一七九一年、異端審問法廷が開かれ、彼は三つの罪状によって死刑を宣告される。すなわち、その一は、ローマ法王によって告発されたフリー・メーソン会員に属していること、その二は、異端的な言説を発表していること、その三は、普通法を犯していること、であった。また彼は、ブルボン王朝ヨーロッパの諸王家を覆滅せんとする、危険な国際的陰謀にも加担していると睨まれた。中世のファウスト博士のように、悪魔と契約しているとも噂された。
 革命的国際陰謀団などと言うと、まるで近ごろの通俗読物のようで、眉つば物と思われる読者がおられるかもしれないが、事実、当時のヨーロッパには、そのような秘密結社がたくさんあったのである。古い伝統を誇る薔薇十字団なども、その一つであろう。
 やがて減刑されて、カリオストロは死刑を免れ、終身禁錮刑になり、一七九五年八月二十三日、獄中で飢え死した。噂によると、それは見るも無残な最期で、おそろしい痙攣とともに狂乱状態になり、激しい言葉でローマ法王を呪いながら息たえたという。しかし彼の弟子たちは、この無残な断末魔に関する噂を否定し、彼は旧約の予言者エリアのように、火の車に乗って天国へのぼったのだ、と主張している。享年五十一である。
 彼が死んでからのちも、彼の姿を確かに見たという風説は、しばしば多くの者の口から発せられている。文学作品のなかに、これほど頻々と登場する人物もめずらしく、シラーゲーテネルヴァルや、さらに音楽家シュトラウスのオペレッタなどでも取り扱われている。モーリス・ルブランの探偵小説に『カリオストロの復讐』というのもある。


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Last-modified: 2008-03-21 (金) 00:07:57