グリゴーリ・エフィモーヴィッチ・ラスプーチンは、シベリアの貧農の息子で、若い頃から激しい宗教的情熱の持主だった。すでに子供のとき、聖母マリアの幻影を見て、自分の使命に日ぎめていたらしい。シベリア各地の修道院で修業を積んでから、村へ帰って教団を起し、信者を集めたが、その呪師《まじないし》としての評判は大したものだった。彼が相手の目をじっと見つめて、相手の身体に手をふれただけで、あらゆる病気が直ったという。
彼は信者たちを地下の穴倉に集めて、礼拝や儀式を行っていた。これは正統派の司祭たちの目から見れば、何か胡散くさい、異端の臭いのするものだった。むろん、ラスプーチン自身は、あくまで正統派のつもりでいたし、娘もそれを証言している。
しかし伝説によると、ラスプーチンの行っていた儀式は、かなり淫蕩的なものだったようだ。後は男女の信者とともに、赤々と焚火を燃やし、そのまわりで輪をつくって、奇妙な祈りの歌とともに踊り狂ったという。桶りのリズムはだんだん速くなり、だんだん荒々しくなる。熱っぽい溜息やうめき声が洩れてくる。やがて焚火の火が消え、あたりが真っ暗になると、「汝の肉を試練にかけよ」というラスプーチンの声が聞える。すると男女の信者は裸になり、行き当りばったりに相手を選んで、乱交にふけるのである。
このラスプーチンの奇怪な宗教は、一説によると、十八世紀に興ったロシアの異端フルイストゥイ派(鞭打派と呼ばれる)と関係があるという。フルイストゥイ派の原理は、簡単に言えば、「救いを得るためには罪を犯さなければならない」というのだった。つまり人間は罪を犯して汚れた身体になればなるほど、それだけ深く悔い改めることができる、というのである。そして、みずから自分の汚れた身体を鞭で打つのだった。―しかし、娘のマリアは、父が異端だったという説を断固として否定している。