自慢のメルセデス・ベンツに美しい女優と相乗りで、劇場の特別興行などに赴くゲッベルスのすがたが、しばしば見られるようになった。なぜ彼がこれほど女性にもてるのか、ヘスやゲーリングのような無骨な男には、これは理解のつかない謎であった。こうして、やがてスキャンダルが持ちあがる。

相手はリダ・バアロヴァと呼ばれる小柄な、ほっそりした、スラブ系の美人女優であった。彼女はグスタフ・フレーリッヒという俳優と結婚していたので、スキャンダルは一層大きくなった。

ゲッベルスが[[リダ>リダ・バアロヴァ]]を知ったのは、ウーファ映画の撮影所で、彼女がバウル・ウェーゲナー監督の『誘惑の時』という映画に出演していた時である。ちょうど一九三六年のベルリン・オリンピック開催の少し前であった。ゲッベルスは非公式の会合に[[リダ>リダ・バアロヴァ]]と一緒に出席することを躊躇していたので、二人の関係は長いことだれにも知られなかった。マグダが初めてこれに気がついたのは、二年もたってからである。

ある夏の午後、シュヴァネンヴェルダーの河畔にあるゲッベルスの別荘に、数人の客が招待された。よい天気だったので、庭先から河にヨットを出して、水浴びをすることになった。もっとも、ゲッベルスは痩せた身体を見せるのを好まなかったので、白い夏服を着て、甲板の上の長椅子に寝そべっていた。その隣に、派手な水着姿のリダが座っていた。マグダは船室の上にいたので、どうしても二人の様子が目についてしまう。二人は肩を寄せ合い、手を握り合っていた。…

ゲッベルスが[[リダ>リダ・バアロヴァ]]の亭主[[フレーリッヒ>グスタフ・フレーリッヒ]]に殴られたという噂が立ったのも、このころのことである。実際に平手打ちを食ったのは、ゲッベルスでなくて[[リダ>リダ・バアロヴァ]]だった。あるとき、彼が愛人を自動車で送って、家の前で別れようとしていると、矢庭に車のドアをあけて、[[フレーリッヒ>グスタフ・フレーリッヒ]]が女を引きずりおろし、ゲッベルスの見ている前で、彼女をさんざん殴りつけたのである。自分の非力をよく承知していたゲッベルスは、愛人をかばおうともせず、そのまま車で逃げ去った。…

また、こんなこともあった。ドレフュス事件を扱ったゾラ原作のフランス映画『わたしは告発する』の試写会が、ベルリンのある映画館で行われていた。宣伝大臣はリダ・バアロヴァと並んで、いちばん前の席に座っていた。マグダも後列の席に一人で座っていた。幕間に、ぱっと明りがつくと、並んで坐っている愛人同士の手がからみ合っている。小さな試写室なので、誰の目にも、それがはっきりと見えた。マグダの目も、からみ合った二つの手の上に、じっと釘づけになっていた。そのとき、人目もはばからぬ二人の態度に義憤を燃やしたある男が、映画のタイトルをもう一度繰り返して、「みなさん、わたしも…告発します!」と叫んだのである。

この勇敢な抗議の声を放った男は、ゲッベルスの古くからの忠実な部下で、ハンケという男だった。彼は主人の情事をいちいち見て知っているだけに、主人の奥さんに深く同情していたのである。

やがて夫妻のあいだには、深刻な危機が訪れる。マグダは忠実なハンケの協力により、ゲッベルスの私通の証拠をすっかり揃えて、ヒトラーの前に提出し、離婚訴訟を起そうとする。しかしヒトラーは、いやしくも啓蒙宣伝大臣の不品行を国民の前に暴露する結果になるような離婚訴訟には、賛成できないと明言して、彼女の依頼をやんわり蹴ってしまう。「あなた方のように立派な子供さんのある御夫婦が、離婚すべきではありませんね」とヒトラーは笑いながら彼女にいう、「一年ばかり、御主人は修道士のように、奥さんは尼さんのように暮らしてごらんなさい。そうすれば、また御夫婦は仲がよくなりますよ…」

ヒトラーは半ば冗談のつもりで、こういったのだが、マグダはにこりともせず、「それでしたら、わたしはもう一年以上も前から、たしかに尼さんのように暮らしておりますわ」と答えたのである。夫婦のあいだの危機が相当に深刻なことを、これでヒトラーは初めて理解した。

このスキャンダルによって、ゲッベルスに対するヒトラーの覚えは、いちじるしく悪くなった。もし戦争がなかったら、そのままゲッベルスは次第にヒトラーから疎んじられ、低い地位に落されて生涯を終ったかもしれない。もともと彼は党内に敵が多く、ヒトラーのような人物の庇護でも受けないかぎり、芽の出るような男ではなかったのだ。

マグダもまた、このスキャンダルでずいぶん辛い思いをした。一時、彼女を崇拝していた例のハンケと一緒に派手に遊びまわり、空閨の嘆きを紛らそうとしたこともあったが、結局彼女はゲッベルスを思い切ることができなかった。離婚の請求は、彼女のほうから取り下げられた

戦争は一九三九年からはじまった。こうなると、夫婦のあいだの反目も自然消滅の形にならざるをえなかった。マグダは長いあいだの生活で、ゲッベルスが悪魔のように冷酷な、一切のものを信じない虚無的傾向の男であることを、骨身にしみて感じさせられたが、それでもこの男と離れては生きてゆけないことを、半ば諦めの気持で認めていた。

一九四三年、スターリングラードの攻防戦に敗れ、一九四四年、連合国軍がついにドイツ国内に侵入してくると、ナチ党の幹部のなかには、姿をくらましたり、敵と個人的に妥協したりする方法を探そうとしはじめる者もあらわれた。そのなかにあって、ひとり急進的な意見を固執し、最後まで闘うことを主張していたゲッベルスは、ふたたびヒトラーの信任を得、側近のなかの最重要の人物に返り咲いた。

じつのところ、明敏な彼には、ドイツの敗北が目に見えていたのである。ヒトラーを説得して、このままベルリンに踏みとどまり、敵の包囲のなかで、ワーグナーの『神々のたそがれ』の賛美歌にふさわしく、悲劇的な最期をとげるようにと勧めたのも、このゲッベルスである。

敗戦にいたる最後の数カ月間、ゲッベルスは次から次へといろんな「神話」を創り出しては、戦うドイツ国民の希望の火を掻き立てようと苦心した。たとえば秘密兵器の神話である。また、西欧諸国とロシアのあいだに必ず分裂が起るという、これも一種の神話に類した宣伝を行った。むろん、これはいずれも実現しなかった。

ようやく空襲がはげしくなるころ、ゲッベルスはある晩、食後にラジオのスイッチを入れ、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮するオーケストラを聴きながら、「一生を音楽に捧げたこの男を、わたしはどんなに羨ましく思っていることだろう」と洩らしたそうである。マグダは黙ってうなずいた。

#ls2(世界悪女物語/マグダ・ゲッベルス)

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