イスタンブールは、古代のビュザンティオン、ビザンチウム、コンスタンティノポリスと同じ町であり、しばしば「コンスタンチノープル」の名で言及される。 東ローマ帝国時代からスラブ人やアラブ人が旧市街を指して呼んでいたスタンブルという地名がトルコ人にも取り入れられたものと考えられる。 この都市の正式名称が、コンスタンティノポリスのトルコ語形であるコスタンティニエ(Kostantiniye)からイスタンブルに改められ、国際的にもコンスタンティノープルではなくイスタンブールと呼ばれるようになるのはトルコ革命後の1930年のことである。-wikipedia.jp 黒海と地中海を結ぶ海峡を挟んだ街で、東ローマ帝国の首都でもあった。東西の大陸を結ぶ要衝でもあり、政治・宗教の紛争の最前線になることも多かった。中世にはイタリアから来た十字軍によって占領されたこともある(当時はキリスト教国たる東ローマ帝国の時代)。 |