それにしても、そもそもボルジア家の毒薬とは、いかなる性質の毒物で、いかなる調合法により製せられていたのであろうか。この点については、あの博学なブルクハルトも、「雪白な味のよい粉薬」などと表現する以外はっきりしたことは伝えていない。しかし、とにかく彼らが中世以来の毒物学の知識を豊富に持っていて、これに何らかの新しい発見を加え、プトマイン(屍毒)の調合法を完成していたことは疑いないように思われる。
古来のプトマインはもっぱらヒキガエルの肺から採取されていたが、彼らが原料として使ったのは、逆さにぶらさげて撲殺した豚の内蔵に、亜砒酸を加えたものであったらしい。これを腐らせて乾かすか、さもなければ液体にして精製したものが、いわゆる「カンタレラ」と称する毒薬なのである。
この毒薬は、ラテン語でヴェネヌム・アテムペラトゥム(緩効性の毒)と言われれるように、きわめて徐々に長期間に効力を発揮する場合もあれば、また調合方法によっては、迅速に人命を奪う場合もあった。
ビクトル・ユゴオの悲劇『ルクレチア・ボルジア』のなかの一人物は、次のごとく語っている。
>「そうだとも、ボルジア家の毒薬は、彼らの望みのままに、相手を一日で殺すことも、一月で殺すことも、あるいは一年がかりで殺すこともできるのだ。酒に投入すれば味がよくなって、つい、舌鼓を打って飲みほしてしまう。酔った気になっているうちに死んでしまう。場合によっては、急にだるくなり、肌が皺立ち、目が落ちくぼみ、髪の毛が白くなり、歯が抜け出す。もう歩いていられず、地面を這うようになる。呼吸が苦しくなって、ぜいぜい息を切らす。笑うことも眠ることもできなくなって、昼日なかでも、ぶるぶる悪寒がする。そして、しばらく生死の境をさまよってから、ついに死んでしまうのだ。死ぬ時になってようやく、半年前か一年前に、ボルジア家で酒を飲まされたことを思い出すのだよ。」
この怖ろしい毒薬「カンタレラ」の語源については、いろんな説がある。ヴォルテエルは『哲学事典』のなかで、この毒薬と十七世紀に発見された「トファナ水」とを混同している。(「トファナ水」については後に詳述する予定)
十九世紀の毒物学者フランダンの意見によると、「カンタレラ」とはイタリア語で「歌を歌わせる」、つまり、「強請《ゆす》る」という意味であり、毒を飲ませて「金品を捲きあげる」というニュアンスが含まれているのだそうだ。
そのほか、「カンタレラ」はカンタリス(斑猫の粉末)から由来しているという説もあるし、ラテン語のカンタレルス(小さな杯)を暗示しているという意見もある。これは、ボルジア家の宴会のとき、敵に小さな毒の杯が用意されたからであろう。
#ls2(毒薬の手帖/ボルジア家の天才)