AI とヒューマンインターフェース

 錯視は錯覚と同様、人間の知覚について教えてくれる。

 fig2 のような図形では、理性で「これは同じ長さ」と思うことで納得はできる。

 fig3 のような絵では、説明されるまで虎は見えないのに、「ここに虎が描かれている。ここが目で・・」と説明されて認識すると、虎の絵が普通に認識されるようになり、それ以降はそこに虎がいる絵にしか見えなくなる。

 また、fig4 のような絵では女性の顔とサックスを吹く人の全身を横から見た図の両方を意識的に行ったり来たりできる。

 ところが、fig.1 は全く無理だ。印象で錯覚するとか理性で理解するということが全く不可能だ。これは人間の「見る」ことの限界を教えてくれる。目撃者の証言で「赤い服を着ていた」とあった時に、赤い波長の光線を反射するものを見に付けていたと決めつけてはいけない。嘘発見器やベテラン刑事の勘でも見破ることはできない。目撃者は誠実に自信満々に「犯人は赤い自動車に乗って逃げていきました」と言うだろう。本人もそう信じているのだから。人間の行う自己申告の限界がAI医療の限界になるだろう。

 もっとAIにとって難易度が高いのは去年話題になった「青か金か分からないワンピース」だろう。同じものを見てある人は青、ある人は金というのだ。しかも自信満々にだ。

がんばれ!アドミンくん こちらも、人間の心理を穿っている。

 選択肢を持たせることで消費者が「自分で選んだ気持ちになる」ように仕向けるという手法だ。そうした方が、結果的に同じものを買ったとしても満足感が高いことはマーケティングでは常識だ。選んだ気持ちにさせれば、同じ結果であっても満足感が高い。そのために、誰も買わないようなロースペック仕様がラインナップされるのだ。

 ただし、代替案の設定をうまくやらないとベストな案ではないものが選ばれたり、意図が見抜かれたりする。

 なお、fig.1 の出典元の北岡明佳の錯視のページは、興味深い錯視画像が数多く掲載されている。AIが見たら混乱するのだろうか。少なくとも猫は人類と同様の錯視があるようだがww


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