れたのだった。そして、何年かしたら「前のものより安定が良くなり使いやすさに磨きがかかったwin98」その2年後に「新しい技術を盛り込んだwinMe」をリリースした。win98は意外によかったが、winMeが不良品だったことは記憶に新しい。それでも、今、消費者の大半はwinXpマシンを買うのだ。

 そのうち、「うちのサーバーはなぜwindowsサーバーにしないんだ?」とか「シスコを導入したらどうなんだ?」と言われるシステム担当者が出てくるに違いない。

その後、「CNET Japan – 梅田望夫・英語で読むITトレンド:デスクトップLinuxが盛り上がるとすれば」というコラムで、にデスクトップへの普及の可能性について考えている。が、アメリカでも2007年とは・・・気が長すぎるんじゃないだろうか。

 俺は自分だけで使うならLINUXでも十分だが、何かしようと思ったときのハードルの高さが軽減されないことにはしんどすぎる。ディレクトリ構成がディストリビューションによって異なったり、アプリケーションによって設定ファイルの持ち方が違ったり、名前の付け方が違ったりする。コントロールパネルに類するソフトも少ない。(TurboLIinux8workstation固有の問題かもしれないが)

 それと、最近設定にハマって気付いたことは、コンパイルユーティリティがないことにも戸惑う。makeというのがgccのコンパイラだが、ターミナル(DOS窓みたいなもの)でしか使えない。全てがバイナリベース(コンパイル済みのソフトを配付する方法。だから、winやmacの大半のユーザーはコンパイラすら持っていない)のwinやmacならコンパイラは不要だが、ソースでの配付がデフォルトであるlinuxでは、このままでは厳しいだろう。

 いっそのこと、ブラックボックス化してインストールやメンテナンスをすべてネット経由でやるというアプローチのほうが現実的かもしれない・・・

 と考えていたらすでに織り込んだものが出るらしい。

 HDDを省き価格を169ドルに抑えたリナックスPC :Mainichi INTERACTIVE コンピューティング

 なるほど。ネットワーク上からOSをダウンロードして起動するんじゃなくて、KNOPPIXと同じ考え方か。ゲーム機とも似ている。常時高速接続が現実的になった今なら十分に効果的だと思う。インストールとかバージョンアップなんて考える必要ないし(そもそもできない)、登録ユーザーにはCDを定期的に送ればいい。周辺機器への対応に一抹の不安が残るが・・・そんな人間はオプションのHDを買えばいい。クライアントと割り切るならCDブート+ネットワークストレージは有りだ。

 ただ、問題は市場とのミスマッチだ。このページを読んでいるようなオタクは興味を持つかもしれないが、これでは物足りなくて買わないだろう。palm DeskTopがインストールできないのでは困るものね。かといって、一台目のPCとしてこれを選ぶ初心者もいないだろう。初心者であればあるほど目的が漠然としているので、「あれもできるlこれもできる」に魅力を感じるものだ。

 このマシンを受け入れるほどユーザーは熟したのかどうか。結果がとても楽しみだ。

#「そんなもん、中古PCとKNOPPIXと無料メールアカウントで十分やん」というオタクはすでにターゲットではないと心得よ。

blogの限界というより組織の限界

日本企業こそBlogに対して戦略的取り組みを
日本企業が社内情報を生かせるようになるには経営的な課題が多い

竜頭蛇尾というのか、尻すぼみというのか、厳しい現実の前に途方にくれてしまっているような続報になった。最後は企業風土になるのか。企業風土を変えるためのツールが企業風土が変わらないと活用できないという矛盾。

サイボウズやノーツの導入企業の数とグループウェアの導入によって企業風土を変えることをできた数の差(ほぼ導入企業数だろ)がその困難さを物語る。この屍にblog導入企業を付け加えるだけだろう。

極端な話、blogを受け入れて情報共有を進めるような風土のある企業なら、既存のグループウェアが導入済みだろう。グループウェアを置き換えるメリットはblogにはない(補完することでさらに高いレベルに上げることは可能かもしれないが・・・)。それに、そんな組織ならツールを使わなくても、MLでだって情報共有はできる。

ツールのできの良さは、導入のハードルを下げてはくれるが、必要を感じていないところに普及させることは不可能だろう。

本来、これもpingするべきなのかもしれないが、抵抗感があってできない。とくに、このような有名サイトにpingするのは難しい。pingを打つということは相手からもリンクされることであり、相手のサイトを読んでいるほかの人に対して「俺はこう思う」ということを強く主張するような気がするから・・・

ツール

 ツールによって文体が規定されることはあるなあと思う。一番最初のテキストエディタで書いていたときは長くなりがちだったが、coolnoteを使うようになってバラバラの短いメモのようになった。見た目の枠に文がまとめられることで独立性の高いメモを短くたくさん書くようになった。ftpの手間がないので、書きっぱなしの覚書も多くなった。それと、タイトルがあることで、途中から全然違う話になるときには別のエントリーにするようになった。

 オフラインでエディタを使っているときは、シーケンシャルな書き方になるし、ftpでアップロードするまでにタイムラグがあった。また、一月の文が一つのファイルだったので、遡って訂正したり書き加えたりすることも多かった(その割りに推敲はしてないけどね)。

 それが、MTにしたら、さらに変わった。何が違うのか。それは、draftができること。思い付きのメモのようなものをどんどんdraftで書き溜めて、同じ内容が重なってからまとめて書くことができそうだ。短いメモを速射するのではなく、ある程度まとまったものを書くのに適したシステムかもしれない。まあ、俺はそんなことは意識せずに、日記cgiの延長として書いていくつもりだが・・・これからどう変わるか楽しみだ。

 もう一つ、入力フィールドの大きさも文の長さに影響するようだ。今のところデフォルトの入力画面を使っているせいか11行しか表示されない。横も500ドット程度だ。このために、テキストエディタで書いていたときより文章が短くなったり、重複したりすることが多くなるかもしれない。

 ところで、エントリー(Entry)という言葉を断りなしに使っているが、記事というかコラムというか章というか、blogツール(日記cgiやMT等フォームで入力するためのツール全て)の1フォーム単位の文章といった意味で、俺は使っている。

美容院って

 先日歯医者に行ったときに、接触欲求に思いいたった。

 よく考えると、美容院は接触欲求を満足させる場なのかもしれない。もちろん、男にとっての床屋もそうだろう。男の場合は美容院ほど丁寧ではないかもしれないが、ひげそりがある。あの、切れ味のいいカミソリでジョリジョリと剃られるのはゾクゾクする。ある種の恐怖感を伴った快感がある。

 そういえば、マッサージとかもそうだよね。レズとかホモとか関係なく、誰かに安心して触られることは快感なんだろう。それは、赤ちゃんのときに親に触られていたことへの無意識の回帰願望なのかもしれない。

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 全然関係ないけど、iCabで入力したら文字コードのせいか文字化けしてしまった。htmlと違って別ファイルにしていないので、事故が起きたらアウトだ。力作だったのになあ・・・

デジカメケータイ


【2003年5月後半分】しげやんのふぉと日記ナリ。


ケータイwatchの記事

 どちらも、メーカーの実写データではなく、ユーザーが撮った貴重なデータだ。メーカーの宣伝用の写真はカメラの特徴を知り尽くしたプロが最高の条件で撮った数百枚の写真から厳選したものだ。A5401CAで撮った写真集という企画もあって、被写体の良さと相まってカメラの性能をアピールしている。しかし、ライティングの完璧なスタジオでプロのモデルを使って写真を撮るという機会はない。写真として良くても、デジカメを買う際の参考にはまったくならない。

 画素数だけでは説明のできない色調の違いがある。A5304Kは明らかに色のダイナミックレンジが少ない。これは、画素数の差ではなくCMOSとCCDという受光素子の種類の違いが大きいと思う。A5305Kの写真を観て、昔使っていたリコーのDC2Eを思い出した。ちょうどこんな感じの絵だった。

 後、画像処理ソフトの仕様も大きい。A5305Kはメモリースロットを持たない機種として、メール送信できる最大限を上限としてデジカメの仕様を決定したようだ(実際にはOEM元の機種の設計時だが)。このため、かなりの圧縮が必要になり、5年前のデジカメにも劣る画質にならざるを得なかったのだろう。

 これに対して、カシオは思い切った割り切りを見せた。オプションキットを買わなければ使えないデータを内蔵メモリに保存するという、今時のデジカメでは絶対に受け入れられない仕様にしたのだ。これによって、画質への制約は大きく軽減され、一気にデジカメに近づくことができた。

 しかし、5401CAの画質も、決して100万画素デジカメレベルに達していないことも分かる(5月30日の左下の写真は街路樹がボケボケ)。原因がパンフォーカスの限界か、CCDの物理的な大きさとそれによる受光素子の制限か、レンズ解像度の限界かはわからない。デジカメが数年前に通ってきた道だ。デジカメの受光素子が小さくなればなるほどレンズも小さくなり要求される解像度は高くなる。それは、すでに一般的な35mm一眼レフカメラのレンズを上回っているはず(自信なし)。光学系の限界が原因で120万画素でこの程度になってしまうのなら、CCDの解像度を上げても画質は良くはならないだろう。デジカメクラスのCCDと光学系を組み込むことはスペース的に難しいだろうし、オートフォーカス機構も現実的ではないだろう。

 画素数は30万画素・パンフォーカスでいいから、昔のオリンパスみたいな絵を撮れるデジカメにしてくれたらいいと思う。

 J-phoneの基本料金無料期間が終わったらAUに切り替えるつもりでどちらの機種にしようか迷っている。デザインはA5305Kだし、デジカメ性能ではA5401caだし。A5305Kのデジカメ性能が35万画素の平均レベルくらいあれば迷わないんだけどなあ・・・もちろん、A5401caがA5305KかJ-D06のようなデザインでもいいけどね。