実際、大人になってからも、植物園とか、動物園とか、水族館とかを奇妙に愛好する性癖の人間がいるものだ。なにも古代の帝王ばかりに限らない。私などもその一人であるが、―毒草園という不吉なイメージには、さらに人間の死に結びついた、甘美な、豪奢な、いわば妖しい腐敗の魅力があって、それが一層私たちの想像力を掻き立てるらしいのだ。

日本にも、昔から本草学という学問の伝統があったから、方々に有名な古い毒草園が残っているけれども、いま私が思い出すのは、箱根の強羅公園でふと見つけた小さな毒草園だ。

もう二三年前のこと、私がさる女友達と一緒に早雲山をケーブルで降り、メシア教の箱根美術館を観て後、ぶらぶら近くの公園のなかへ入って行くと、角の方に柵をめぐらした一廊があって、そこにドクウツギトリカブトヤマゴボウシキミドクゼリスイバなどと、植物名を記した小さな木の名札の立っている、ささやかな毒草園があった。

おそらく毒草園などに興味をもつ遊山客はいないのだろう。あたりには誰も人がいない。夕闇のなかで、白い花をゆらゆら揺すり、微風にさやさや葉を鳴らしている有毒植物たちの、ひっそりとした孤独なすがたには、なかなか捨てがたい味があったことを記憶している。…


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Last-modified: 2005-02-26 (土) 13:04:03