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さて、この物語をお読みになった現代の若い読者は、たぶん、トリスタンとイゾルデの煮え切らない態度や、運命に翻弄されるがままになっている主体性のなさに、いらいらするのではないだろうか。二人が愛しあっているのなら、なにもイゾルデはマルク王と結婚する必要はなく、手を取りあって逃げてしまえばいいのである。それに、トリスタンという男も、叔父の言いなりになっている、ずいぶん情けない、勇気のない男だとは感じられないだろうか。
しかし、見方をかえれば、この二人の恋人同士は、わぎと自分から苦悩を求め、不自由を求めることによって、その恋の情熱を燃えあがらせたのだ、とも言えるのではないだろうか。たしかに、永遠に結ばれない恋、快楽を拒否し、不幸を求める恋でなければ、激しい情熱の燃焼はあり得ないのである。
フランスの批評家ルージュモンは、こうした極端な恋愛の形を「情熱恋愛」と名づけて、あらゆるロマンティックな破滅的な恋愛の原型と見なしている。
フリーラヴやフリーセックスの時代にあって、この古風な「情熱恋愛」ほど、稀少価値に属するものはあるまい、と思われる。
#ls2(女のエピソード/金髪のイゾルデ)