(2)オルラムンデ伯爵夫人事件

これもやはりドイツの女で、旧姓はマルガレエテ・ゴットフリートと称した。十七世紀のブランヴィリエ侯爵夫人と同じように、まず慈善病院に見舞いに行っては、患者に毒物を与えて殺す楽しみをおぼえた。毒殺愛好者の常道である。

最初の夫は病気で死んだが、彼女とのあいだに三人の子供を残した。この子共を三人とも毒殺して、彼女はオルラムンデ伯爵と結婚し、首尾よく貴族の奥方になったわけであるが、伯爵もたちまち彼女の三人の情夫、借家人、債権者など、逮捕されるまでに全部で十五人ばかりの人間を矢継ぎ早に毒殺してしまった。逮捕されたのは一八二八年である。

とにかく、この時代には砒素の定量の装置もまだ発明されておらず、中毒死に関する法医学者の意見もまちまちだったので、決定的な証拠をつかまない限り、一見評判のよい女中や、堂々たる伯爵夫人をあえて告発するのは、警察の権力をもってしても非常にむずかしいことだったのである。


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:02:52