気の持ちようで毎日がサンデー:偽薬とわかっていても、プラシーボ効果を得られる?

 「気の持ちようで毎日がサンデー」というのは Rankin taxi の「サヨナラ好きになった人」の一説だが、心理学的にも証明された。

 ただし、記事にもあるように、証明さたのではなく「ある実験でこのような、これまで考えられていたものと違う結果が出たよ」という程度だ。そして、症状というのが第三者が客観的に測定できるようなものではない、自己申告によるものであるという点も重要だろう。また、この実験がプラシーボの効果を判定できていない可能性があることにも注意が必要だ。「偽薬であることを知らせた上で偽薬を与えたグループ」と「偽薬と知らせずに偽薬を与えたグループ」の違いを調べないといけない。

 それらは置いても興味深い。結局、治療効果は治療や施薬そのものだけでなく、「薬を手渡される」というコミュニケーションによっても補完されているということだろう。コンタクトが増えることは「お医者さんに診てもらう」「看護師さんに暖かい声をかけられる」ことと同じ心理的効果があるのかもしれない。これらがもっと物理的な治癒、例えば骨折からの回復などにも有効なのか調べて欲しい。

プラシーボ効果は、人の思い込みを利用してだますことによって機能すると考えられていましたが、偽薬と伝えられて服用してもその効果が認められたのです。それは、医者と患者という関係で薬を服用するなどの、医療的な行動様式に体が反応してしまうことが要因ではないかと考えられています。

情報源: 偽薬とわかっていても、プラシーボ効果を得られることが証明される|ギズモード・ジャパン

 話は逸れるが、こういった実験は相関関係を因果関係を混同しやすい。前に書いた気がするが、「単純計算をすることで脳機能が回復する」というドキュメンタリーがあったが、単純計算を繰り返したことによる改善か、単純計算を繰り返させようと励ましたり頻繁に声をかけたりする献身的な看護の成果か分からなかった。同時に起こったので相関はあるが因果関係としては献身的な看護のほうが効果があったと思われた。

 同じように、医療関係の実験を行った場合、実験の推移や変化を見届けるために普段の看護より手厚い看護が行われるはずだ。副作用などがあったらすぐに中止しなければならないし、効果があったときにその効果を正確に記録する必要があるから当然だ。ただ、そのことが上記の実験のように結果に影響する可能性がある。これらも含めた二重盲検法を行っていない実験は疑っていい。だから、100人のテスターの完走で90%以上が良かったと答えているといったものに何の意味もない。