夜更かし癖と記憶の美化について

 連休が長いと、夜更かしの癖がついて、連休明けがきつい。今日も眠れそうにない。緊張するから余計だ。明日は、もうろく爺さんの新年の挨拶があるから、テープに録音する必要があるのに・・・また、小能力上司が、テープを文章にしてくれとかいってくるんだろう。4日まで休んでいたために、月次関係が4日遅れになっていることなど全く意識に上っていないのだろうから。まあ、前任者のように半日かけてやってやるか。

 夜にジョン・レノン・スーパー・ライブをNHKでやっていた。若いロックアイドルがでているのには違和感を覚える。42の俺ですら、リアルタイムは厳しいくらいだった。俺が中学生の頃、マッカートニーがコンスタントにヒットチャートに登ってくるのと違って、ジョンはほとんどかかることはなかった。Rockn’RollMusicとかで、渋くヒットを飛ばす程度だった。事件がおきる年に「ジョンが活動を再開する」ことが話題になり、StartingOverがリリースされると、久しぶりにポピュラーヒットになる予感がした。そのときに事件がおきたのだった。

 後追いでの知識は、すでにフィルターがかかっていて、ジョンをカリスマ化するようなきれいごとの情報ばかりだったのではないだろうか。醜い現実の姿を晒すことなく死んだ多くのアーティストがそうであったように。例をあげればきりがない。ジェームス・ディーン、モンロー、日本では尾崎豊、かまちと言った感じだ。若い頃、どんなに二枚目で売った俳優でも中年以降も一線で活躍している人ほど、伝説になりにくい。スポーツでもそうだ。選手だけで消えていった人は選手としての記憶で美化されるが、監督として醜態を晒した野村などは、今では監督としての記憶しか残っていない。彼の現役時代の記録は王や長島と比べても全く見劣りのしないものだったし、選手をしながら監督までしていた時代もあった。そこで、引退して球界を去っていれば、記憶に残る大選手だったのだ。

 また、オノ・ヨーコという人についても、あの会場に来ていた人のうちどれだけの人が、ライブ以前に知っていたのか怪しい。

「人は同時代人を過小評価し、過去の人間を過大評価する(多分マーク・トゥエイン)」ということだろう。

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