しかし、彼は「不死の人」である。死んだと思われていたにもかかわらず、ふたたび彼の姿を見たという例がたくさん報告されている。一七九〇年、ギロチンが貴族の首を次々に斬り落していた頃、革命広場で彼の姿を見かけたという噂もあれば、一八二血年、ナポレオンが没落する頃、彼に会ったという人の話も伝わっている。
フランス革命の成行も、彼にはちゃんと分っていたらしい。バスティーユの陥落後、彼はマリー・アントワネットに、次のような手紙を書いている。「力をつくして対抗しなければなりません。もはや策略などを弄している時期ではないのです。もう貴女が愛してもいない民衆と手を結ぷことなどはやめて、叛逆者たちに口実をあたえないようにすべきです。ポリニャックやその同類を見捨てなさい。彼らはすべて死ぬ運命です。バスティーユの役人を殺した暴徒の手にかかって、いずれは殺される運命なのです」