ラスプーチンが故郷の村を去って、首都ペテルブルグへ行ったのは一九〇七年であった。ちょうどその頃、皇帝のニコライ二世の子アレクセイが、宿痾の血友病で、どうしても出血が止まらなくなり、ロシアやフランスのあらゆる名医の手当を受けていたが、すでに生命を危ぷまれていた。この皇太子の血友病は、彼の母方のハプスブルグ家の遺伝的痼疾である。皇后アレクサンドラは、息子の枕もとで、絶望と悲しみのあまり、もう死んだようになっていた。そのとき、皇后の側近の女官アンナ・フィルボヴァが、「陛下……」と進言したのである。「ラスプーチンと申して、奇蹟を行う聖者がおります。呼んでみては如何でしょうか」と。
呼ばれてきたラスプーチンは、髭ぼうぼうで、眼がらんらんと輝やき、シベリアの農民の粗末な服を着ていた。部屋へ入ると、少しも悪びれず、ロシアの農民の習慣通り、まず皇帝と皇后を両腕でかかえて接吻した。それから病気の子供の枕もとに坐り、数分間、低い声で祈りの言葉を唱えた。そして片手を、少年の金髪の頭へ軽く置き、力強い声で「坊や、眼をあけて笑ってごらん。ほら、もう苦しくないぞよ。平気だぞよ」と言ったのである。
すると驚いたことに、今まで息もたえだえであった病気の少年が、ベッドの上で、むっくり身を起し、にこっと笑った。部屋中の者が、息を殺して見つめていると、ラスプーチンは「坊やに冷たい水を持ってきてやってくれないかな。血をたくさん失ったので、液体が必要なのじゃ」と言った。「でも、水を飲んではいけないと医者に言われておりますの」と皇后が口を挟んだ。「いいから水を持って来なされ」とラスプーチンが重ねて言った。皇后は自分で水を取りに、部屋を飛び出して行った。
皇太子はラスプーチンの手を取ると、ベッドのわきに彼を坐らせて、「ねえ、知らない小父さん、お話をして」と言い出した。ラスプーチンは、シベリアの妖精の話をして聞かせた。子供はじっと聞いていた。やがて皇后が水を持ってくると、ラスプーチンはコップを受け取って、少年の唇に近づけ、「ほら、これがシベリアの妖精の飲み物じゃ」と言った。子供は一息に水を飲むと、またお話を聞きたがった。それから昏々と眠りに落ちた。
翌日の朝、皇太子アレクセイは目に見えて顔色がよくなり、健康そうになった。医者は寄蹟だとしか言いようがなかった。皇后は涙を流して喜び、ラスプーチンの手に凄吻して感謝した。
この皇后アレクサンドラは、もともと迷信ぷかく、熱烈なギリシア正教の信者だったので、たちまち狂熱的なラスプーチンの崇拝者になってしまった。宮廷の貴族の女たちも、争ってラスプーチンを崇拝するようになった。人を魅きつける彼の異常な力は、まことに魔術師の名にふさわしいものであった。彼は宮廷に自由に出入りすることを許され、いつも周囲に女たちをはべらせていた。ペテルブルグの彼の家にも、毎日のように、花束や酒やお菓子をもった女たちが現われ、召使のように彼の身のまわりの世話をした。彼はシベリアの農民らしく、手づかみで食事をしたが、食事を終えて、汚れた指をさし出すと、女たちが争って、その指先を舐めたという。