ディクスン・カーの小説『火刑法廷』は、十七世紀の有名な毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人をあつかった、まことに奇々怪々な物語で、おびただしい[[カー>ディクスン・カー]]の作品群のなかでは、まず最もすぐれたものの一つではなかったかと記憶する。
前に読んだので、筋はもう大半忘れたが、何でもブランヴィリエ侯爵夫人の生まれ変わりのような女性が、二十世紀の現代にあらわれ、漏斗《じょうご》を見て恐怖するというところがひどく印象的だった。
なぜ漏斗がこわいのかというと、かつて侯爵夫人は火炙りになる前、裁判所の拷問部屋で、その口に漏斗をくわえさせられ、息もつかせず大量の水をどくどく注ぎこまれたことがあるからで、その恐怖の記憶が隔世遺伝のように主人公の女性に伝わっている、というのである。…
いったい、この推理小説界の鬼才によって作中に登場せしめられた名代の毒殺魔ブランヴィリエ夫人とは、どのような素姓と経歴の女だったのか。
後の侯爵夫人[[マリイ・マドレエヌ・ドオブレ>マリー・マドレーヌ・ドーブレ]]は、一六三〇年七月二日、フランスの[[一司法官>http://wiki.draconia.jp/index.php?M.%20de%20Dreux%20d%27Aubray]]の娘としてパリに生まれた。美貌で、才気があって、浮気で、すぐ物事に熱中する性質だった。淫乱というも愚かで、娘の頃は兄たちに次々と身をまかせた。一六五一年に、[[アントワーヌ・ゴブラン・ド・ブランヴィリエ>アントワヌ・ゴブラン・ド・ブランヴィリエ]]なる侯爵と結婚したが、この男は金持ちで、遊び人で、しかも、あまり頭のよくないお人好しだった。
当時の貴族社会の御多聞にもれず、やがて彼女も良人からいい加減にあしらわれ、空閨の嘆きを欺くようになり、周囲に男をあさるようになった。その恋人たちのなかには、ナダイヤック侯爵とか、子供の家庭教師を勤めていたブリアンクウルとかいった男たちがいた。しかし彼女がいちばん真剣に打ち込んだ相手は、良人の友人で家庭に出入りしていた[[ゴオダン・ド・クロワ>ゴーダン・ド・サント・クロワ]]という騎兵隊の士官で、ガスコオニュ地方の名家の出身だというふれこみの男だった。
良人は自分も遊び人だったから、夫人の御乱行に目をつぶっていることもできたが、道心堅固な夫人の父親は、こんな家庭内のふしだらに我慢できなかった。そこで、司法官としての自分の地位を利用して、いわゆる勅命拘引状なるものを発効してもらって、不届きな娘の恋人[[サント・クロワ>ゴーダン・ド・サント・クロワ]]をバスチイユの牢獄に六週間ぶちこんでしまった。
ところで、この[[サント・クロワ>ゴーダン・ド・サント・クロワ]]という伊達男は、以前から化学や薬物学に興味があり、たまたまバスチイユに下獄中だったエグジリという男と知り合いになると、この男から毒薬調合の秘法を教わった。イタリア人エグジリは当時有名な毒殺魔で、教皇インノセント十世の時に百五十人以上もの人間を毒殺したと言われている男である。
#ls2(毒薬の手帖/ブランヴィリエ侯爵夫人)