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その娘として生まれたのが、ルクレチア(一四七九年四月一九日生)である。彼女には二人の兄があり、長兄はジョヴァンニ・ボルジア(一四七四年生)次兄はチェザーレ・ボルジア(一四七六年生)と呼ばれた。

ボルジア家はまれに見る美貌の血統で、兄のチェザーレがひとも知るごとく、ふさふさした美しい赤褐色の顎髭と、秀でた額と、ほっそりした鼻筋をもつ、背の高い堂々たる男ぶりを誇示していたように、その妹のルクレチアもまた、尻のあたりまでたれる豊かな重々しい金髪と、賢《さか》しげな輝やきを放つ青い目と、官能的な遊惰な唇とをもつ、典型的なラテン人種の女の古典的な美質をことごとく一身に備えていた。

ルクレチアが最初に結婚したのは十四歳の時である。

相手はミラノのスフォルツァ家の御曹司で、ペサロの領主であるジョヴァンニという若い男。もちろん、この結婚は、ミラノとローマとの同盟をはかるための政略結婚で、彼女は父のいいつけに従ったまでのことである。

結婚式は一四九三年六月十二日、ヴァチカン宮殿内で華々しく行われ、式場には十人の枢機卿、貴婦人、貴族、そのほかフェラーラ、ヴェニス、フランスなどの各国使節がずらりと参列した。

声楽と器楽の合奏があり、かなりきわどい艶笑的な芝居が上演され、舞踏会や宴会が翌日の朝まで続いたというから、大した盛儀である。ヴァチカン宮殿といえば、神聖なローマ・カトリックの大本山であり、法王の代々の座所である。そこでこんな歌舞音曲が催されたことさえ、前代未聞のことだった。

もうこのころから、ボルジア家の常軌を逸した淫逸《いんいつ》と放恣《ほうし》、贅沢に関するスキャンダルは、なにかおそろしいもののように、世間のひとびとの口にささやかれ始めていた。

しかし最初の結婚は、若い花嫁ルクレチアにとって不幸な結婚だった。

それというのが、この若い夫は性来病弱で、噂によれば、結婚生活に支障をきたすほどのインポテンツだったからである。

#ls2(世界悪女物語/ルクレチア・ボルジア)

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