リテラシー

 相当前の日経情報ストラテジーという雑誌で、「コンピューター・リテラシーを高めることが必要」とする論があった。コンピュータの操作というだけでなく、使いこなしレベルに高めなければ、パソコンを全員に配っても生産性に寄与しないといった内容だった。もう、10年近く前の話だ。

 現在でも、俺がよく知っている会社は同じような状態だ。ほぼ全員が、ワード、エクセル、ノーツの操作方法は覚えた。しかし、情報の有効活用は全く進んでいない。ワード文書をノーツメールでばら撒くバカが未だにいる(という以前に、それがデフォルトだったり・・・)。掲示板にpdfを貼り付けて本文を書かないアホも後を絶たない。しかも、これらのソフトすら満足に使いこなせていない。このようなレベルの組織なのに、リース切れのたびにパソコンとサーバーをアップグレードし続けている。

 重要なのはパソコンやコンピューターのリテラシーではなかった。それより重要なのは情報に対するリテラシー。ひいては、仕事に対するリテラシーだったのだ。

 ベテラン社員が仕事を知っていると思うのは大間違いだ。彼らが知っているのは、目前の手続きだけで、中身を理解していない。社内手続とか社内営業、根回ししか知らないことが多い。そして、そういうことを覚えることを仕事を覚えることと勘違いしてるバカばかり。

 だから、いつまでたっても、ワードやエクセルなど目に見える手書きの延長線上での機械化しかできないし、そういうやり方でやったものしか評価できない。こんなレベルの管理職が前線の指揮を執っているのだからたまらない。

 社長や役員は何処かで聞いてきて「ITの推進」とか「組織は柔軟に」というが、中身は全然解っていないから、上申書がワープロになったりカラー印刷とグラフを入れる程度のことしか評価できない。組織を変えても、ポストを減らすことが怖くて、名前を変えるだけしかできない。変わるのは名刺の肩書だけ・・・

 はっきり自慢だが、俺が先日やった例を書く。それは、株主総会に関する資料のデータベース化だ。基礎資料となる株主のデータは代行会社からFDで受け取った。それをエクセルで切り分けて、ファイルメーカープロに取り込んでデータベース化した。そして、それにリンクして、議決権行使書の議決権を集計するデータベースを作った。株主数が約3000、送り返されるハガキが約800だ。これが、約2週間、実質は4日程度に集中して返ってくる。受領したハガキの議決権を集計するのが仕事だ。

 去年までは、手で集計していた。それも夜中までかかって。俺は、これを一枚あたり約5秒で入力できるようデータベースを作った。付随作業やファイル作成の時間を入れても、合計で10時間もかからなかった。しかも、去年までは合計の数字しか残らなかったが、今回は送ってきた株主のリストや集計を出力できる。また、会場での作業も大幅に軽減し資料的な価値も大きくなった。さらに、FMPのweb公開を使って、他のマシンのブラウザーで株主資料を検索できるようにし、集計データのメンテナンスも可能にした。

 ところが、上司は評価できない。彼にはこのような抽象化された情報の価値が理解できないのだ。今でも株主の資料を調べなければならないときに、俺の作ったデータを使わずに一覧表を出してきてページをめくっている。彼にとってはそれが「仕事」なのだ。株主のデータを検索することは仕事ではないから、俺のやったことも仕事としては評価できないのだ。

 彼に見えるのは、前任者が夜中までかかっていたことを定時で片付けたこと。これまで3人でやっていた現場集計業務を2人でできたことだけなのだ。

 こんな人間が評価をするのだから、組織としての仕事に対する仕事のリテラシーが高まるわけがない。俺はこの時間でデータベースを作ったが、FMPに習熟というバックグラウンドがあったからだ。それを獲得するには相当の労力を要する。全く何のサポートのない会社で、仕事として評価されていない中ではなおさらだ。

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