[[妖人奇人館/人肉嗜食魔たち/01]]
 十九世紀半ばに起ったヴィンツェンツォ・ヴェルツェーニ事件は、クラフト・エビングの『性病理学』にくわしく報告されているけれども、女ばかり六人、首を絞めて殺して、その陰阜やふくらはぎに噛みつき、傷口から血を吸ったり、肉を噛み切って食ったりしたという、二十二歳のイタリア人の青年の事件である。女の首を絞めているうちに、強烈な勃起と射精が起るので、多くの場合、彼は首を絞めるだけで満足し、相手を殺さずに手を放すのだったが、たまたま射精がなかなか起らないと、死ぬまで絞めてしまう。

 人肉嗜食のことを[[アントロポファジー]]、あるいは[[カニバリズム]]という。この昔から知られている怖ろしい欲望には、いろんな動機があって、たとえば宗教や呪術の儀式の時に、信者が子供を殺して肉を食ったり、血を飲んだりするという習慣がある。[[肺結核]]や[[癩病]]をなおすのに、人間の肉を食えばよいという[[迷信]]もある。また未開民族が戦争や復讐で、敵を殺して食うのは、強い相手の力を自分の体内に取り入れ、自分のものにしようという気持からだろう。
 発見された屍体はいつも全裸で、ばらばらに手脚を切断され、腹部は切り裂かれ、内臓もえぐられている。ふくらはぎの一部や陰阜の肉が、きまって見つからないのは、犯人が家に持ち帰って、焼いて食べるつもりだったからだという。こういう状態だから、ヴェルツェーニは殺した女の肉体に性器を接触させもしなければ、強姦もしなかった。

 しかし、わたしがここで御紹介したいと思うのは、そんな種類の人肉嗜食ではなくて、エロティックな動機により、やむにやまれず人間の肉を食うという、いわば病理学的な範疇に属する人肉嗜食魔なのである。
 ガルニエ教授が報告している、二十一歳のフランスの日雇い労務者ウージェーヌ某の話は、もっと奇妙な話である。一八九一年、パリのおまわりさんが、公園のベンチにすわっている一人の若い男を見て、肝をつぷした。その男は、鋏で自分の左腕の肉を切り取ろうとしていたのである。

 おまわりさんが話を聞いてみると、この青年の頭の中には、十三歳の子供の頃から、一種の官能的な妄想がこびりついていて、色の白い若い娘の肌を見ると、彼はどうしても、その娘の肌の一片を噛み切って、むしゃむしゃ食いたくてたまらなくなるのだそうである。しかし娘の肉を歯で噛み切るのは、かなり困難である。それで大きな鋏を買ってきて、街をうろつき、相手を物色していたが、なかなかチャンスがない。仕方がないから、自分の腕のいちばん柔らかそうな、いちばん白い部分を鋏で切り取って、これを頭の中で娘の肉だと空想して、食っていたのだという。

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