淀殿(よどどの、永禄12年(1569年)? - 元和元年5月8日(1615年6月4日))は豊臣秀吉の側室。浅井長政とお市(織田信長の妹)との間の長女として生まれ、妹に京極高次夫人(初)と徳川秀忠夫人(於江与)がいる。幼名は茶々。一般には淀君という呼び方が知られている。生年は永禄10年(1567年)説もある。 1573年に父長政が信長に滅ぼされると、織田家の保護下に入る。1583年、母お市が柴田勝家と再婚すると、茶々は母とともに共に北の庄(現在の福井市)に移るが、翌年の賤ヶ岳の戦いに勝家が破れると、お市は勝家とともに自害したが、茶々ら娘たちは逃がされて秀吉の保護を受けた。 のち、秀吉の側室となり、1589年に鶴松を生み、これを喜んだ秀吉によって山城国淀城を与えられ、淀殿あるいは淀の方と呼ばれるようになった。なお、「淀君」は江戸時代に広まった蔑称である。-wikipedia.jp |