ラスプーチンを除こうとする陰謀は、ユスポフ公爵をはじめとする少壮貴族の一団によって、綿密に計画された。ユスポフ家はロシア第一の財閥で、三十歳の若い公爵は、オックスフォード大学出の、名うての遊蕩児だった。のちに彼は回想録を書いているが、それによると、この男には女装して舞台に立つ趣味があり、どうやら男色家でもあったらしい。ふしぎなことに、ラスプーチンは、この男を信用し、周囲の者の心配をよそに、青年を可愛がっていた模様である。
十二月十七日の晩、ラスプーチンは誘い出されて、公爵の家に行った。ユスポフ公爵の記述を信ずれば、ラスプーチンはまず、出された青酸カリ入りのお菓子を残らず食べた。それでも死なないので、公爵はさらに毒入り葡萄酒をすすめた。が、効果はなかなか現われない。たまりかねた公爵が、隣室からピストルを取ってきて、ラスプーチンの心臓めがけて射った。そこで一たん倒れたが、ラスプーチンはふたたび息を吹き返し、よろめく足で立ちあがった。そして四つん這いで階段をのぼろうとするところを、さらに背中に四条、ピストルの弾丸が射ちこまれた。がっくり崩れた彼の身体は、しばらくするとまた、ぴくりと動いた。恐怖にかられた公爵が、夢中でラスプーチンの頭を、銀の枝つき燭台でめった打ちにした。老人にしては、異常な生命力の強さである。
しかし娘の記述を信ずれは、彼はもっとひどい数々の拷問を受けたそうである。屍体は十九日早朝、ネヴァ河の氷のなかから発見された。どうやら息のあるうちに投げこまれたらしい形跡がある。頭蓋骨はへこみ、顔面は傷だらけ、片目の眼球は飛び出して、肉の糸で頬にぷら下がっていた。見るも無惨な有様だった。
皇后は女官に食じて、埋葬の前に、ラスプーチンの身体をきれいに洗わせた。その女官が、娘マリアに語ったところによると、彼の畢丸は、二つともつぶれていたという。たぶん、靴で踏まれたのであろう。
埋葬式がすんでから三カ月後に、ロシア革命が起った。ボルシェヴィキは屍体を掘り出して、道路でこれを焼き捨てた。