(10)プラスラン公の自殺 最後に、砒素を用いた奇怪な自殺事件について触れておこう。 睡眠薬(バルビツール酸剤)や麻酔剤の使用が普及していなかった頃は、政治的な動機でもない限り、服毒自殺はきわめて稀であった。政治的な動乱の時期に服毒自殺者が多く出るということは、統計的に証明されている。たとえばフランス大革命の時期、帝政ロシアの崩壊期、近くはドイツ第三帝国潰滅の時期に、それぞれ多くの政治的自殺者が出たことは周知の通りだ。十九世紀のような相対的な安定期には、それだけ自殺者の数が少なくなる。 しかし一方、文学者や小説家が犯罪や自殺について思うさま夢想にふけることができるのは、こういう安定期のおかげであって、一例がフロオベエルの『ボヴァリイ夫人』のごとき、どんな臨床医の報告もおよばない綿密周到な中毒死の描写を残した作家もある。激しい咽喉の渇きから、断末魔の喘ぎにいたるエンマ・ボヴァリイの自殺の件りを見るがよい。彼女が俗悪な退屈な人生を清算したのも、砒素を用いてであった。 その頃、―正確には一八四七年八月、フランスの大貴族でオルレアン党政府の重鎮のひとりであったショワズウル・プラスラン公爵の夫人が、短刀で身体中滅多斬りにされて殺された事件があった。むろん、犯人は彼女の夫、つまり、プラスラン公爵そのひとにちがいなかった。警察はただちに彼を逮捕しに来た。が、監視の目をかすめて公爵は、かねて用意してあった毒薬の小壜から多量の砒素を嚥み、瀕死の状態のままリュクサンブウル監獄に運ばれ、六日後にそこで死んだ。 この事件は、犯人たる公爵が服毒自殺してしまったので、今にいたるまで謎に包まれており、さまざまな臆測を生んでいる。 そのうちの一つを御紹介しておこう。それは、現代作家のマルセル・ジューアンドオ氏がほのめかしている説で、
という意見である。 |