何より不思議なのは、この謎の犯人が、まるで古典悲劇の法則に忠実に従ったかのように、犯罪の行われる場所と、時間と、それから血祭りにあげるべき犠牲者の種環(職業)とを、つねに変えなかったということだろう。
 まず場所について申せば、それはロンドンイースト・エンドのごみごみした貧民衝、ホワイトチャペル地区と呼はれる、ごく狭い範囲に限られていた。貧困と犯罪と悪徳の巣窟のような場所である。それから時間について述べれば、犯罪はほとんど必らず、金曜日の夜から月曜日の早朝までのあいだ、つまり人出の多い週末に行われた。そして犠牲者はすべて淫売婦、しかも一人を除いては、ことごとく四十歳過ぎの、酒飲みの、乞食に近いような、病み衰えた淫売婦であった。−そこが一般の性犯罪と違う点であろう。切り裂きジャックは、若い美しい娘をねらったのではないのである。
 殺し方の残酷さときたら、身の毛もよだつほどであった。大部分の女が、下腹部を深くえぐられ、腎臓、卵巣、子宮などを抜き取られ、それらは犯人によって運び去られるか、あるいは屍体の上に置いてあった。顔面をめちゃめちゃに傷つけられた女もいた。とくに最後の犠牲者、メリー・ジャネット・ケリーと呼ばれる女の殺され方は、ひどかった。彼女だけは、他の犠牲者よりも若くて二十四歳、しかも、いつものように道路で殺されたのではなくて、部屋のなかで、まるで解剖のように、臓腑をばらばらに摘出されて殺されたのである。
 ややくわしく屍体発見の現場を説明するならば、ケリーは血の海のようになったベッドの上に、全裸で仰向けに寝ていた。右の耳から左の耳まで断ち切られ、首は胴体から離れそうになっていた。鼻と耳がそぎ落され、顔は原形をとどめぬほど切傷だらけであった。上腹部も下腹部も完全に臓腑を抜き取られていて、肝臓が右の腿の上に置かれ、子宮をふくめた下半身も、えぐられていた。壁には血痕が飛び散り、ベッドのわきのテーブルの上に、妙な肉塊が置かれていたが、これはあとで調べてみると、犠牲者の二つの乳房だった。その近くには、心臓と腎臓がシンメトリックに並べてあり、壁にかかった額縁には、腸がだらりとぶら下がっていた。まるで肉屋の店頭のようであり、この綿密な解剖の仕事には、少なくとも二時間は要するだろうと警察が推定した。
 四番日の犠牲者キャサリン・エドウィズが殺されたとき、左の腎臓が抜き取られ、犯人に持ち去られたが、事件後しばらくして、ホワイトチャペル地区の自警団の団長の家に、その腎臓らしき肉塊の断片が小包みになって送り届けられてきた。医者に分析させると、それは紛れもない中年女の、アルコール中毒患者の腎臓であった。


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Last-modified: 2008-03-20 (木) 01:07:21