アメリカン・タイム

 Hang Time(マイケル・ジョーダン物語)の作者で新聞のコラムニストだったボブ・グリーンのコラム集。

 コラムに求めるものの違いか、それほど鋭いとも面白いとも思えないものが多い。まあ、日本でも新聞のコラムに碌なものはないから当然か。でも、所々面白いフレーズはあった。皮肉な現実も・・・

 俺が馴染めないのは、新聞記者根性というのか、何にでも鼻を突っ込んで相手の都合や気持ちを無視して取材攻勢をすること。何かあるとすぐに電話で相手の心に踏み込んでいく。積極性は認めるが、自分の名声を利用して素人くすぐりをするやすもん芸人みたいでいやだ。ついでに言うなら、芸能人ヒッチハイクにも似た違和感を感じる。

何年か前・・・新聞にはレイプの記事が溢れていたものだが、どういう理由からか、最近ではほとんど目にすることがない。  もちろん、レイプが減ったわけではないと思う。ジャーナリズムというのは、ある1年、レイプについて関心を払い、翌年には酔っぱらい運転に興味を移していってしまうのだ。しかし、事件は相変わらず起こっているのである。

有名人が死ぬと細部にいたるまで描いていく記事が常套手段となった。・・・この傾向は、ふたつの作用をもたらすだろうと思う。ひとつには、世間の覗き趣味をかきたてること。・・・一方、記者連中に対しては、どんな悲劇の瞬間においてすら、自分たちは何か記事をものにできるのではないかーと思わせることにもなる。ウの目タカの目で些細なことをほじくりだそうと大童だったら、自分のやっていることがさして意味のないことだという事実にも目をつむっていられるのだ。

 指摘としては鋭くないし、俺ですら書いていることだ。しかし、新聞記者も気付いている人間はいるという点で重みがちがう(いやいや、それ以前に月とすっぽんだけどね)。

 皮肉なのは、「一編の死亡記事」というコラム。気になる人は買って読もう。

 後で気付いたけど、翻訳もイマイチ。特に会話文が「違う」。久生十蘭と比べるのは酷だけど・・・ちょっとなあ。

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