これより先、まだ夫のアンリ二世が生きていたころ、[[カトリーヌ>カトリーヌ・ド・メディチ]]は三人の息子の未来を知りたく思って、ノストラダムスをパリに呼び寄せたことがあった。そのとき、この高名な占星学者は「三人の息子は一つの玉座にのぼるだろう」と予言した。ところで、三人の息子はノストラダムスの予言通り、相継いで一つの玉座にのぼりはしたものの、三人三様のみじめた死に方をしたのである。

まず長子は父のあとを次いで、十五歳で王位につき、フランソワ二世を名乗ったが、即以後一年にして頓死してしまった。教会内で突如として高熱に苦しみ出し、むごたらしく悶絶したのだ。一説によると、毒殺だともいう。

フランソワ二世は虚弱で、腺病質で、幼いころから吹出物や慢性中耳炎に悩み、性格も暗くて、無口で、ほとんど精神薄弱に近いような子供であった。死因はたぶん中耳炎から来た脊髄髄膜炎であろう。

二番目のシャルル九世は九歳で王位につき、母の[[カトリーヌ>カトリーヌ・ド・メディチ]]が摂政となった。ところが、彼女はノストラダムスの予言がようやく気になりはじめ、当時ペストで荒廃していた南仏サロンの町へ、息子とともに旅をして、占星学者の意見を聞きに行

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