#freeze
さて、このように、毒による殺人の方法が犯罪学的に洗練され、毒殺事件が単に王侯や貴族の周辺で行われるばかりでなく、庶民のあいだでも頻々と発生するようになったのは、何といっても十九世紀から以後のことであった。砒素や燐が容易に庶民の手に入るようになったのは、十九世紀中葉以降、つまり、産業革命や工業の発達と関係があった。

すでに毒草園などといった中葉以降、つまり、産業革命や工業の発達と関係があった。

すでに毒草園などといった中世的なロマンティシズムは影をひそめ、犯罪が近代科学と結びつき、大手をふって産業都市のなかを歩きまわりはじめていたのである。

次に掲げる統計は、ラカッサーニュ博士の作製した、フランスにおける毒殺事件の軒数を年度別に示すものである。(『法医学概論』パリ、一九〇六)

,自〜至,件数
,1830〜1835,115
,1840〜1845,250
,1850〜1855,295
,1860〜1865,191
,1870〜1875,99
,1880〜1885,49
,1890〜1895,54
,1895〜1900,34

これを見ると、一八四〇年から一八五五年あたりまでを頂点として、毒殺事件は徐々に減少して行く傾向にあることが分る。一八五〇年といえば、ちょうど有毒の黄燐マッチが使用され出した頃であることを念頭に置いていただきたい。プロレタリアのあいだでは、いわゆる「マッチのスープ」が最も手軽な毒殺方法であった。

毒薬の分類も、以前のように単純な動物、植物、鉱物といった三種類の分け方では間に合わなくなってきた。そんな中世記的な薬剤師の観念では、とても複雑な化学式や構造式を律するわけにはいかない。十七世紀の薬剤師グラゼルのあとを承けて、シェーレ、ヘイルズ、ラヴォワジェなとどいった化学者が、薬学の分野を長足に進歩させたので、毒薬の種類もきわめて複雑多岐になってきたのである。

次に示すのは、アンブロワズ・タルデュイの『毒殺に関する法医学的・臨床医学的研究』(パリ、一八七五)のなかに提示された、新らしい時代に即応した毒薬の分類法である。

+刺激性・腐蝕制中毒。刺戟性の局所作用を惹き起し、消化器官を侵す。(酸、アルカリ、塩基、塩素、ヨード、臭素、アルカリ性硫化物、峻下剤など)
+衰弱性ないし疑似コレラ性症状を惹起する中毒。全身性の偶発症状と生命力の急激かつ深甚な低下を伴なう。(砒素、燐、銅塩、水銀、錫、蒼鉛、吐剤、硝石、蓚酸、ジギタリス、ジギタリンなど)
+麻痺性毒物による中毒。神経系に抑圧作用をおよぼす。(鉛の調合剤、炭酸ガス、一酸化炭素、炭化水素、硫化水素、エーテル、クロロフォルム、クラーレ、ベラドンナ、タバコ、その他有毒茄子科植物、毒ニンジン、毒キノコ等)
+麻酔剤による中毒。いわゆるナルコティズム(魔薬中毒)と呼ばれる特殊な作用をあらわす。(阿片およびその成分、その化合物など)
+痙攣性毒物による中毒。本質的特徴として神経中枢に激烈な作用惹き起し、瞬時にして死を招く可能性がある。(ストリキニーネ、馬銭子《ホミカ》、ブルシン、青酸、トリカブト、硫酸キニーネ、カンタリス、樟脳、アルコオルなど) 

以上のごとく五種類に分けられるが、むろん毒物学者によっては、別の分類法を採用している人もある。

#ls2(毒薬の手帖/毒草園から近代化学へ)

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