690年、ついに武則天は皇位につき、国号を周とし、天授と改元した。睿宗は皇太子に格下げされ、李の姓を武に変える事になった。この周は彼女の姓を冠して武周と呼ばれる。

武則天は自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、この事を記したと言われる大雲経を作り、これを治めるための寺院を全国の州にそれぞれ作らせた。これが後の日本の国分寺制度の元になった。-wikipedia.jp

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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:02:45